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大シルクロード展を見てきました

 東京富士美術館で世界遺産 大シルクロード展が開催中だったので、三連休を利用して行ってみました。長安二十四時も好きでしたしね。


 古代後期から中世、中国市で言うなら漢代から隋唐までの時期のユーラシア大陸史についてはそれなりに知識はあるつもりではありましたが、実際に資料となる展示物を見てみると、色々と気付かされること、これまで明確に感じなかったことがあります。

 例えば、シルクロードの時代の中国から発掘されるビザンツ帝国の金貨や銀貨。
 副葬品の水差しに彫刻されたトロイ戦争の伝承。
 そして唐代の貴婦人の像のトーガ風のショール。
 こういった資料を見ていると、シルクロード時代の中国貴族の間では西方風、特に古代ギリシャ風のファッションが溢れていたことが窺えます。
 なんなら、「唐王朝とはシルクロード世界帝国だった」と言い換えても良いでしょうか。
 そう考えてから長安の立地環境を見ると、北魏の帝都であり唐代でも副都でもあった洛陽と比較して、シルクロードの中心軸にかなり近い理想的な位置に見えました。
 明代の北京が東は朝鮮、北は後の満州、西はモンゴリア、南は中原という北東ユーラシア世界の中心点でもありましたし、近現代以前の首都を任意に定めた場合、その国の性質も推し量ることができますね。

 そして、中華世界と古代ギリシャ文化を結びつけたのがインド文明と、そこで生まれた仏教文化だったことも伝わってきました。

 そんな美術品から見られる歴史を体感しましたが、一方でこれは王侯や権門貴顕の世界の遺産でした。
 それは、シルクロード時代の最大の消費者がこの人々だったことを示しています。
 でも、今回のシルクロード展では、その後の時代、宋代や金や元代の玩具と推定される小さな像も展示されていました。
 こういう品を求めるのは、恐らく都市部の庶民階層でしょう。それが後世に残るほど大量生産されていたということは、この階層の消費者としての存在感が増大したことを示します。
 それは、都市部の商業活動の制約が解かれたこと、貴族に代わり士大夫を擁立する富裕層が時代の主役になっていったことと符合します。

 そんなことを考えさせる大シルクロード展、長安二十四時が好きだった人なら、強い刺激を受けることは間違いありません。
 まだまだ展示期間はありますし、是非とも行ってみてください。

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