てんぐのノイエ銀英伝語り:第35話 要塞対要塞 Akt.Ⅱ 激闘~「老練」なる詰め将棋の恐怖、そして立身だけで結びついた軍団の不協和音
銀河の戦場に騎士道精神なし、それが「老練」なるメルカッツ殺法
今週は予告動画にもあるように、流亡の客将メルカッツ提督の復活がメインでした。
そのメルカッツ提督の話をする前に、ちょっと振り返りたいのが、前回のケンプからの「古風だが堂々たる」挨拶です。
帝国軍って、敵将に対して敬意を表するメッセージを発するということをたまにやるんですよ。
本編の時期でもアスターテ会戦でヤンに対してラインハルトがLINEハルトをやって既読スルーされてましたし、その50年ほど前には第二次ティアマト会戦で戦勝と引き換えるようにして戦死を遂げた同盟軍の名将集団730年マフィアのリーダー格だったアッシュビー総司令に対して、敗走する自軍の殿を務めていたシュタイエルマルク提督が弔電を送ってたりします。
この帝国軍の精神的な文化って、この戦争は「内戦」であり、敵軍もまた「同胞」であるという認識があり、そこから「将帥同士の騎士道精神」が生まれていると推測できます。
また、前述のアスターテ会戦でヤンの進言を退けたパエッタ提督の第四艦隊救援指令やラインハルト艦隊に奇襲を受けた最新鋭装備ではない後方集団を助けるためにパニックに陥りつつ敵前回頭を命じたムーア提督にしても、帝国領侵攻作戦でキルヒアイス艦隊の猛攻に対してヤンの退却を身を挺して援護したホーウッド提督と第七艦隊残存部隊のように、「船乗りは絶対に戦友を見捨てない!」という宇宙のシーマンシップのような精神性も感じます。
なのでてんぐは、ノイエ版のムーア提督については人物的な評価はそう低くないんですよ。もっと小規模で攻撃的な任務に従事する部隊を指揮する准将くらいなら「同盟軍には降伏の文字はない!」と呼号する闘将肌のマッチョマンとして通ったろうし無能と断ずる気はないけど、中将・艦隊司令をやるには器量と判断力が不足だったかなとは思いますが。
さて、「ヤン艦隊クルーは各部署を巡回するメルカッツ提督の姿を見て時計を合わせる」なんてどこかの哲学者みたいなジョークの種にもなっているくらい規則正しい紳士のメルカッツ提督ですが、ノイエ版ほど「老練なる名将」という言葉の意味を思い知らされたことはありませんでした。
撤退する敵の陸戦部隊をわざと見逃してミュラー艦隊に収容の機会を与え、それを自軍によって包囲殲滅するための撒き餌とする。
ミュラーもまた騎士道精神や宇宙のシーマンシップの持ち主であると熟知しつつ、「宇宙の戦場には騎士道精神もシーマンシップもない。あってもそれは弱点にしかならない」と利用しぬくこの冷酷非情なるメルカッツ殺法は震え慄きました。
これを当たり前に行えるのであれば、そりゃリップシュタット戦役での局地戦でロイエンタールも撤退する羽目になるのも頷けます。
それと同時に、命令を聞く努力すらしようとしなかったであろうフレーゲルだけでなく、ロマンチシズムがダダ洩れになってるランズベルク伯のような貴族たちとは評判も悪かったことも想像つきます。フレーゲルら青年貴族の命令無視事件にしても、ブラウンシュヴァイク公がしゃしゃり出て軍の指揮権をうやむやにしちゃったのも、持久戦方針だけでなくメルカッツ殺法自体に対する違和感も鬱積していたのかもしれません。
さらに言えば、「艦隊指揮の実力から言えばミュッケンベルガー元帥以上」と評価されつつ宇宙艦隊司令長官職に就けなかったのも、この詰め将棋のような戦いぶりは数万隻規模での作戦規模では相性が悪かったのかもしれません。
言い換えれば、ヤン艦隊の客員提督というポジションは、周囲の人間関係と自分の技能の双方において、メルカッツ提督にとっては最適な天地だったのかもしれません。例え戦う相手が、正真正銘の同胞であったとしても。
装甲擲弾兵の天敵としてのローゼンリッター連隊装甲服部隊
話がちょっと前後しちゃいますが、要塞に深く進入した帝国軍装甲擲弾兵を撃退したローゼンリッター連隊ですが、双方の装甲服の仕様がちょっと面白かったです。
総重量と装甲による圧力を重視する帝国軍の装甲服はまさにパワードスーツであるのに対し、同盟軍の装甲服は装甲による防御力を捨てる代わりに着用者の身体能力を極端に引き上げるパワーアシストスーツになっています。
この仕様により、同盟軍の装甲服着用者は敏捷性だけでなく、敵の装甲をナイフ(あのサイズだと小剣かな)やトマホークで食い破るパワーも付与されることになります。この装甲服を使いこなすローゼンリッター装甲服部隊は装甲擲弾兵というヒグマを食い殺す猟犬、すなわち「天敵」と言えるでしょう。もっとも、装甲による防御が期待できないという弱点は事実ですし、下手をすると装甲服も着用していない一般の陸戦兵の攻撃で死傷しかねないわけですが。
それはそれとして、片手に戦斧、片手に小剣ってシェーンコップの二刀流は華があって良いですなあ。D&Dとかでもああいう装備の前衛PCをやってみたくなりました。
響きだす不協和音~ラインハルト軍団の精神的弱点
しくじった副将ミュラーに対してケンプ総司令が叱責してましたが、原作や石黒版だと焦りからくるパワハラっぽさもあって、そこがケンプに対するファンからの「優秀だっていうけど双璧とかのメイン級と比べるとちょっと格下っぽいよね」という漠然とした評価にもつながっていました。
でも、装甲擲弾兵部隊が事実上壊滅したことで要塞占拠案は事実上実施不可能になり、ここから先はガイエスブルグの打撃力でイゼルローン要塞を強引に破壊しなければならないって極端にリスクが高い作戦に切り替えざるを得なくなった中で、死に際の捕虜の「ヤン提督がイゼルローン要塞にいない!」といううわ言を信じ込んで、敵の駐留艦隊や援軍に機動的に対処しなければならない残存艦隊を独断で勝手に動かそうとしたって、そんなのまともな指揮官なら激怒しますよ。
野球でいったら、「これに勝ったら優勝マジック点灯!」くらいの大事な試合の同点のまま迎えた中盤戦で、ノーアウト二塁三塁のチャンスがゲッツーで潰され、辛うじて一塁に残ってるランナーに走塁コーチが監督の指示もなしに盗塁をやらせた、くらいには相当するでしょうか。
だから組織人としてはケンプは間違ったことはしてないんですが、それだけに帝都への「わが軍、有利!」だけの中間報告は「わちゃー」って頭を抱えたくなりました。「アイツやっぱダメかなあ」って声が聞こえてきそうな帰宅中の車のラインハルトの冷たい表情に、見てるこっちの胃が痛くなってきました。
ケンプがこんなことをやっちゃう理由って、要するに焦りなんでしょうが、それにしたってなぜそこまで焦ってしまうのか。
そもそもの話、ラインハルト軍団には、集団として実現させようという大義となる社会的な目標や政治思想的な理念がありません。
宰相として行っている開明政策にしても、獲得した権力を維持するための民衆に対する権利のバラ撒きでしかないです。少なくとも、「諸将は開明思想を実現させるために元帥府に結集した」という話は全くありません。
なので、諸将が困難な任務や職務に従事する動機は、必然的に「自分の立身出世」に尽きてしまう、自分が栄達できないなら帝国軍の大局的な成果すら二の次三の次。そんな自分本位の陥穽に陥った多くの帝国軍宇宙艦隊の将官クラスの最初期の事例が、この戦いにおけるケンプなのです。
また、ミュラーにしても、一見すると任務と戦果を最優先してるようで、組織人としての報連相を怠るという、副司令としてあるまじき自分本位さを見せてしまいました。
ケンプやミュラーのこのような姿からは、ラインハルト軍団を構成する諸将の「公人意識」の欠如がもたらす不協和音を感じとれます。
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