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1番になったことが無かった奴、1番ではない何かになった奴。(第60回宣伝会議賞で協賛企業賞を頂いた話 前編)

 今回、第60回宣伝会議賞において、商工組合中央金庫様の課題で協賛企業賞をいただく運びとなった。

 まさか貰えるとは思っていなかった、というのが正直な感想である。受賞の連絡から少し時間が経ったために別の感慨深さも感じ始めているので、これを機に書き残しておきたいと思う。


私の小さなコンプレックス

 昔、ある企業のエントリーシートにて、「1位になった経験、または1位を目指した経験を教えてください」という項目があった。当時の自分は人生を振り返り、「特に無いなぁ」と嘆いていた。

 強いて上げるとすれば、高校時代に球技大会オセロの部で優勝したことがあるくらい。しかし、それから数年後。しっかりやってみようかと専門書を買ったりネット対戦をしてみたりした。結果、あたりまえのように自分より強い人がいることに打ちのめされ、熱が引いてしまったことを覚えている。


 ちなみに、他の理由も相まってだが、このエントリーシートは出してすらいなかったりする。


 それから先も、仕事趣味両面でいわゆるトップとは縁遠い生活を送ってきた。やるとなれば頑張るから、それなりに出来る奴ってくらい。別段、トップになりたいとも思ってなかった。でもどこかで意識はしていたんだと思う。


コピグラとの出会い

 基本多趣味な人生で、ハマっているものを転々と変えてきた。それなりの期間打ち込んで、次のおもしろそうなものを見つけて足を伸ばす。別に「飽き性」ってほどではないと思う。

 約3年前、当時ハマっていたのは、「54字の物語」というとても短い小説を作ることだった。作ってはツイッターに上げ、作っては上げを繰り返し、合計400~500本の物語を世に出した。公募にも挑戦していたが受賞歴は無し。しかしありがたいことに、「54字の百物語」という本に2作品載せていただくこととなった。

 さて、「当時ハマっていた」という文からもおわかりのように、現在はすでに撤退している。作っていくにあたって、面白さの基準が分からなくなってしまったのだ。

 はじめはただ思いつきを形にしていくだけで面白かった。だが、公募に出していくにあたり、「評価されるにはどう書けばよいか」という変数が現れた。他の人から面白く思われるにはどうすればいいか。言い換えれば、「承認欲求」の出現である。

 どうすれば「面白い」のか。どうすれば他の人に「面白い」と言ってもらえるか。表立った成果が少ない中、突き詰めて考えていく体力は無かった。


 54字の物語から離れ、いくつか趣味を転々としたのち、54字の物語を書いていた方々が多く参加している場所を見つけた。Twitterキャッチコピーグランプリ、通称「コピグラ」である。

 正確には、54字から撤退したくらいから、存在は認知していた。当時のお題が「モヒカンにしたくなるコピー」。流れてきたグランプリを見て、大喜利かなぁと思ったことを覚えている。前に触れたように、当時は「面白い」アレルギーだったので、スルーしてしまった。

 それから8ヶ月後あたりだろうか、趣味として打ち込んでいるものがないタイミングで再度目に入る機会があった。当時のお題は「丸形テレビのキャッチコピー」。グランプリ作品を見て、「面白い」と思った。funny ではなく、interesting の方で。機能を売り込むために、どんな視点があるかを考える。別に大喜利でなくても良いならば、自分でもできるかもしれない、そう思った。


楽しいは継続の始まり

 こうして、コピグラ第64回「義理チョコっていいなと思うコピー」から、私のコピグラ人生はスタートする。1次、2次、3次審査を経て、ファイナリスト・準グランプリ・グランプリが決まる。自分の書いたコピーがどこまで評価されたのかが確認できることは、成果のない中でもがいていた経験がある自分にとって最も嬉しい要素と言っても過言ではなかった。

(この構造が宣伝会議賞のものと同じであるということは、のちに知った)

 しかもだ、初回である64回で早速3次に1本通り、66回には準グランプリをいただいてしまった。ビキナーズラックに遭遇した結果、やめられずにずぶずぶになってしまうケースが世の中に散見される今日このごろ。例にもれず、私もどっぷりハマっていくことになる。

 どうやら、お題があるということが、かなりプラスに働いたようだ。小説は0から1を作る作業。コピーは1から2以上を作る作業。私にとってやりやすかったのは、後者だったんだと思われる。

 そんなこんなで、休止に入る第100回までの間にグランプリ2回、準グランプリ3回をいただくほどには、勉強と実践を繰り返しながら楽しいコピーライフを送らせていただいた。


宣伝会議賞への挑戦

 なぜコピグラは休止に入ったか。それは「宣伝会議賞」の応募期間が近づいてきたからである。後入りの身なので実感はそれほど無かったが、どうやらコピグラは宣伝会議賞、常連参加者の集まりらしい。コピグラ飲み会などに参加していく中で、常連さんに混じって大きな壁を登りに行くのもありだなぁと感じるようになった。

 実際、宣伝会議賞の応募期間前に数千本コピーを考えておられる方がいるなど、先行隊の存在は認知できた。皆さんが引いた道の後ろを頑張ってついて行ってみよう。そんなくらいの意識で応募期間2ヶ月を過ごす。

「コピグラメンバーなら、1000本くらい書けば受賞の可能性ありますよ」
 コピグラ飲みで出たそんな発言を鵜呑みにして、目標提出本数を1000本に設定。まぁ実際は、仕事関係で悩みごとができて体調を崩した期間があったりして652本でのフィニッシュとなった。「初めてで600本書いてる時点で十分すごいから!」と言っていただけたのは、かなり救いになりました。


結果……!

 11月1日に応募が締め切られ、応募者としては長い長い待機時間に突入。どんな作品を投稿したかも忘れてしまった、そんなある日。連絡は来た。


「協賛企業賞です、おめでとうございます」


 対象となった作品が本当に自分の出したものなのか、宣伝会議賞のマイページに確認にいった。一言一句同じものが、そこにはあった。




 何度も言うが、取れるつもりは全く無かった。「参加するからには、グランプリ取るつもりで出せよ!」という方もいるかもしれない。でも、コピー書き始めて1年経ってない若輩者ですし、今回は観光気分だったんです。宣伝会議賞ってどんなところなんだろう、という下見みたいなもんだ。そうなるはずだった。
 もちろん、当時の自分の持ちうるものは全部出したとは思っている。その上で、うまくいきすぎだと思う。


私の大きな財産

 1位になりたい。改めて考えてみると、これってだいぶ「ひとりよがり」なんじゃないかと思った。
 
 順位をつけるって、2つ以上のものがないとできないわけで。イコール他の人と争わないといけないわけで。競う相手もいないのに1位になろうっていうのは、自分しか見えていないのと同じだ。




 3月2日。宣伝会議4月号発売から1日後。

 たくさんのお祝いの言葉をいただいた。
 感じていなかった受賞の実感が、ここでやっと、少し出てきた。
 信じられない気持ちもまだあるので、それは贈賞式で解決させよう。


 コピグラに関わって、たくさんの人と競ってきた。グランプリをいただいたこともあるし、もちろんグランプリが取りたくて頑張ってきた。でもここにあるのは、他人を蹴落とす文化ではなかった。良いものは認め、たたえ、好きと伝える。この人達の中で1番優秀でありたいとは思わなかった。まさに切磋琢磨、みんなでコピーの良さを磨き上げようという集団、私はその中の1人になったんだなと思います。


 主催のローラーさんを始めとして、飲み会に何度も参加させてくれた贈りびとさん、バン付表を更新してくれたマスケトさん(バン付表お疲れ様でした)、ミカグラ主催の吉田冬扇さん、その他関わりのある全ての皆さんに感謝です!



 これからも、楽しく続けていきます!!


 まぁでも、まずは贈賞式だな。
(贈賞式編に続く)


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