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「続けられるかどうか」なんて心配しなくていい

日本のAAに始めてサービスオフィスが開設されたのは1979年のことだった。ただこれは三ノ輪マック(当時)のなかにAAの連絡事務所を形式上設けたというにすぎず、マックというアルコール依存症回復施設とAAとが区別なく一つのものとして扱われていた時代にAAのオフィス活動が始まったことを示している。

AAが独立したオフィスを構えたのは1981年10月だった。東京の信濃町に小さなマンションの一室を借り「AA日本・ゼネラル・サービス・オフィス」(JSO)と名付けた。ゼネラルとは「全国的な」という意味で、世界の多くの国にその国のゼネラル・サービス・オフィス(GSO)が設けられているのに倣ったわけだ。その後JSOは池袋に移転した。

二番目のオフィスは、1984年1月に大阪で開設された関西セントラルオフィス(KCO)である。こちらもやはり大阪マックとの分離ということがオフィス開設の大きな目的の一つであったようだ。

その後、AAのワールド・サービス・ミーティング(WSM)という国際会議に参加したメンバーから、アメリカでは全国を地域に分け、各地域にセントラルオフィスを設けて活動の拠点にしているという情報がもたらされた。そこで、全国を北海道・東北・関東・中部北陸・関西・中四国・九州という7つの地域に分け、それぞれにセントラルオフィス(CO)が開設されていった。

セントラルオフィスの機能の一つは、その地域のAA内外からの問い合わせに答えることだ。その中には、どこで・いつAAミーティングが開かれているかという情報も含まれている。

だが、セントラルオフィスはミーティングの一覧を作ってはいなかったようだ。もちろん、オフィスは各AAグループから報告があったミーティングの情報を集積している。だから、出張で○○市に行くので、そこにAAミーティングがあったら教えてくれとオフィスに電話をかけると、その近辺のAAグループの情報を教えてくれた。ミーティングをやっている施設の名称と曜日と時間を教えてくれるので、別途道路地図などを買ってそこへ向かったのである(当時はカーナビもGoogleマップもなかったので)。すべてのセントラルオフィスの事情を知っているわけではないが、おそらくミーティング場の一覧を作っていたセントラルオフィスはなかったであろう。

唯一、全国のミーティングのリストを作っていたのがJSOだった。専用ワープロ機のなかにデータが入っていて、それを数ヶ月に一回更新してリソグラフで刷って手で製本していた。ただこれは一般のAAメンバーにはあまり存在を知られていなかったように思う。セントラルオフィスには情報を送っても、JSOには送らないグループも多く、掲載されている情報が古い(もうやっていないミーティングが結構掲載されている)という難点があった。

地域の下に「地区」というものが設けられた。概ねは都道府県単位だが、東京や大阪のようにAAグループの多いところではさらに分割された。そしてこの地区ごとに、地元のAAメンバーがミーティングの一覧表を作ったり、さらにはそれに地図を加えて分かりやすくしたりしていた。それがセントラルオフィスに届けられているので、オフィスに頼めばそれを郵送してくれることもあった。

ただこの地区のミーシングの一覧表は、オフィスで配布することが目的なのではなく、地区内の病院やクリニック、保健所や市役所の健康課などで配布して、そこでAAを案内してもらうのに使ってもらうのが目的で、オフィスに届けるのはその一環に過ぎない。東京や大阪を除けば、AAミーティングの参加者の9割以上は会場の近辺の人であり、他地区のAAメンバーにミーティング会場を案内する必要はなかったのである。

21世紀になると、JSOも各セントラルオフィスもウェブサイト(ホームページ)を解説した。最初はJSOが全国のミーティングの一覧を掲載していた。やがて各セントラルオフィスがミーティングの情報を掲載し始めると、JSOはそれをやめてしまった(なにせJSOの情報の方が古いのであるから)。

ADSLの普及によって各家庭でパソコンからネットを見ることもできるようになったし、携帯電話やスマホからオフィスのサイトを見るのも実に簡単になった。そしてそこにはミーティング一覧の情報もあり、地図も載っている。便利になったものである。

が、あまり好ましくない変化もあった。オフィスに電話してAAミーティングの情報をもらっていたころは、「○○市の○○公民館で○曜日の夜にミーティングをやっていることになってますが、これは○年前の情報で、その後連絡がないので、もうやってないかもしれませんよ」といった補足情報を教えてくれたのだ。そのような、「やってないかもしれない」とか「やってたりやってなかったり」といった情報をもらった上で、それでもそこを訪れるかどうかは自己責任だ。

ところが、ネット上に公開された情報を見て会場に赴くとなると、そのような補足情報が得られない。行ってみたのに「ミーティングやってなかった」ということがあると、その苦情がオフィスに向けられることになる。ミーティングを開催するのは各グループの責任であって、セントラルオフィスの責任ではないのに、オフィスが苦情を受けることになり、そのことが職員の精神的な負担になったようだ。

結果として、セントラルオフィスがうるさいことを言うようになった。ミーティング情報はきちんと報告しろとか、なにか理由があってある日のミーティングを休止するなら、それをきちんと報告しろなどなど。まあ、苦情を受ける側のオフィスとすれば、情報の正確性をグループが担保してくれなければ「やってられねー」という気持ちになるのもやむを得まい。

だが、そのことがAA全体をなんだか堅苦しい雰囲気にしてしまったのは否めない。

そもそも、AAミーティングはアルコホーリクが自分たちの回復のために開いているものだ。だから、自分たちの都合でミーティングを開くのを休んだり、閉じてしまったりすることもあり得るわけだ。もちろん、そんな不安定な運営をしているグループは評判が悪くなるが、それでもそのように不安定なグループ運営を続けていく自由もあるわけだ。

「せっかく行ったのにミーティングやってなかった」という不満は十分理解できるし、AA外部の人やAAのビギナーがそういう不満を持つのは当然だ。だが、AAにしばらくいたら「AAとはそういうものだ」というある種の諦念を持つようになるはずだ。そうやってAAというものを理解していくようになるのである。

僕も関東に越してきた頃、東京近辺のAAミーティングをあちこち訪ねてみた(もちろん、セントラルオフィスのサイトのミーティング一覧とGoogleマップを使った)。行ってみたけれどミーティングをやってなかったことは何度もある。会場係が遅れているのかもしれないと施設前で待っていたこともあるし、そこへ訪れた他のメンバーとファミレスにお茶しに行ったこともある。

グループを作ったらそれを維持しなければならないし、ミーティングは開き続けなければならない、という圧力が高まるとAA全体が萎縮してしまう。もちろん確実に継続できるにこしたことはないが、そうでなくても良い、というのがAAの有り様のはずだ。

20世紀のAAが東京から全国に広がっていったのは、継続できるかどうかをあまり考えずに、ともかくAAグループを作り、AAミーティングを開いていったという闇雲さが資するところ大きかった。もちろん、多くのAAグループがつぶれ、ミーティング会場が閉じていった。だが、そのなかに生き残るグループがあり、それが現在の日本のAAを形づくってきたのである。

近年日本のAAに停滞感が漂っているのは、この「闇雲さ」が失われたからではないのだろうか。

アメリカ人のAAメンバーの話を聞いていて、ミーティングが続けられる保証もないのに、ともかくAAミーティングを開いてしまう熱意に驚いたことがある。仕事の赴任先でグループを作り、ミーティングを始めてしまうのである。1年後には会社が別の赴任先を指示するかもしれない。だとしたら1年以内にグループを引き継いでくれる人がいなければ、グループは存続できなくなる。「それでいいのか?」と尋ねたら、「例えそうなったとしても、1年間AAがそこに存在したことに大きな意味がある」と言われて、まったく反論できなかった。

ミーティングを始めるときに、いつまで続けられるかなんて考えていたら萎縮するだけだ。グループや会場が閉じられることやそれに伴うトラブルを非難するよりも、ともかく新しいグループ・新しい会場を開くというチャレンジを応援するほうが、多くのアルコホーリクが助かっていくのである。

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