歌詞と意味と無意味

戯言です。


歌詞付きボーカル有り曲をつくる時、私の場合は大抵がなんのメッセージも込めておらず…

というか、そもそもが殆どの場合、私は全体の音先行でつくっている。歌唱部も含めてオケのひとつひとつのパートをそれぞれの音に担わせる役割(オーケストラのリード楽器的ではあるが旋律以外も担う合奏時のひとつの要素)を持たせる形でつくっていくので、その全体のスコアを形成する過程で歌唱用フレーズが出来、そのフレーズに合った仮の言葉が付き、一旦全体の音的流れができたところで改めて歌唱部の音を整理してそこに合う言葉を意識しつつ、詩を完成させて行くという過程を経ている。ので、メッセージ性を持たせた歌詞のついた歌に伴奏を付けた形の楽曲という作り方はしない。

(ところで、ここまでの記述が、日本語の文章としてはダメ過ぎる書き方になってしまっているが……気になるけど戻らないで続ける)

勿論、歌唱フレーズ先行でできて伴奏的にオケを付けていった楽曲も少なくなくあるのだけど、殆どがボーカルのいるバンド用につくったもの。打ち込みでライブ演奏者の居ない曲を作る場合、所謂ボーカル楽曲づくりには自分自身がやる分には殆ど興味が無い。

歌詞はどうしているか何を表現するかという時に大抵想定するあるいは意識するのは抽象的な情景描写で、こうですよという主張は込めないのだが、グルーヴ的にも響き的にも全体との音のノリを意識する方にアタマが向いているので、他者が文字で読んだら意味がわからないという歌詞も多くなってしまう。


そんな感じで、自分の曲の歌詞の殆どが意味不明無意味になっているのだけど、つくった側にはその意味不明無意味の羅列の歌詞で描いている情景は具体的に、密かに、しっかりと、ある。聴いてもらった時にこちらのみている情景がダイレクトに伝わらないようにしているが、中にはもの凄くプライベートな情景をのせていたりする。

最近つくっている曲の中のひとつ(昔の楽曲の再構築ではなく)に相変わらず変な曲があるんだけども、「気泡と絵画」というタイトルをつけて、歌詞がある。絶対的に意味不明な歌詞だと我ながら思うものだけど、私がどんな情景を見てこの歌詞をつくったかは私が良くわかっているので、厄介なほど感情が揺さぶられる。私にしては珍しく架空ではない超具体的な情景の描写になった。

さて、こまった。

大昔打ち込みをやっていたがご無沙汰で試行錯誤なDTMerです。先ずはやってみますな段階。当面は入力にkorg-gadgetオンリーの制限をつけています。