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茶碗蒸し事件

ふるると柔らかく、お口に優しい茶碗蒸し。

茶碗蒸しは今でも大好きだが、
私はこの茶碗蒸しで危うく死にかけたことがある。


私には新卒から今までの間に、ニートだった期間が2ヶ月ある(現在の休職期間を除いて)。
なぜ2ヶ月のニート期間が発生したかという問題は、今回の本筋から逸れるので深くは触れない。
とにかく不意に訪れた2ヶ月の無職期に慌てて就活し、3ヶ月目から通う職場が決まった。

新しい職場への入職日が約1週間後に迫ったある日。
私は母に誘われて、家族で食事に出かけた。
向かった先は、皆さんご存じのかっぱ寿司である。
あらゆる回転寿司チェーンの中でも比較的リーズナブルなかっぱ寿司だが、
私にとっては『外食』というだけで特別な食事であり、それが『寿司』とくれば価格はどうであれご馳走に違いないので、なんの不満もない。

ウキウキと家族で入店し、寿司に舌鼓を打つ。
ある程度お腹が満たされた頃、私はいつものように茶碗蒸しを注文した。
私の中の、寿司屋の定番である。

しばらくすると、あつあつの茶碗蒸しが私の元に届けられた。
猫舌なので熱すぎるのは苦手だが、やはり熱い内に食べるのが美味しい。
私は届いたばかりの茶碗蒸しに手をつけた。

熱いので口に含む時間を無意識に短縮して、あまり咀嚼せず飲むようにして食べる。
1口、2口と食べ進めた時、事件は起こった。

スプーンにすくった茶碗蒸しを吸いこもうとして、思いのほか吸息に勢いがついてしまったのだ。
あ、と思った時にはもう遅かった。
我ながら驚くべき吸引力により、1さじの茶碗蒸しは喉の奥に勢いよくベタっと張りついた。

張りついた瞬間は『何か喉に当たったな』くらいだったが、段々ジンジンとした痛みを感じた。
まずい、と思いお冷やを氷と一緒に喉に流しこむ。
母らは呆れ気味に心配していた。
しかしいくら水をガブ飲みしても喉の鈍い痛みは取れなかった。

一抹の不安を覚えたが、『まあ明日には良くなっているだろう』と思いこむことにして、その日はそのまま寝た。

そして翌日。
起きたらドチャくそに喉が痛かった。
この痛みは、いつもの喉からくる風邪の咽頭痛とは種類が違う。
火傷の時の、焼けるような痛みだった。

これはそっとしておいて良いものでは無さそうだ。
私は仕方なく、行きつけの耳鼻科に予約を入れた。
恥ずかしさを覚えながら事のあらましを伝え、診察を受ける。
まだこの時は、ちょっと薬を塗られて内服を貰えば済むだろうと鷹をくくっていた。
しかし耳鼻科の医者から聞かされたのは、「このまま腫れると息が止まるかもしれない。紹介状を書くから、一度大きな病院で診てもらいなさい。」という衝撃的な説明だった。


え、死ぬってこと?


予想外な状況に、私は心から驚き慄いた。
耳鼻科の医者によると、どうやら気道の入り口にある喉頭蓋が腫れ上がる『急性喉頭蓋炎』の状態になっているらしい。
やばい。それはやばい。

優しいはずの茶碗蒸しによって、知らぬ内に私は命の危険に晒されていた。


恐怖で泣きそうになりながら、そのまま紹介状を持って総合病院に受診する。
病院の医師からは、「今はまだなんとかもっているが、これ以上腫れてくると気道が閉塞する恐れがある。万一に備えて入院してはどうか」というような説明を受けた。

にゅ、にゅういんだって?
やだ。それは絶対やだ。と強く思った。
来週から新しい職場に転職するのに、もし入院して初出勤日に間に合わず、しかもそれが茶碗蒸しの吸いこみというバカな原因により死にかけて入院していたため等ということが知れたら、恥ずかしさと肩身の狭さによって死にそうである。
その職場でやっていける気がしない。

私が入院を渋っていると、医師はやや呆れた様子で「それなら落ちつくまで毎日病院にきてください。抗生剤を点滴します。」と言った。
その後、外来で看護師に抗生剤を打ってもらった。

情けなさと恐怖が心の内に同居し、たまらず昨日の顛末を知っている母に一応連絡した。
母はやや呆れながらもとても心配していた。
心配させて申し訳なかったが、いざという時のために状況を伝えておかねばなるまいと思った。

1人暮らしの身を案じて私の元に来ると言うので、それは悪いと遠慮した。
とりあえず息苦しくはないし、今はまだ悪化してきている感じはない。

その後、恋人にも連絡したところ、彼がこちらに泊まってくれることになった。
私が「(私は)死ぬ?」と弱気になって聞くと、
彼は「死なへんよ。俺がいるから大丈夫だよ。」と言って優しく励ましてくれた。
いい奴だな、と感激した。
しかし夜になって一緒に横になった途端、隣から健やかな寝息が聞こえてきた。なんて奴だ。

やはり自分の身は自分で守らねばなるまい、と覚悟した。
寝ている間にうっかり気道閉塞したらシャレにならない。
その日は一睡もできなかった。

朝になり、喉の違和感は若干やわらいでいるような気がした。
少しほっとしていると、一晩グッスリ眠っていた彼が、
「〇〇ちゃん、寝れへんかったの?大丈夫?」と起き出した。
まったくもうと思いつつ、いつも通りの彼に気がぬけた。

そして午前診がはじまり、私は再び昨日の病院に受診した。
診察を受け、医師から「大分腫れが引いてますね。ここから気道が閉塞するほど腫れてくることはないと思うので、内服の抗生剤を処方しますね。」と言われ、帰された。

こうして、私はあっけなく生き延びたのである。
こんな死に方をしなくて本当によかった。


私のような愚行を冒す人もそうそういないだろうが、
茶碗蒸しの食べ方には、いま一度気をつけていただければと思う。