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見えてるものより、見えないものを隠したくなる

こんばんは。すずきあい です。

久しぶりに雨の降らない東京でした。
午前中、ヨガウエアを着て、その上から服を着て
家から自転車で10分のヨガスタジオへ。
ホットヨガで汗びっしょりになり、スタジオのシャワーへ向かう途中。。。

私は気づきました。

下着を全部忘れてしまった事に!!!!

上も!下も!!

仕方なく、生まれたままの姿に衣類を纏い、スタジオを出る事に。。。
(俗にいうノーブラ・ノーパンです)

駐輪場までのわずか数分でさえ、周りの目を気にして
バッグを不自然に胸の前に抱え、
誰も見ていないのに、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。

衣類を纏っていない顔面は、すっぴんでも全く恥ずかしげなく
堂々と晒しているのに、この違いは何なんでしょうか。


色々考えてみると、私の場合

身体的なコンプレックスを晒すより
内面的なコンプレックスを晒す方が
恥ずかしく感じる事に気がつきました。

ホクロが多い事、蒙古斑がある事、身長が同じ息子の方が脚が長い事
は他人に言えるのに

ずるい事、あざとい事、変態性がある事、、、
は他人になかなか言えない。

目に見えるものは、隠そうと思わないのに
目に見えていないものほど、隠そうとしてしまう。

そして、隠そうとすればするほど不自然な体勢や行動となり
恥ずかしさが増してしまう。。。今日の私のように。

そうなると、目に見えるものは事実=変えられないもの。
目に見えていないものは捉え方=変えられるもの。

となり、ずるい=要領が良い
あざとい=セルフプロデュースが上手い
変態性=常識に囚われない個性

といったように、内面的な隠したいと思った部分を捉え直せば

自ら堂々と曝け出し、胸を張って生きれるような気がした帰り道でした。

それでは、皆様また明日。


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