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それぞれの心理的安全性

ひさしぶりになってしまいました(;’∀’)
noteさぼるのってアウトプットのおさぼりかもね。文章こそ書いているけれど…

さて、最近は「心理的安全性」について、考えたりしています。
最近心に残った出来事といえば、コレに基づいて、「研修」を「ワークショップ」に切り替えたことでした。

「怖い」と感じる心

事故分析の研修をすることになったのがきっかけでした。事故分析の手法と概念を知らない人のために教える入門編、というやつです。(こんなこともやっているのだw)
久しぶりのリアルの研修なので、グループワークもふんだんに盛り込んで楽しんでもらおうと設計していました。学びと同時に目に見える成果物も持って帰ってもらいたいからです。
設計も9割終わったところで、受講する何人かからこんな声を聴きました。
「研修、怖い…」 「なにさせられるんだろう?」
この「怖い」に私はどきん、としました。怖がっている心の人に楽しんでもらうことはできるのだろうか?どんなに素晴らしいプログラムデザインをしたとしても、及び腰になっている人を参加させるのは、それは単なる無理強いにしかすぎないでは…?
しかし、受講はその組織で決められている業務命令であり、自由参加ではありません。
これが、研修に臨む姿勢のばらつきを生むんですよね。恐怖や嫌悪を持った人には、どんな呼びかけをしても、気持ちの防波堤ができてしまっているので入り込めないんです。

そうだ。ワークショップにしよう。

そう思いつくと、急に吹っ切れました。「研修」は学んだことの確認をする。すなわち、解を明確に受講者から言語化してもらい、それを出すことで学習の証明とします。「学びの場は間違ってもいい」とはいえ、間違えることに対して羞恥心を抱く人は多いです。その心が恐怖感や嫌悪感につながるのです。
ワークショップで個々人に求めるのは、それぞれの「納得解」です。それぞれであるから、「間違い」という概念はそこにはありません。そして、その解を無理に口に出す必要はなく、心の中に持って帰ってもらえればよいことです。

と、いうことで、この事故分析の「研修」を「ワークショップ」へとひっくり返しました。
具体的には
・考えたことを、グループでおしゃべりとして共有することはしても、「発表」はしない
・グループでの成果物(模造紙上で分析をしたもの)を「発表」することはしない。
・グループで分析あれやこれやしているときに、隣のグループを見に行ってもいい
そしていつもながらの
・ここで話し合ったことは個人情報が満載なので、外でいわない
と、いうグランドルールを最初に伝えました。

これを掲げ、伝えた時の、皆さんの安堵の表情と言ったら!
もちろん、これも言います。
「今日、この時間を楽しんでください」

この方向転換が正しいとは言えません。それぞれの目的がありますから。
とはいえ、「研修」も「ワークショップ」も心理的安全性がキモなんだな。と感じたときでした。

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