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予行演習の大切さ

2か月に一度開催している死生観対話ワークショップ「デスカフェ」を開催しました。
死について語る、というと、尻込みする方も多いです。とはいえ、「死」を語ることは、実は「生」を見つめ語ることなのです。対話の輪の中にいる方たちは、いつもそこに気がつきます。
私たちが開催する対話の場では問いを用意し、生々しい状況を想定し、その中で思いを巡らせてもらいます。できるだけギリギリ。そんなリアルを創り出します。

できるだけギリギリ

今回のテーマは「承諾と決断」。問いの背景には脳死での臓器提供を取り上げました。
死を前提とした承諾と決断での問いは以下のものでした。

[問1]
あなたには運転免許証を取得した18歳くらいの子どもがいます。しかし、残念なことに事故に遭い、脳死状態になりました。あなたは知らなかったのですが、その子の免許証には「臓器提供の意思がある」と、記入されていました。そして今、病院から臓器提供についての判断を求められました。あなたはどうしますか?
[問2]
あなた自身は脳死になったら自分自身の臓器の提供などはどのように考えますか

皆さん、ご自身の臓器提供については、さらりと語られます。ですが、大切な人の事となるとその思いは揺さぶられます。大切な人の意思は承諾したい。ですが、決断することに躊躇します。それを口に出し、対話をしていくことで、自分の中の気がつかなかった思いに出会えます。
チェックアウトの時の皆さんのそんな晴れやかなお顔を拝見すると、とても嬉しくなります。

予行演習の大切さ

救急の指導者育成のワークショップの話を聞きました。指導の一つに「悪い指導者」をみてどんな点がダメなのかを話し合うそうです。舌打ちをしたり、「モタモタするな!」と怒鳴ったり。救急というギリギリの現場であるらからこそ、指導者としては、そんな感情を出してはいけない。命を救うためにはどうふるまったらよいのか、を考えさせる場です。
予行演習であるからこそ、間違ってもいい。経験があるからこそ、実際の場に臨むことができます。

振り返れば、このデスカフェは予行演習なのかもしれない。自分の心のモノローグは、きっかけがないと取り出せない。ダイアログで心の声を聴いておく。それをしておくことで、人生の波を越えることが少し和らぐのかな?

そんなことを感じながら、また問いを考えています。

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