第99回に対して頂いた感想

第99回聴いてくれたかにゃ?普段よりいろんな人に聴いてくれてて(僕のメンション術もあって、フェミニズムを研究してる方達にも聴いてくれたという謎の現象も起きたw)、リー子とバルニーの話が他の女性にとても刺さったのか、「聞いたよ!すごく考えさせられる!」という感想をいつもよりたくさんもらった。ありがたいことじゃ😭

友達のももちゃんと弥生ちゃんからも感想を送ってもらったんだけど、思っていることをそのまま伝えてくれている感じがすごくして、これは僕だけのモノにしないで、「このような事を考えている人もいるんだよ」と示すように表に出した方がいいかもと思った。ありがたい事に二人ともオッケー出してくれた!(ちなみに、このような感想をシェアしたい人がいたら、送ってね!身バレしたくない場合、お便りフォームからでも)

📷 僕、ももちゃん、弥生ちゃん

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ありのままの自分を認めること

まずはももちゃん(Instagram / Twitter)の感想。ももちゃんはロンドンで知り合った友達。ももちゃんは映画オタクの9月に卒業する早稲田生(文化構想学部、専攻はカルチュラル・スタディーズで、副専攻はサステイナビリティ)。卒論はアニエス・ヴァルダの描いた多様な女性像について書いたらしい。「アニエス・ヴァルダ好きな人いますか?いたらめっちゃ話したい」と言ってたから、好きだったら、エロDM送ってあげて!ももちゃんはnoteも書いているから、もし興味があれば、是非!

ももちゃんの感想はこちら⤵︎

二人の話に共感しながらも、単純にまず思ったのが、女性の外見への呪い?(笑)の問題って奥が深すぎるってこと。

女性の外見って、コスメや美容だったり、社会の経済のシステムに取り込まれてて、常に広告とかの外からの影響に晒されてるから、そこから脱するのって本当に難しいなと実感した。(だからそこに男性の化粧が含まれ始めてることは、女性の苦労を理解するという意味では良いけれども、もしも加速しすぎて化粧しない男性はあり得ないってなるのは良くないなあとも思ったりする。それよりか、女性も男性もするかしないか、自分で決められる、自分の範囲でやるっていうのが理想だけど難しいよね。)

次にリー子さんの話では驚いたし再認識したことがあって、例えばリー子さんって、私はすごい美人だな〜ってずっと思ってて、もちろん元からなのはあるにしても、その美が本人の努力と葛藤で出来上がっていたこと...😭 これって他の女性にも言えると思うんだけど、やっぱり女性って多かれ少なかれ外見に対して敏感だしすごく努力してて、それがもはや日常茶飯事というか、ルーティーン?というか。(ダイエットしたり、メイクしたり、整形したり...etc)今はそれを公表している有名人やインスタグラマー、youtuberもいるけど、一般的なレベルでは、やっぱり一人で頑張ってる人が多いと思う。

だから世間はその涙ぐましい努力を本当に認めるべきっていうか、それを当たり前と思うなよってすごい思った。その世間って、例えばすぐ簡単に女性を老けたとか太ったとかいう人たち。(特に男w)自己満にしても、どれだけ頑張って女性が外見に気を使ってるのか、綺麗な姿を維持してるかわかってる?って言いたい(笑)

私の話をすると、実は高校生の時に私も見た目の闇をめっちゃ抱えてて、色々あって一時期拒食症とかもあった...。(笑)詳しい、かつポエムみたいな文章は下に貼るので読んでみてください(笑)そういう経験があったからすごい理解できた。整形も真剣に悩んだことがあったし。その時は高校生だったし整形が遠いものだったけど、今は身近になってるからこそ、女性が(男性も)すごい迷いやすい状況にあるよな、とも思うな。

あとは、valkneeさんが見た目を気にするのは、表舞台に立つことの影響が大きいのかな?私も映画や演劇に出てる時、やっぱり映りが気になったし、写真や映像だと普通体型では太く見えちゃうから痩せなきゃ、って思ってた。でも本人が言っているように、人前に立つのに慣れたり、他のこと(歌やファンが沢山できることとか、あとは全く違うプライベートで何かあるとか?)に自信が持てたら多少ストップかかりそうだなって感じた。

で、ここからが私の本題!『自信が持てたらやめるんじゃないか』っていう結論が2人の中であったと思う。それももちろん大事だし、外見の問題に関わる重要なことだと思う反面、プラスして欲しい考え方が、(上からかな?ごめんなさいw)

『今の悩んでる自分を含めて全部オールOK!って思うこと』だと思ってる!つまり、認めること。葛藤って、なんで生まれるかというと、例えば正反対のものが2つあって、💗と🐼とする。💗に行くべきだと思うのに、🐼にいっちゃう、それではだめだ、でも行ってしまう...と思って、どちらかに決めよう、決めないといけないと思うから生まれるものじゃないですか?多分。つまり、認めること。葛藤って、なんで生まれるかというと、例えば正反対のものが2つあって、💗と🐼とする。💗に行くべきだと思うのに、🐼にいっちゃう、それではだめだ、でも行ってしまう...と思って、どちらかに決めよう、決めないといけないと思うから生まれるものじゃないですか?多分。

だからこの話でいうと、💗ありのままでいることを認めるべき風潮💗があって、本当は自分もそっちに行くべきだなってと思うのに🐼綺麗でいるべき、いたい🐼方に行ってしまう。ああ、そんな自分がダメなんだ。と思うから、葛藤があって、しかも最終的に自分を責めちゃうみたいな。そうするとそれがまた自信のなさに繋がる気もする。だから悪循環?でも思うのは、本当はどちらかに決める必要なんて特になくて、自分の環境や考えに合わせて変わって良いと思う。グレーゾーンで、心地よくいたら良いと思う。だから例えば今悩んでる自分、アンチエイジングしてしまう自分、整形しちゃう自分も別にそれでもいいんじゃない?って自分で思えば良いのかなって。

それこそ、人なんて大きく括ればどの国いるか、どの会社にいるか、どんなコミュニティにいるかっていう環境で全然変わる。自分を自分足らしめているものなんて、実際は自分だけで決めてる要素よりも周りの影響の方が断然大きいと思うし。だから加えて言えば、本当に死ぬほど悩むことがあれば、できる範囲で環境を変えれば外見に関する悩みも変化すると思う。

あとは人間なんて矛盾の生き物だから、常に何かの信条と一致するのはかなり難しい!これはジェンダー、フェミにも言えると思うんだけど、例えば私だったら周囲や広告、SNSの影響を受けずに女性として自立して、男性と平等でいたい、そういう社会であるべきだと思いながらも、でも一方で可愛い自分でいたいし、可愛いって言われたいし、時には奢られたい...みたいに思うこともある(笑)めっちゃ矛盾(笑)

それはダメだ、フェミニストではないと言われるかもしれないけど、でも前に書いたように、自分の中では、今はそれでも良いんじゃないかなって思ってる。私はそういう人間なんだって、OKしている(笑)だってそう思うんだから仕方ないじゃない?(笑)だからあんまり気にしないで、自分にできる範囲で、社会の風潮に加担せず生きてみる。
2人も、もしこう考えたら少しは悩む時間が減るのかな?って思って、ここまで長く書いてみました(笑)終わり!

途中にメンションしてるポエムはこれだよーん:

「自信持ったら、やめるであろう」というバルニーの意見だったけど、外見のことじゃないからっていう理由できっと納得していたけど、外見の話と同じ事を言ってしまってるかもね。「外見に自信を持つまで、プチ整形するかも」と「内面に自信を持つまで、プチ整形するかも」ってそこまで違うのかな?内面だからってすごい納得してしまっていたけど、このようなスタンスだと自分の内面に自信を持つ状況にまで持っていけるのか?ももちゃんが言っている通り、ありのままの自分を認めれる事に注力した方がいろんな意味でヘルシーかも。

🙏 ももちゃん感想ありがとう🙏

作りあげられた「理想」との向き合い方

弥生ちゃん(Instagram)もロンドンで知り合った友達!第65回にゲスト出演してくれてるから、前からラジご聴いてくれてる人はもう知ってるかも?(99回の最後に「弥生ちゃんをゲストとして呼ぶべきだった!」って言ってたよね)

弥生ちゃんはリー子と同じ芸大で、「Performance: Design and Practice」を専攻。説明しにくい専攻なんだけど、「舞台芸術、映像製作、パフォーマンスアート、etc」らしい。大学の卒展では、ジェンダーに関係するパフォーマンスをしてた。具体的に、「体毛」との向き合い方に関するトークみたいなパフォーマンスなんだけど、自分で作っためちゃくちゃ長い毛を頭に被ってトークするのw めちゃくちゃよかった、、、英語だけど、卒業制作とめちゃくちゃ似てるパフォーマンスをYoutubeにあげてたから、是非!(弥生ちゃん、字幕キボンヌ)

弥生ちゃんの感想はこちら⤵︎

改めて、あの会話に参加したかったなぁと思ったw

ちなみにThe Beauty Myth 私も英語版持ってる!(卒論を書いていた時、参考文献として若干使ったけど、フルでは読めてないので読もうかなと思う。)

私は最近、ほとんどノーメイクで、髪の毛もかなりボサボサだし(梅雨なのでくせ毛がヤバイ)、ファッションもオシャレよりかは楽な格好なことが多いのだけど、その分休日とか、誰かに会う時に、頑張っちゃう自分を客観視することがあるw

普段は、まず寝る時間を増やしたい、そして、汗でメイク台無しになるし、家に帰ってきてからメイク落とすのも面倒だから、っていう理由でメイクしないんだけど、ぶっちゃけお出かけしてメイク頑張った日も、落とすのがマジでめんどいのは変わらないw だから、面倒なのになんで?誰のためにやってるんだ?wってなったりするw

あと、日本に帰ってきてからすごく感じてるのは、環境の変化は自分の美の価値観を揺らがせるし、自分の普段の行動にも変化を及ぼす、ということ。日本はやっぱり、電車とかで隣になった女の人とかの腕を見ると、ほぼ無毛の人が多くて。ツルツルなのよ。卒業作品でムダ毛についてのプレゼンして、半年以上体毛を剃らないっていうこともしたけど、結局夏になって脚出すってなったら剃ってるし、脱毛もう一回行こうかなとか考えちゃうし。(腕は剃ってないけど。w)

これは若干違うかもだけど、ロンドンの時は、ノーブラの時とかもたまにあったけど、日本だとする勇気がない。(男が乳首透けるのはOKなのに、女が乳首透けてるとイヤラしい目で見られてしまうのは、なぜなんだ〜!と葛藤しますね。)

メイクも割と、キツめというか、濃いめだったけど、日本でそれをやると取っつきにくい印象を持たれがちだということもあったりして、最近は薄めになったり。

社会がなんとなく我々女性に期待していること (=Social Expectation) に反したこと (つまり、毛剃らない、ノーブラ、メイクしない、もしくは流行とは違うメイク or ファッションをする...etc) をするという行為は、ある意味快感というか、Empowering (自信がついたり、力付けられるような感じ) ではある。社会からのプレッシャーにも屈せずに、自分の好きなように選択して、自己表現をしている人は、芯があってカッコイイ!と思うし。自分もそういう風になりたい!と思う一方、環境に適応し始めている自分もいて。それが葛藤ではあるんだけど、「そういうもんだよな…」と思ってないとやってらんねぇw、と感じることも。逆に自分にストレスがかかるので。w

難しいよね。

バルニーさんが脱コル運動の話をしてた時に言ってたように、「問題を直視しながら、メイクしたり、脱毛したりするのをやめないのは、社会が女性にかけている圧力に加担しているのと一緒」っていう意見があるのも、わかる。ほんとそうなのよ。そうじゃないと、この悪しき風潮は永遠に消えないし。でも、だからと言って、周りからの目が完全に気にならなくなって、今すぐに全部手放せるのかって言ったら、そうじゃないし。

日本ってやはり集団主義的心理があるから、どうしても周りと違うことをすると、ネガティブに走っちゃうことが多かったりするから、特に勇気がいる。ロンドンに住んでいた時は、多様性があるからというのもあったけど、自分は外国人だから、既に”周りとは違う"っていう意識がなんとなくあったから、そこまで気にせずに色々できたのかなぁ、とも思う。

やっぱり欧米より日本の方がこのようなプレッシャー大きいんだろうな。フランスは特にこのような問題に対してはかなり進んでる国で、職場によってはノーブラ+ニップレスの人普通にいるし、街中はそのような人は普通にいるから、「身体の解放」的に進んでるな〜とよく思う。

弥生ちゃんがもう書いてるけど、日本だと、このようなプレッシャーは圧倒的に男性より女性の方が100倍感じてるんだろうなと思っちゃう。あくまでも個人の感想だけど、男性としてそんなに感じないな、、、

🙏 弥生ちゃん感想ありがとう🙏

バルニー 、リー子のコメント

(リー子)ももさん、弥生ちゃん、ありがとうございます!他にも沢山意見もらったけど、みんな誰しも考えてるよね!総じて認めることが一番健康的に自分を保てるんかなーと思った。弥生ちゃんの感想読んでて思い出したんだけど、わたしもロンドンにいたときまったくこんな葛藤感じたことなかったの。社会に出てなかったからってのも大きいかもしれないけど、圧倒的な開放感だった。メイクは自分を強く見せたいときだけして、ブラもしてない。笑 ルックスによるコンプレックスは留学してすぐに多様性によってかき消された。それまで、自分が普段やってるメイクは西洋顔に近付けるためでしかなかったんだけど、メイクした私よりすっぴんの同級生の方が遥かに綺麗で「もういいや別に」って諦めがついた覚えがある。笑 これはとても良い意味で。だけど日本に帰ってくると、みんな美の価値観が似てて、例えばアイドルのパフォーマンスじゃなくて顔面を褒めがちな世界で、この価値観のなかでちょっとでも抜きん出ないとナメられる、モテない、誰からも求められないみたいな焦りを急速に感じた覚えがある。それは今も少しあるかな。周り気にしながら外見をケアして進む自分を認められるくらい、自分を俯瞰で見たい。

(バルニー)とってもありがとうございます!ここまで読んでも、私は意見変わらないかもw

<ももさんのコメントを受けてつーちゃんが書いてる部分:「外見に自信を持つまで、プチ整形するかも」と「内面に自信を持つまで、プチ整形するかも」ってそこまで違うのかな?内面だからってすごい納得してしまっていたけど、このようなスタンスだと自分の内面に自信を持つ状況にまで持っていけるのか?ももちゃんが言っている通り、ありのままの自分を認めれる事に注力した方がいろんな意味でヘルシーかも。>
・・・これだと私、マジで自分を正当化してプチ整形しまくりそう(笑)

内・外面を自分の納得できる状況にする過程が人生、と思ってるんだよね。「コンプレックスを全てなくして棺桶に入る」って。大学生の頃から友達によく言ってた(コンプレックスそのものを認めるってことも含めて)。
その「過程」が人生だと思ってるから、自分を全部認めるみたいなのも怖いんだよね。その後なにしたらいいか全然分からないわ。心が平穏になって、ペットか子供育てて野菜でも植えるかな?少なくとも音楽はしないだろうね。

もしラジごのリスナーさんや、活動を通して私を長いスパンで見てくれる人がいるならば、「コンプレックスだらけの人間が自分を認められるようになるストーリー」って側面で見たらある意味おもしろいかもね。認められるようにならないかもしれないけどね。

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