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いちだんらく?ひとだんらく? 〜 放送で使う言葉が保守的であるべき理由

「一段落」という言葉がある。

最近は少なくなってきているのかもしれないけど、ラジオで「ひとだんらく」と言うと、リスナーから『その言葉は「いちだんらく」と読むのだ! 放送人として勉強不足だ』という電話が放送局にかかってくることがあるという。

ところが、この記事を読むと、もはや「ひとだんらく」と読む人が6割に達しているとのこと。実際、日常会話はもちろん、テレビでもラジオでも「ひとだんらく」という人が多数を占めてきていることを実感する。パソコンやスマホの変換でも「ひとだんらく」と打てば「一段落」と出てくるようになった。

確かに「ら抜き言葉」を筆頭に、言葉は時代とともに変化している。ただ、「放送」においては、時代とともに変化する言葉に対しては、できるだけ「保守的」であるべきだと思っている。街頭インタビューでの一般の方の声や、タレントのフリートークならまだしも、「言葉」を生業としているプロフェッショナルの喋り手や台本の書き手であるなら、やはり「ら抜き言葉」は使うべき出ないし、「一段落」「いちだんらく」と読んでほしい、と僕は強く思っている。

その理由のひとつは「今までにない言葉を使うことを不快に思う人がいる」ということ。普段、ら抜き言葉を使っている人が「食べられる」という言葉を耳にして不快に感じたという話は聞いたことがない。だけど、ら抜き言葉に抵抗がある人が「食べれる」と聞いたら、やはり不快に感じる、少なくとも気になるというケースはとても多い。

もうひとつの理由は、ちょっと複雑だ。

たとえば「敷居が高い」という言葉がある、

今は多くの人が「フレンチのコース料理は敷居が高い」「クラシックのコンサートは敷居が高い」とか「行ったことのない人には夏フェスは敷居が高いけど」みらいな使い方をするけど、これは本来の意味としては間違いだ。上のリンクにもあるように「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」というのが「敷居が高い」の本来の意味である。それでは受け手によって、意味が変わってしまう。

また、「こだわり」という言葉がある。

昔、あるレポーターが職人にインタビューしたときに「あなたのこだわりは何ですか?」と質問したら、その職人が突然怒りだしてしまった、というエピソードがある。今、日常では、「こだわりの逸品」「店主のこだわり」など、一般的にポジティブな意味で使われているこの言葉も、「世間一般ではとるに足らないと思われていることに対して必要以上に神経を使うこと」であって、「つまらないことにこだわる」という使われかたが本来の意味としては正しい。職人が自分で「オレのこだわりは……」と話すのはいいけれど、相手から「あなたのこだわりは何ですか?」と訊くと、本来の意味で受け取って人には失礼にあたってしまうのである。

参考リンク
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/yougo/pdf/098.pdf

それなら、「クラシックのコンサートは、ハードルが高いと思いがちですが、そんなことはりませんよ」とか「あなたがこの作品で、いちばん魂を込めていることはどこですか?」と、言葉を紡いでいくのが、プロフェッショナルの仕事だと思っている。

ちなみに、テレビやラジオでよく目や耳にする「第1回目」という言葉。これも実は誤用(重言)で、「第1回」または「1回目」と言うのが正しい。僕はラジオの仕事を始めてから何年も経ってから、収録の現場である大先輩に「これは間違ってるよ」と指摘してもらって初めて知ったのだった。

これからもどんどん、時代とともに言葉は変わっていく。だけど、放送においては、「新しい言葉の出現」を面白がるセンスは大切にしながらも、「言葉の変化」には保守的でありたいと思うのだ。

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