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ぼくとくまのはなし(2004-2006)

 ※過去にに書いたテキストを再編集してnoteに残しておきます。

 初出当時、北海道日本ハムファイターズのキャラクター、B・Bがメインマスコットをフレップ・ザ・フォックスに譲り、自身は「北海道みらい大志」の座に就いて一線を退くという発表が2017年のファン感であり、その翌年のオープン戦までは上の試合に帯同してという話がありました。

 ぼんやりテレビの珍プレー好プレーでわきゃわきゃしてる姿を見ていただけで、球団マスコットにさほど興味がなかった私が球団マスコットに、球場エンターテイメントに傾倒していったのは彼の存在があったから、なのです。

 その自分の中でとても大きな存在であるB・Bの岐路に寄せた文章をロストさせるのはもったいないですし、改めて再編集をかけてnoteに残しておきたいと思います。

■はじめての認識

 彼をはじめて見たのは、2004年6月2日の夜。

 前年に勤務していた会社を早期退職し、週末の放送はあるものの、比較的ゆるく生きていたあの日。当時付き合っていた彼女の家でだらだらだべりながらテレビを見ていました。

 見ていたテレビはフジテレビの「トリビアの泉」と言う生きていく上では何も役に立たない、ムダ知識を紹介する番組。前年春に深夜放送からゴールデンタイムに昇格。ムダ知識を自分の中に入れる喜びを感じる性格なので、時間があればその番組をよく見ていたんですが、この日も同じような流れで見ていました。

 前半のメインコーナーが終わった頃、放送時間と予算が増えたからなのか、調べてみたら今後トリビアになるのではないかという「トリビアの種」というコーナーが。くだらない内容を全力で検証していくというその流れが好きで、今日はなんだろうと見ていたところでその日は「プロ野球12球団で一番足の早いマスコットは誰か」と言うもの。

 TBS系列の珍プレー好プレー番組で球団マスコットたちの存在……むしろ、ブラックな星の印象がありましたし、その前のトラッキーvs佐伯(選手)シリーズは本当に大好きでした。そんな程度の記憶と知識の人間が「プロ野球12球団で一番足の早いマスコットは誰か」というコーナーを見ていたんです。

 今はなき高崎競馬場に揃う大阪近鉄バファローズのバフィ、埼玉が付く前の西武ライオンズのレオが欠席する中、各チームのキャラクターたちが競馬中継っぽく紹介されてという、無駄な作り込みに笑う私。その前年、初めて見に行ったパシフィックリーグの試合、千葉ロッテマリーンズと大阪近鉄バファローズの試合では登場していた記憶すらないマーくんを見て「こんな子いたんだ」という風に思ったり、地元の横浜ベイスターズのホッシーはベイスターズマートでおなじみだし……と、色々なことが頭によぎる中、ダート100mのゲートが開いていきます。

 ゲートに引っかかって出遅れるメンツなどが出るなどの予想された展開の中、情報として海外のデザインで生まれたと聞いていた北海道日本ハムファイターズのB・Bが徐々に後続を引き離してゴール。ゴール後の面々がぐったりしている姿などが映り、ダートはやっぱり足取られて大変なんだろうなぁとか、一位を取ったあのアメリカンな香りする熊も含めてだけど基礎体力すごいよね……とか、そんな話を彼女としたような記憶があります。
 
 
「プロ野球12球団で一番足が速いマスコットは北海道日本ハムファイターズのB・B」
 
 
 タモリさんの評価で八部咲きだったこのトリビアの種が、私のその後人生を大きく変えることになるとは、そのときは思いもよりませんでした。

■職業としての球団マスコットの生活を赤裸々に。

 トリビアの泉放映の翌日。仕事を探しながらネットの海をさまよっているとき、ふと「昨日一位になったファイターズの球団マスコット」が気になり、北海道日本ハムファイターズのホームページに。今より彼らの情報が少なかった頃なので、一発目にたどり着いたのが公式だったという形でした。

 そこにあったのは彼が「職業としての球団マスコット」として書くコラム。B☆B'sコラムでした。

 前年オフにデビューしたB・Bのその命名の流れ、思い、商標などのいわゆる大人の事情がストレートに描かれていて、これはなんかすごい熊らしいぞと言うことに気づき、その夜にはトリビアの種の秘話「【#5】「トリビアの泉」緊急報告!」というコラムが用意され、テレビの裏側、球団マスコットたちが集結するとどうなるっていうことがしっかりと書かれていたんです。

 現在の視点で見ても、色々と貴重な資料というか、B・Bがしっかりと残してくれたリアルレポートは読んでてなんかドキドキしますし、球団マスコットやチア、スタジアムDJなどの球場エンターテイメントが大きく花開く前の空気感というのが思い切り伝わって来ます。ただ、若干文体が2004年という、14年前を感じさせるところが端々に見え隠れするのが楽しいですね。
 
 
 その後、おおよそ月に一度更新されるB・Bのコラムを見ながら「職業としての球団マスコット」は凄い世界を生きているんだなぁと、プロフェッショナルの世界というのはものすごいんだなぁと感じながら、聞こえてくる活躍の「人を笑顔にする仕事」というのを見てみたいと言う気持ちが高まっていました。

 ただ、この頃はフリーエージェント期間。時間はあるけどお金は一切ない状態で、気がつけば彼女も去り、蓄えも尽きかけ……と、ギリギリな頃に。実家住まいだった頃なので、ちゃんと職が決まったら、一度でいいからB・Bを見てみたい、実際に動いているB・Bに会ってみたいと言う気持ちが募っていきました。
 
 
 翌年早々、幸いにして新しい場所でサラリーマン生活に復帰。そんな中で野球場にもちらほら行くようになっていましたが、現在の観戦数には程遠く。それでも生活の安定とともに野球場へ足を運ぶ機会が増えていきました。

 GWのマリンに放送中まで言った際、マーくんやリーンちゃんとの記念撮影列の長さに若干引いたり(当時としては長く、今にして思うと全然少ないレベル)、ズーちゃんと記念撮影したり。夏には新顔マスコットのCOOLさんの登場で賑やかになったマリンでみんなの姿を見ていたり、西武ドームでレオさんとライナさんの姿を遠目で見ていたり、現地だからこそわかる球団マスコットの動きを見て、B・Bのコラムでああ書いてあったけど、こういうことなのかなとか、より一層深いゾーンが気になっていました。

 初芝選手の引退セレモニーでのマーくんの動き、アジアシリーズでマーくんとリーンちゃん、そして海外のみなさんの動きなど深い世界の深淵に触れ始めていました。
 

■そしてはじめての出会い

 再び勤め人になって1年が過ぎ、新しいシーズンが始まりかけている頃。前年、実際の球場の楽しさに触れて、2006年はチャンスがあったらもっと色々な球場で野球が見てみたいなぁと思い始めていた矢先、展示会の仕事があり、場所は東京ビッグサイトで一日外出、さらに当時使っていたコンデジを持ってという仕事がありました。

 今でこそ「行けるところは全部行く」に近い形で、日程とにらめっこして行ける行けないを日程表発表と同時に決めているんですけど、当時はまだまだ「野球場に行くということ」の敷居がとても高い時代。それでも東京にいるし、帰りにふらっと寄ってもいいんじゃないかと、お台場から水道橋に向かっていました。

 途中、地下鉄線内でふと、オープン戦にキャラクターたちの出演はあるのだろうかと。あればあのB・Bに会えるんじゃないかと、緊張し始めてしまうという、私にしては珍しい状態に。この頃ももう、普通に放送には関わっていたので、芸能の方にインタビューするレポーター横で動くスタッフとか何回かありましたし、あまり緊張という緊張とは無縁な人になっていたんですけど、すごいと思った熊に、プロ野球の楽しみ方は勝敗だけじゃないんだよってのを教えてくれた熊に会えるとなると、相当緊張していました。

 この日の東京ドーム、北海道日本ハムファイターズと阪神タイガースのオープン戦。今もNPBに残るスコアを見ると、今の装備で戻りたい選手ラインナップだなぁとか、出入りの激しさが素敵だなぁとか、指導者として名だたる人材がとか、両チームとも未だ現役の選手が数人いるのは流石だなぁとか、そんな印象。ただ、本格的な観戦2シーズン目で余りわからぬまま、空気感を感じに行っていたような記憶があります。

 2006年頃なので、現地でネットを使って情報を仕入れるのがちょっとまだ難しかった頃。現在はネットで検索もできれば、球団側も出演情報を出していたり、お客さん側が情報を蓄積していたり、おおよその場所というのはつかみやすいと思うんですけど、当時はお客さんも手探り。コンコースを歩いているらしいという話はぼんやり覚えていたので、オープン戦ということもあり、人気のあまりなかったコンコースを歩いていると……黒いモヒカンの熊がお客さんと触れ合っているのが見えました。
 
 
 そこからはもうただただ緊張していた記憶しかなく。写真をお願いするのに緊張で手が震えちゃってという、自分自身笑ってしまう状況になっていたんですけども、そのときは下手すると入社に向けての面接とか最初の放送のときと比べても、比較にならないほど緊張していたのは覚えています。

 そんなスーツ着たでっかい兄さんが緊張しながら写真をお願いしても、(今とは想像つかないぐらいに(笑))普通にかっこいいポーズを決めてくれたB・B。なんというか、文章でもすごいと思ったけど、実物のオーラはすごいし、本物もすごく。今から考えるとコチラが言葉、向こうジェスチャーといういつもながらの会話はほとんどなかったんですけど、これはもうただただ緊張していたという。今から考えるとほんとに初々しいなぁと思います。
 
 
 2006年3月14日、この日の東京ドームで本物のB・Bに会えたことに、本物のB・Bがいたということにものすごく感動しながら、帰りの東海道線に揺られていた私。この出会いが後にみんなの活躍を見て、「みんなほんとにすごいし楽しいんですよ」って勝手に伝えていくライフワークの根っこになっていました。

 ブログの文章を読んでドキドキしたあの日の思い、初めて会えたときのドキドキした記憶。そんなことを心のどこかにいつも置きながら遊んでいくことになるんですけども、次回はそのあたりの話を書いていきたいと思います。


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