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ラジオポトフで現代川柳の「読み」の真似事をやって以来、あれも読みたいこれも読みたいというわんぱくなモードに入っています。海馬さんの読みバトルイベント『即席川柳合わせ』第二回を観たこともわんぱくぶりに拍車をかけたでしょう。

それはそうと「読み」ってなんだろう?

なにも言わずに(言えずに)はじめます。『即席川柳合わせ』第二回で取り上げられた句を、参加者のおふたりとはできるだけちがう方向性で読んでみました。『即席川柳合わせ』第二回のふりかえり記事は以下に。これから読む各句も同記事から孫引きスタイルでいただいています。

では、以下ぜんぶで9句、一気にまいります。それぞれ長くならないようにしています(そういう鍛錬です)ので、さくっと読んでください!

【1】
へその緒を垂らしたままのいちご狩り
/二三川練

 ■いちごのつるとへその緒のイメージが絡まってしまったので、今後いちご狩りは産婦人科医の目線で参加せざる得ない。垂らしたままにできるのは母体か胎児だろうが、事前にへその緒単品を入手した第三者が人為的に垂らして来ることもある。ない。

【2】
遠い国のあかい血を見たうたにした
/本間美千子
■あかい血をうたに。漢字をひらく手つきに、むしろひらかれなかったほうの理由を思う。遠い国。ひらいて意味を拡散すると捉えられなくなるほどの距離にある国だ。そこで流れる「赤い」血のイメージも悪くはないが、そんな句は最初から無い。

【3】
字幕には「魚の臭いのする両手」
/樋口由紀子
原語には無かった意味を勝手に足したのではないか。映画がつまらなかったわけではない。そうすることが推奨されているように感じる映画だ。混沌としたエネルギーの塊が観客を挑発するようなたぐいの。クストリッツァとかホドロフスキー的な。

【4】
目をふさぐ手を遠くから持て来る
/『誹風柳多留 三篇』
■遠い昔から続いてきた、目を覆いたくなるような惨状。じっさい自分の手で目を覆うと、これまで自分と同じ理由で苦しんできた先祖たちの手がそこに重なってくるようで………と読めた。過去からのはげましではなく、虐げられ続ける人々の苦しみ。

【5】
揺らされちゃった流されちゃった地獄絵図
/鈴木逸志
■二度繰り返される「ちゃった」が「ちゃっぷ、ちゃっぷ」と水辺ではしゃぐ人のようだ、というイメージは、この句の背景を知った後で作られた偽の記憶だが、もはやそうとしか思えない。わざとおどけて客観の位置に立たないと直視できない地獄。

【6】
バイオリンがひとり視線を合わせない
/広瀬ちえみ

■多数の中にある「1」を描いた句を読むと、それ以外の可能性としての「書かれなかった句」のことを思ってしまう。バイオリンがそうでも、チェロとは視線が合っている。コントラバスとも。あっちのあれとも…………ってなんだあれ、知らない楽器だ!

【7】
トラウマになりそこなったサザエさん
/嶋村純
■例の症候群ではなく、単にトラウマ的に忘れられない回がある。編み物に凝りだしたサザエが、ワカメ用のセーターには海藻それじたいのワカメを、カツオ用のものには魚それじたいのカツオの柄をあしらっていた。あの世界が反転するように感じた。

【8】
前任のコーヒーミルがある机
/森山文切
■「前任者が使っていたコーヒーミル」と「ひとつ前に使っていた自分のコーヒーミル」で迷ったのだが、いずれにせよ結局机に置かねばならない。コーヒーミルが「ある」からだ。ところで川柳は、「ある」と「ない」を同じように扱える気もする。

【9】
改札へ急ぐ   △ ○ □
/草地豊子
■これから乗るのか降りてきたのか。ともかく改札へ急ぐ記号は電車の乗客たち=社会の構成員たちに思えるが、せっかく記号となったことで(意味という)縛りからの「解放」を味わった彼らは、《さんかくまるしかく》と発音されることで、こんどは575の定形という縛りに回収されてしまう。どうやっても人は電車や社会その他なんらかの縛りから逃れられないのだな~、と思えておもしろかった。

以上です。

各句の作者のみなさんと、『即席川柳合わせ』第二回のみなさんに、ありがとうございましたの11文字をお送りします!

ありがとうございました

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