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それで結局、子供の頃会ったあの妖怪はなんだったんだろう?

小松和彦 2015「妖怪(大人の探検シリーズ)」を読んだ。
多分、小松先生の今までの研究のエッセンスを分かりやすく書いた本だろう。
面白かった。
小松和彦さんは、文化人類学・民俗学の分野で、ずっと妖怪の研究をしてきた人のようだ。つまり、妖怪について学問的なアプローチについて書かれている。

自分なりにまとめると「妖怪」っていうのは、「理不尽な出来事(病気だったり、自然災害だったり、ひどい人間関係)」が起こった時に、それを説明して納得する手段だった。

水難事故は水の妖怪のせい、とか。「あいつの家」が急に金持ちになり、俺の家が貧乏なままなのは「狐憑き」のせい、とか。女の子が突然いなくなったのは(本当は駆け落ちなのだけど)人さらい妖怪がきたせい、とか。

それはその通りだろう。
俺だって、子供が言うことを聞かないとき、「袋かつぎがくるぞ!」と脅かすことがあるからね。便利なツールなんだよ、妖怪って。

でもね。
全ての妖怪が、「何かを説明する道具」なんだろうか。

じゃあ、俺が子供の頃会ったあいつは?
音とか気配じゃない。
あいつは歩いていた。
一緒に歩いていた親も気がついていた。
怖いので、ここで書くのもはばかられるが…。ほら、雪女の話みたいに、話しちゃったから奥さんが逃げちゃったって話もあるからね。

やっぱり妖怪って実在するんじゃないのか?
大人になると、会えなくなるが、ほんの小さな子供のうちに、誰でも1回は会ってんじゃないの?
皆さんも、そういう経験ありませんか?
学問的なアプローチでは掴めない、不可思議な存在に会ったこと、ありませんか?

見越し入道

絵は、見越し入道という妖怪です。

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