異世界将棋道場 いざよい 第2話

 昼間の問屋街は多くの人でごった返していた。
 革製品、毛皮、織物…様々な商品がうずたかく積み上げられた、迷路のように入り組んだ路地はそれだけで圧巻だ。
 ここに来れば何でも何でも揃う。値段も安い。
 売り手と買い手の間で飛び交う交渉の声が増幅され、あたかも蝉時雨のようだ。ここで売られている商品が、都市生活の日用品となっていくのだ。
 だが、静まり返った店が一つ。染料・顔料の問屋、ベルニケだ。
 鎧戸は閉ざされ、その奥に人の気配はない。
 店が潰れ、従業員達は夜逃げしたのだ。
「なんてことだ…、マジェンタ。もう会えないのか」
 遊び人風の格好をした青年が、問屋ベルニケの前で絶望していた。
 端正な顔を、苦悩で歪めている。
「あいつのせいだ…。血も涙もないあいつが…」

「何い! 得意先に商品の見本が届いていないだとぉ!」
 呉服問屋の主人、カルロは頭を抱えて叫んだ。
「あれは、息子に、グリエルモに持っていくように指示していた! あいつは何をやっているんだ!」
 カルロの店は、オジュマル市の中堅呉服問屋だ。カルロの堅実な商売が身を結び、少しずつ儲けが大きくなってきている。それもこれも、取引先、得意先と信頼関係を築いてきたからだ!
「すぐに代わりの者を手配しろ! グリエルモを信用したのが間違いだった。あいつはどこへ行ったんだ!」
 カルロは手近の従業員に訊ねる。
「何い! ショウギドウジョウとかいう異民族の経営する店? そ、そこは何をするところなんだ?」
 怒りが頂点に達したカルロ。口から炎を吐きそうなぐらいだ。
「な、何をする店なのかよく分からないだぁ? ま、まさか賭博場じゃないだろうな! 案内しろ! そこへ向かう!」
 上着を羽織ると、従業員を一人連れて走り出すカルロ。
 その凄まじい怒りに、周囲の人間はみな道を譲った。

 将棋道場いざよい。
 張り詰めた日常、その息抜きのための穴場となっていた。
 今日の客は、レオナルド、ミケーレ、そしてグリエルモだった。グリエルモは流行最先端の髪型にセットし、スタイリッシュな衣服を身につけていた。十人とすれ違えば、八人が振り返るような見た目だ。
 そのグリエルモと対局しているのがレオナルドだ。
 将棋を覚えたのはグリエルモの方が早かったが、すぐにレオナルドが追いついた。今では、ほぼ互角の勝負を繰り広げている。
 今日の対局は二回目。
 レオナルドが中央に飛車を振り、力戦振り飛車といった作戦をとった。対するグリエルモは居飛車から船囲いのような陣形を組んでいる。どちらが有利か、観戦している井鍋にもやよいにも分からない。
 レオナルドが緑茶を飲んで一息ついた。そしてグリエルモの首からぶら下がるペンダントを指差す。
「グリエルモ、それ、お前が作ったのか?」
「そうです。昔から、綺麗な石をタイルみたいに並べるのが好きでね」
「ほう…」
 レオナルドは感心したような顔をしたあと、盤面に視線を戻した。

 その二人の対局に、井鍋は感心した。彼らには、必要最低限の定跡しか教えていない。「日本」で形成された定跡に当て嵌めてしまうと、カーヌーンガルド独自の発想がなくなってしまうと思うからだ。
 そして、レオナルドとグリエルモは期待通り、独自の、しかし考え抜かれた陣形を生み出したのだ。「日本の江戸時代」のような将棋。しかし、最新の人工知能が編み出したような新しさもある。
 そう考えると、人工知能も含めて、今ある定跡が「局所解」であるという思いが、井鍋の中で強くなった。まだまだ、発掘されていない鉱脈はたくさんあるのだ。

 ガタン! と、入り口の扉を蹴り飛ばすような音がした。
 成金趣味のギラついた中年男が、顔を真っ赤にして入ってきた。呼吸が乱れている。走ってきたのだろう。
「いた! グリエルモ! こんなところで賭け事か!?」
 グリエルモに掴みかかるような勢いで駆け寄る。だが、グリエルモは無視した。
 レオナルドが舌打ちした。
「勝負の邪魔をするなよ、カルロ」
「お。これはレオナルドさん…失礼しました」
 カルロは謝罪のジェスチャーをした。レオナルドといえば、カーヌーンガルド中に聞こえた大芸術家だ。大店の主人とはいえ、敬意は払う。
「しかし、いくらレオナルドさんとはいえ、その不肖の息子をこのままにしておくことはできません! ええい! グリエルモ、簡単なお使いもできないのか!」
 カルロは目鼻の距離まで顔を近づけて怒鳴った。
「うるせーな。汚い商売の手助けなんてしねーよ」
「汚い? 私の商売のどこが汚いんだ?」
 二人は、互いの襟を掴んで罵倒し合う。
「金のために同業者を騙したり、従業員をクビにしたり。あんたのやり方にはうんざりなんだよ!」
「騙す? クビ? 店の利益にならない取引は止めるし、使えない従業員はクビ。でないと店が潰れる。当たり前だろう、悪いことなど何もない」
「それで、何人の人が泣いたか」
「ワシだって泣かされたことはいくらでもある。それでも生き残ってきたんだ。お前の勝手な振る舞いで積み上げてきた信用を失ってはかなわん!」

 突然、レオナルドが立ち上がった。レオナルドは雲を突くような大男だ。実際、彫刻のための石を軽々持ち上げてしまうほどの力がある。喧嘩していた二人は、威圧されて黙った。
「落ち着け、二人とも。カルロ、席に座れ!」
 カルロはため息をついて、パイプ椅子に座った。
 そこで初めて、店の中の雰囲気が奇妙なことに気がつく。
『なるほど、確かに異民族の家屋だな』
 やよいがお茶とネリキリを差し出した。
「どうぞ。急いで来たみたいで、喉が乾いているでしょうから」
 確かに、店からここまでずっと走ってきたのだ。喉が乾かないわけがない。
 お茶をがぶ飲みし、ネリキリを一口で食べるカルロ。不覚にも、美味いと思ってしまった。
「ふう、すいません、皆さま。ちょっと冷静さを失っていました」
「悪いな、カルロ。あと少しで決着がつくんだ」
「ええ…」
 沸点を過ぎたカルロの心は、逆に落ち込んでいった。肩を落として座っている。
「なあ、グリエルモ。それをやりながらでいいから聞いておくれ。お前、まだベルニケの娘のことを根に持っているのか?」
「…」
「なあ、そうなんだろ」
 1ヶ月前に、顔料・染料問屋のベルニケが潰れた。カルロの店と取引があったのだが、店主が商売下手で傾いていた。心労で店主が亡くなり、従業員は逃げ出し、ついに閉店へと追い込まれたのだ。そこの娘のマジェンタの行方は分からない。遊郭に売られたとも、路頭に迷って亡くなったとも噂が立っている。
「お前とマジェンタは仲が良かったからな」
「あんたがお金を融資しなかったから、潰れたんだ」
「いくらお金を融資しようと、あの店主の力量では潰れていた。下手にかかわれば、こちらも巻き添えを食った」
「だからって、まるで知らん顔なのかよ!」
「…ワシが金を稼いでいるから、お前がブラブラしていられるんだぞ。それを…」
 再び怒りが湧き上がってきた二人。それを制するレオナルド。
「リョクチャでも飲んで、落ち着け」
 いつの間にかやよいが、リョクチャを注いでくれていた。
『気の利く娘だ。ワシの店に欲しいぐらいだ…。そういえば、マジェンタも気の利く優しい子だったなぁ』
 カルロも冷血漢ではない。心のどこかがズキリと痛む。そんな痛みに耐えて、商売を大きくしてきたのだ。グリエルモにはそこが分かっていない。
 グリエルモは真剣な顔をして、手を読んでいた。
 今は、詰むや詰まざるや、の局面。
 あれだけ頭に血が上った後であるのに、グリエルモの差し手は冷静だった。お互いに秘術を尽くして、追い上げていく。
 カルロは、息子の真剣な表情に見惚れてしまった。
『息子がこんな真剣な表情をするところを見たことがない』
 グリエルモは昔からひねくれた子供だった。「ご飯を食べろ」と言っても聞かず本を読み、『勉強しろ』と言えば友達と遊びに行ってしまった。
 だから、と言うわけではないが、商売の忙しさもあって構ってやることができなかった。何が好きなのか、将来の夢は何なのか、そんな話もしなかった。
 今、グリエルモは本気で考えている。普段の斜に構えた目つきではない。
 グリエルモが勢いよく駒を打った。
 レオナルドがため息をつく。
「詰んだな。負けだ。お前の守りが堅くて、王手がかけられなかった」
 井鍋が大きく拍手をする。
「グリエルモさん、見事な戦いでした。コマの連携を意識した美しい陣形です。私の故国ではelmo囲いと呼ばれていますが、教えたことはありませんでしたね」
「いや…、コマが連携して、お互いの弱点を補い合った形を模索していて思いつきました」
「私の故国で、将棋の歴史は四百年ほどありますが、ここ数年でようやく発見された形です。それを異国で見られるとは、感無量です」
 井鍋の顔は、涙で潤んでいた。何か、彼の思想を刺激する将棋だったのかもしれない。
「グリエルモ、お前、それだけの思考力と、美に対する感性があれば…商売より、もっと…」
 レオナルドが悩ましげな表情をする。そこにカルロが割り込んで来た。
「グリエルモ、ワシにも悪いところはあった。帰って、話し合おう」
 カルロは、一人の父親の顔になっていた。グリエルモも渋々同意して、立ち上がろうとした。
「帰るのは、少し待ってくれ」
 レオナルドは絵具で汚れた鞄の中から、色とりどりのガラス片を取り出し、机の上に並べた。
「これを、お前が思う、美しい形になれべてみろ。自由に」
 最初不思議そうな顔をしていたグリエルモだが、そうしたことが好きなのか、すぐに手を動かし始めた。将棋を指している時に負けない真剣な表情だ。
 やがて、万華鏡のような美しいモザイクが出来上がった。
「やっぱり、思った通りだ。お前には、模様を構成する才能があるぜ。その点に関しては、俺より上かもしれない」
 ポカン、と口を開けるグリエルモ。
「オレの工房で働いてみないか。大変だが、才能を活かせる」
 急なことでどう反応していいか分からないグリエルモ。目を白黒させている。
 カルロがグリエルモの肩を叩いた。優しい笑顔を浮かべている。
「お前の自由にしていい。店は、優秀な従業員に継がせた方が今後のためかもしれないからな」
 そう言って、カルロは踵を返した。自分の店に戻るのだろう。

「少し、考えさせてください」
 頭を抱えるグリエルモ。
「そのペンダント、幼なじみのマジェンタのために作ったんだろう? 高価な宝石が埋め込まれている。売れば、お金になる。少しでも助けになればと思って作ったんだな」
「…はい…」
「実はな、マジェンタはオレの工房で絵具の調合の仕事をしてもらっている」
「え?」
「いろいろしがらみがあるんで、誰にも言ってなかったんだが、頑張って働いているよ」
「やった! マジェンタ、生きていたんだ! 遊郭なんかに行ってなかったんだ!」
 グリエルモは飛び上がって喜んだ。
 *
 賑やかだった道場に、井鍋とやよいが二人きり。
「グリエルモさん、工房で働くのね」
「ああ…、将棋の才能もあるが、将棋に専念しても、カーヌーンガルドでは稼げないからな」
「でも、そのうち、プロの棋士が誕生するかもよ」
「その時には、私よりも強い人が現れているだろうな」
 井鍋は窓の外を見た。景色は、すっかり現代日本に変わっていた。

第三話はこちら

この記事が参加している募集

スキしてみて

将棋がスキ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?