アンジェラ・アキ「This Love」について
唐突だが、「This love」という歌をご存知だろうか。だいぶ前のアニメ「blood+」でエンディングに使われた曲である。このアニメはすごく面白かったし、曲も全部良かったのだけれど、それは置いておく。
This loveの歌詞を調べていただければ分かるように、なんだか壮大なことを歌っている。初めて聞いたとき、オレは感動した。
だが、感動はしたけれど、その歌詞の意味は実はよくわからない。
例えば「信じる力が愛を自由にする」という部分がある。これはどういう意味だろう。哲学的なことを歌っているようだが、わからない。アンジェラさんの歌唱力で洗脳されてしまいそうだが、やはり意味はわからない。
ずっと、もう十年以上、この歌詞の意味を考えてきた。最近、少しだけ分かったような気がしている。
「約束というわたしたちのコンパスだけではこの恋は方角を見失うの」という歌詞がある。
「約束」は常に言葉でなされる。
私たちの社会は言葉でなされた約束で溢れかえっている。国家同士の条約、法律、個人の契約。婚姻届も言葉による約束の一種だろう。
「約束」がなければ、わたしたちの社会は崩壊する。
だが、同時に、わたしたちは恐怖に怯えている。約束はいつか破られる。婚姻生活は破綻するかもしれない。戦争が起こるかもしれない。裁判官が誤った判決を下すかもしれない。政治家が国民を裏切るかもしれない。
どんな緻密な約束事も、実はよりどころのない暗闇の中に浮かんでいる。
相手への不信の裏返しが、「約束」なのかもしれない。
それでも。
愛する人が隣で眠っているとき。
愛する人を抱きしめるとき。
そこには不信ではなく、信じる力がある。言葉では決して辿りつかない、信じる力、ぬくもりがあるのだ。
信じる力。
相手への不信を克服する力。「約束という言葉」を超えた力。
それがあるから、我々は誰かを自由に愛することが出来るのかもしれない。
もちろん、我々が「愛」と呼ぶものは、生理学的には「体内のホルモンバランス」や「脳内物質」や「性欲」に還元できるのだろう。科学が進歩すれば、愛とはどのような物理現象であるか、完全に分かる日が来るのかもしれない。つまり、愛とか自由とか信じるとか、それも言葉の中に回収されてしまうかもしれない。
だが、それでも。
「全体は部分の総和以上の何かである」
これはアリストテレスの言葉だ。
愛は「愛を構成する諸要素」の総和以上の何かである、と言えるかもしれない。「人の心」、「誰かを愛するということ」、「誰かを信じるということ」、それを科学の言葉で言い換えたとしても、それでも消え去らない何かは残るだろう。
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