子宮筋腫のこと(退院の日)

5泊6日の入院を経て、ついに退院の日。

(手術の前日に入院、2日目に手術、その後4日間は退院までの経過観察になるのが、腹腔鏡の場合の一般的な入院期間のようです。)

午前中に退院の手続きがあるので、準備しておいてくださいとのことで、身の回りを片付けたり、精算しに行ったりしました。

精算のために、はじめて入院病棟から出て、エレベーターに乗って、診察エリアを通る時、とてもびくびくしたのを覚えています。

ただ診療に来ている人の中を通って精算に行くのか…と思うと、今後自分が総合病院に行くときは、もっと周りの方に気を付けて歩こう、と思いました。

歩けるようになっているとは言え、まだ術後数日。

お腹の痛みを感じつつ、お腹を庇うように、周りの人に注意して、ゆっくり歩いて行きました。


予め限度額の申請書を会社から出してもらっていたので、自己負担分のみの支払いで、十数万円の支払いで済みました。

私の場合は、加入していた保険が降りれば、入院費用は全額返ってきました。

もともと差額のない病室で希望を出していましたが、「どの病室になるかは他の患者さん次第でもあるので入院前日にご連絡します」と言われており、私の場合は差額なしの6人部屋から4000円/1日の4人部屋になったので、5泊分の2万円は、保険の対象になりません。

ただ、私の保険は女性独特の病気に伴う手術の場合1日5000円(たしか)出るものだったので、これだけでほぼ自己負担額はゼロになります。

もちろん、通院にかかった費用とか、つどつどの診察料とかホルモン注射の費用とかは、自己負担のままなので、決して儲かりはしないのだけれどね。


ただ、退院前に個人的に大きな問題が。


私は、普段一人暮らしで、だいぶ一人で過ごすのが好きなので、6日間も他人がずっとどこかにいる空間で過ごしてきたことに、大きなストレスを感じており、「早く家に帰って一人で思いっきりだらだらしたい…!」と、強く思っていました。

大好きな米津玄師のシングル発売記念のYouTubeラジオを聴いて、早く家に帰って一人でCDを聴くんだー(入院中の発売だったのでAmazonで注文してあって、ポストに届いているはず)、と、一人で過ごす時間を心待ちにしていました。

そんな中、母から突然のラインが。

「今○○(空港から病院までの間にある駅の名前)です」


一瞬、訳が分かりませんでした。

え?なんで?


熱が下がってからだいぶ元気になったって、言ったよね?

なんで来るん??


突然来ることに困惑している旨の返信をしたところ、

「やっぱり心配だったので」

とのこと。

もう羽田まで来てるんだったら、どうしようもない…と、とりあえず病室を出る予定時刻を伝えました。


母さんは心配してくれてるだけだから…

私が一人になりたいのは、私の都合だから…

と、言い聞かせようとしましたが、やっと一人になれると思っていたところに母が来るということ(身内であっても、気を遣ってしまう性分なのです)に対して、ふつふつと怒りが込み上げてきました。


母が来た頃には、なんともない風を装おうとしているものの、そっけない態度を取ってしまいました。

スーツケースも、「自分で持てるけん。もう平気やし」と言って自分で運んだり。

帰りはもともとタクシーを使う予定だったし(家から遠くない病院なので)、うちにはエレベーターもあるので、ほんとになんで来たんだろうと、母の「でも心配」オーラを受けてどんどんイライラは募っていきます。


そして、帰りのタクシーの中で、はっきりとは覚えていませんが、母からの「仕事を休んできた」的な言葉に、たぶん人生で初めて、母に対して本音の文句を言いました。

「私、よくなってきたって言うたよね?頼んでないよね?心配を押し付けるんやめてくれる?私やって、母さんがわざわざ仕事休んでくれたこととか、高いのに直前に飛行機予約してくれたこととか、心配してくれてることで負担かけてるの分かってるから、こんなことほんまに言いたくないけど、入院や手術でストレス溜まってたからやっと家で一人で過ごせると思ってたんよ。母さんは気にせんでええって言うけど、おったら気にしてしまうんよ。周りのことを思いやって配慮するように育てたん、母さんやん。こんなこと言うたら母さん傷付けるんは分かっとるけど、今そんなに余裕ないけん、気にせんでええって言うんなら言わせてもらうわ。」

的な。

今思っても、自己中の塊でしかないと思うのですが、なんというか母の心配とか正しさの押し付けがましさというか、そういうものが、退院直後のメンタルでは我慢ならなかったのです。


家に帰ってから、続けて、母さんが結婚に関して聞いてきたり友達の結婚の話で会うたびにプレッシャーかけてくるのもほんまにストレスやし、みたいなことも付け足して言ってしまいました。


母に対して文句を言ったのが、タクシーの中だったのか、家に帰って来てからなのか、覚えていませんが、そこから母と近所のピザ屋に出かけてテイクアウトのピザを買って来て家で食べました。


母は、私の発言にひどく傷付いたようでした。

当たり前です。

手術後苦しそうにして来た娘を置いて帰って、それからもずっと様子が気になっていたのでしょう。

退院しても大変だろうから、なんとかできることをしてあげたい。

そんな気持ちで、東京に出て来てくれた母の気持ちを、私は踏み躙ったわけですから。

でも母は、私の一人で過ごしたいという意思を尊重して、急遽友達と会う約束を取り付けて、私を一人にしてくれました。

結局その日はうちに泊まるつもりだったようなので、夜には帰ってくるのだけれど、やっとできた一人の時間を、心から安心して過ごすことができました。

後は、弟に愚痴のラインを送って、兄弟間でしか得られない「母さんってそういうとこあるよな」の共感を得たことで少し満足したりとか。


母は母で、友達に愚痴って来たようで、帰って来た頃には私も冷静になっており、昼間の暴言を改めて謝罪して、2人で近所の焼肉屋に晩御飯を食べに行きました。

余談ですが、退院直後に、ピザとか焼肉とか脂っこいものを食べるのは、あまりおすすめしません。


退院した翌日の昼には、弟もお見舞いに来てくれて、3人で中華料理を食べました。



今思っても、母に対して申し訳なかったな…と思うと同時に、でもこの出来事があって、母に言いたいことを言えて、よかったな、とも思っています。

私にとって母は幼少期から【絶対的】存在で、母がどう反応するかにいつもびくびくしながら過ごしていました。

決して虐待されていたとか、険悪な関係だったとか、そういうのではなく、関係としては良好だし仲もよかったのですが、大人になってからも、どこか反抗できない部分がずっとありました。

たいていの家族がそうなのではないかとは思いますが、本音で母に対して思っていることを言う機会なんて、なかったのです。

ただ、母を傷付けはしたものの、言いたかったことを言って、母は母で、私にそんなにストレスを与え続けていたのかと、反省したそうです。

それ以来、私に彼氏ができたかどうかとか、結婚の話とか、友達の子どもの結婚の話とか、そう言うものを一切して来なくなりました。

気を遣われている感じはあまりないのだけれど、私が本当に嫌だと思っていることを、ずいぶんと理解してくれたようです。

結果的に、この出来事以降での母との会話でのストレスは大幅に減りました。


後から聞くと、私に暴言を浴びせられた後、母は父に、来なくてよかったのにと言われた、というラインを送っていたそうです。

父は、「そんなこと言えるくらい元気ならよかった、行った甲斐があったな。」的な返事をしてきたそうです。

暴言についても、結局のところ母への甘えから出てきたものですが(受け入れてもらえるとは思えない人に、そんなことは言わないので)、まぁとにかく言ってよかったです。

退院してしばらくしてから、母もこの話は笑い話的に扱ってくれましたし。


今回の話は、私個人にとって母との関係を進展させるすごく大きな転機になったことなので書きましたが、おそらく誰の参考にもならないと思います。

入院って何もしなくても思ってる以上にストレス溜まってますよ、ということと、退院後の食事は脂っこいものは避けた方がいいと思いますよ、ということだけ、最後にまとめておきます。


退院して、子宮筋腫シリーズも終わりかと思いきや、もう少しだけ続きます。

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