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カメレオン

写真は、11月中、神奈川のはるひ野〜黒川間で開催されている、黒川里山アートプロジェクトに出展されている方のものです。
11月の頭に友人の作品を見に行ってきましたが、長閑な風景に癒されまして。
こちらの作品は、カメレオンぽいなと思ったので、拝借いたしました。

私は屡々、友達に会っても気付かれません。
誰も顔を覚えられない女、的な、サスペンス・ホラーの犯人役ができそうな気がします。
たぶん髪型が比較的頻繁に変わるからだと思うのですが、その度、人の記憶力とか認知力って頼りないものだなと思います。
決してそういう友達をディスっているわけではなく、あまりにもよくそういうことがあるから、これはそろそろ私の側の問題なのかも知れない、と、思い始めました。

昨日、カメレオンを見ました。
薄茶色の背景の水槽で、茶色い木の上に載っていたからか、薄い茶色をして、じっとしていました。
少し時間が経ってから、私はカメレオン的に生きてきたような気がしてきました。

周りから浮かないように、目立たないように、同化するように。
子どもの頃からどちらかというと聡明で、普通に授業を受けているだけでも目立ってしまうことが嫌だったのだと思います。
今でも、大勢人がいる場で、質問や発言をするのは嫌、という方がおられると思いますが、たぶんそれと同じです。
子どもながらに、目立とうとしているように見えたり、いじられるのが嫌だったんだと思います。
子どもの頃ヨーロッパに住んでいた、という話をあまり人に積極的にしないのも、もちろん既に昔のことすぎて話すほどのことでない、ということもありますが、変な注目のされ方をするのが嫌だったのだと思います。

つまり、カメレオン的に生きるのは、私の処世術でもあったというか、その方が安全だった、ということかなと。
自分は何ができるとか、どんな経験があるとか、主張するよりも、周囲になるべく馴染む生き方をしている方が、楽だったんですよね。
もちろん、気のおけない友達もたくさんいるし、慣れてきたり相談されたりしたら、自分の考えを述べることもあるので、ストレスを感じたりはしていないのですが。

なんとなく、そういうことなのかもー、と思ったので、書いておこうと思いました。

知ってる人がたくさん集まる場所が苦手なのは、自分が覚えていない人がいるのと、単純に人が多いのが嫌なんだと思っていましたが、自分が誰だか分かってもらえないことがあるからなのかもな、とも感じました。
友達のように話しかけて、相手に認知されない場合、自分も少しは寂しいですし。
何より、相手に「この人、誰だっけ…?」をさせていると思うと、ちょっと申し訳ない気もします。
まぁ、それは相手の問題ではありますが。

意識的になれば、変えたいのか変えたくないのか分けたいのか、選択肢が生まれるので、これからはカメレオン的にやり過ごしたい場面と、そうでない場面をうまく使い分けて生きていきたいです。

昨日見たカメレオンは、一つの水槽に2匹いて、どちらも茶色になっていました。
隣の水槽のイグアナは、コバルトブルーのような綺麗な色をしていましたが、1人でいました。
イグアナももちろん可愛かったし、格好いいなと思ったのですが、私はカメレオンの方に謎の親近感を感じ、余計なお世話だと思いますが、2人いてよかったね、と思いました。

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