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夢現徂徠

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ロマンの織物/澱物
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#随筆

小人閑居してデジタルデトックス

 日頃から「流行りすたりに興味なし」とかうそぶいているくせ、座右のMacBookProがブラックアウトして使えなくなるや早速「デジタルデトックス」と当世用語を並べ立てる節操なき小人が、ここにいる。是非もない、いくら精神を紀元前アテナイに19世紀末パリに遊ばせようと肉体は令和六年ニッポンから逃れられないものだ。それならたまには現代人を気取ってみてもバチは当たるまい、確定申告も済ませたところだし。  前段の「ブラックアウト」は「画面に何も表示されない状態」にふさわしいかと感覚的

イヌと語れば

 英語、仏語、独語、古希語、簡体字、と学習してきたのは、とどのつまり犬語を解するためのような気がしてならない。6年前に実家の柴犬ケンが亡くなってから、そんなふうに感じるようになった。 「やあ」 「あっ、久しぶり!」 「調子はどうだい」 「おなかすいたよ」  夕方16時半ごろ散歩に出れば、住宅街を闊歩する面々と歓談できる。語学なんでも「習うより慣れろ」の鉄則で、そうして5年はうろうろしてきた。 「なんだ、しけたツラしてんな」 「腹減ってさ。そっちはたらふく食えてるみたいで

凡人、あまりに凡人

 数年前、吉田秀和を読んでいて、あるピアノソナタを知った。楽匠ダニエル・バレンボイムが弾く第一楽章にぞっこん惚れ込み、常住坐臥いつも流すようになった。  まもなくふらっと古書店をのぞいたら、その楽譜を見つけた。夥しい音楽関係の平積みに、1955年ヘンレ社発行の原典版が燦然と紛れていたのである。五百円、考える前に手が伸びた。  運命とはこういうものかと、翌週にはまあまあ質のよい電子ピアノをワンルームに据えた。本棚二架を処分して、マットレスやらカーペットやら模様替えして、防音

もの思う青

 毎年ほぼ欠かさず罹患する病といったら、インフルエンツァでも武漢病原体でもない。大型連休が終わり、今後しばらく祝日なしと絶望する朝ぼらけに突然やってくる、そう「五月病」である。  身も心も泥のように重たくて、どこにも行きたくないし何もしたくない。ひどいときは抑鬱症状にまで発展してしまう、あれだ。  ストレスから自律神経の働きが鈍る、日照時間が減ることでセロトニンが分泌されづらくなる、という二点が病理という。これは年を取ったらひしひし身に沁みるようになった「季節の変わり目」

めげずくじけずダンディズム

 上京したてのころ、最寄りの駅前にある某アメリカ産チェーンのバーガー店によく通っていた。地理か英語かの教科書でしか見たことなかったハンバーガーが100円(当時)で、これが大東京かとお上りさんの目には輝いて見え、それで腹を満たして講義に出るのがスタイリッシュだとオシャンティだと思っていた。バカである。  ある深夜、なんの帰りか、立ち寄った。客も店員もまばらな中、注文してボーッと待っていると、奥から出来上がったバーガーひとつが二三歩の幅の調理台を滑ってきた。  「ファスト」の