日常

今日は日常についてのお話

今、僕は当たり前のように息をして
欲求をありのままにみたして
そんなことを常に意識するわけではなく生活をしている。

ただ、そんな日常は今危機的状況を迎えた。

世界的なウィルスが個人だけではなくて
世界全体の歯車を狂わせている。

そんな時にふと思い返すのが
日常というものだ。

僕は今幸せな生活ができていると思う。
ちゃんと家に住んで
ご飯に困らず
お金は裕福ではないけれど
仕事もあって
愛している人もいる

1番の幸せは、


当たり前の日常が当たり前のように送れることなんだ

そうやって感じることができるようになったのは
ひとつの成長なのかもしれない。
日常じゃなくなるときは、なにか起こったときだ。
いつもそばいた人が急にいなくなったり
いつも行っていた場所がなくなったり

そう考えると「日常」と「いつも」は特別な関係でもあるのだろうか。
意味もほとんど同じようなものだからかな。

少し話は逸れたが、僕が当たり前を感じたのは
ベタかもしれないが
4年前、初めて一人暮らししたときだろう。
大学が近いから親戚の家を借りて一人暮らしをはじめた。
1人で
朝起きて
朝ごはんを食べて、歯をみがく
1限に間に合うように、急ぎ足で駅に向かう
4駅の満員電車に揺られながら
眠い目をこすりながら

友達としょうもない会話をして
バイトへ向かう
帰ってくるのは23時過ぎ
部屋はいつも通り汚い
朝出たときと同じだ
誰も迎えてくれない
バイトで汚れた身体をシャワーで流し
ようやく自分の時間
そんな日常をひたすら繰り返す

もちろんこれが毎日というわけではない
大学がない日もバイトがない日も、たまにはデートだって
けど、やっぱり今までの日常とは違う

おかんに朝早く起こされて
片付けるのが面倒くさいから親父と同じ時間
6時には朝ごはんを食べさせられて
高校に行っていた
その間に、洗濯やら掃除やら、きっとおかんが1番苦手なこと
この血はちゃんと受け継いでいるからよくわかる。

部活から帰ってきたら、必ず迎えてくれた
ご飯が出てきた

そんな日常がどれだけ幸せかなんて当時はわかるわけがない
なぜならそれが当たり前だから
人間が呼吸をするのと同じ
誰も意識なんてしていない

離れてから実感するのだ。
頭ではわかっていても、溶け込みすぎていて中々気付いてあげられない。

日常は環境に大きく作用する。
環境が変われば
日常も大きく変わる。
一生付き合っていかなければいけない。
どんなにしても離れない。

僕は誰かに与えられた日常を大切にしなければならない。
当たり前で気づきにくいかもしれないけれど
与えられた日常に感謝することを日常にできたら
それは紛れもない幸せ者になれるだろう。





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