おかん

今日は、おかんの話

こんな質問はどうだろうか。
あなたはお父さん子?お母さん子?
大半の人は、お母さん子の方が多いのではないだろうか。
理由は単純で
一緒にいる時間が必然的に長いからだろう。
おかんが子どもの面倒をみる。
そんな昔からの風潮なんて言葉で片付けたくはないが
現実問題そういうことになっている。

僕も紛れもなくお母さん子ってやつだろうか。
面倒をみてもらったのは圧倒的におかんの方が長い。
一人っ子というのもあるのかもしれない。

まぁ正直なところ、面倒くさいところはある。
干渉しないでほしいことも干渉することもあるし、
しつこいことだってあったかもしれない。
大学に入って親元を離れて
一人暮らしをはじめて
最近は直接関わる機会がなくなってしまったわけだが
今でも面倒くさいなって思うことはある。

それでも少し見方が変化したのは、
間違いなく高校の時だろう
もちろんたくさんの失敗をしたのもあるが

おかんは癌だった。
それを知らされたの高校2年の秋頃だっただろうか。
大切な話があるとリビングで
めずらしく親父がいるなかで

きいたときは状況がうまく把握できなくて
まずそれが治るのかどうか
いつ治るのか
後遺症は残るのか
死に少し触れた瞬間だった。

そこか長きに渡る抗がん剤治療が始まった。
抗がん剤
なんとなくきいたことはあった。
髪が抜けたりするのはイメージしやすいだろうか。
おかんはおかんだけれど
明らかにいつもより元気がない。
たまに不満が爆発して泣き崩れてしまうことだってあった。
本人が1番苦しかったに違いない。
自分が自分でなくなってしまうそんな気がして。
僕だったら耐えられるのだろうか。
身体も思うように動かない。
僕は何も出来なかった気がする。
なんか出来たことがあったんじゃないだろうか。
それは手紙だって、なんだってよかったじゃないか。
そんなことが頭をよぎる。

次の年の夏
手術があった。
たしかあれは次の年の夏だった気がする。
僕の誕生日が近いあの日。
親父が仕事で休めないから、
僕が1人で面会に行ったんだ。
手術の経過の話をドクターからされた。
摘出手術はなんとか成功し
一面はとりとめたわけだが、
安心はできない状態だ
簡単に言うと、血液が上手く身体に巡っていないらしい。
特に足に関しては、毛細血管だけでなんとか血液を巡らせている状態だ。
最悪の場合、歩けなくなると
その現実を受け入れるのには
まだ僕は幼すぎたのかもしれない。
ドクターはしっかりと話してくれた。
今の状態をそれから、これからどうするべきなのか。

そんなときから少しは意識が変われたんだろうか。
たくさん甘やかされて育ってきた。
なんもかえすこともできていないだろう。
冷たくあしらってしまうかもしれない。
中々素直になれない自分をどうか許して欲しい。
後悔してからじゃ遅いとわかってるのに
行動しないと行けないとわかっているのに
親に対しては中々できないものだ。
いつかにしないようにするから。

それまで一緒に元気で生きよう。

最後にGReeeeNの「父母唄」という曲を紹介させて欲しい。
この曲は、2009年に発売された
「塩コショウ」というアルバムの1番最後の曲

タイトル通り父と母に対する感謝を表現している。
僕はこの曲に小学生のときに出会って
今22歳の自分がこの曲をきいてみても
本当にこの通りで

父よ母よただありがとう
何度言ってもも足りないよ
素直に言いたい気持ちを
あなたがくれた愛はすべて
今もこれからも僕になる

(GReeeeN 塩コショウ 父母唄)

多分これからもたくさんの迷惑とかけるし
かけられることもあるかもしれないけれど
しっかりとして形で残したいよ。

ありがとう

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