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ウクライナ危機の背景2 クリミア・タタール人とは

前回からウクライナ情勢がよくならないのでなのだ。そして相変わらずウクライナ情勢についてNATO寄りの見解を垂れ流す本邦メディアに危機感を抱いてるのだ。そこで今回はもうひとつのクリミア問題、クリミア・タタール人についての話をしていくのだ。例によって見解がロシア寄りなのでウクライナ寄りな意見をみたいひとは別なところを見てほしいのだ。

クリミア・タタール人とは

クリミア・タタール人は元々クリミア半島に住んでいた先住民族なのだ。つまりウクライナ人よりもロシア人よりも先にクリミアに住んでいた人なのだな。遊牧系民族の一つテュルク系のうち定着して枝分かれしてそれぞれの地で文化を築いた人なのだ。有名なテュルク系民族はトルコ人、アゼルバイジャン人、カザフ人とかを思い浮かべてもらうといいのだ。

クリミア・タタール人は他のタタール人(ヨーロッパに進出したトゥルク系の人)と共に自らの国を各地に作ったのだ。それがクリミア・ハン国なのだ。~ハーンというところで察してくれた人もいると思うけど当時はモンゴル系とテュルク系あわせてタタール(韃靼)と呼んでいたのだ。

クリミアだけでなく東欧のあちこちをタタール系に支配されていた時期をスラブ系ロシア人はタタールの軛と呼んで屈辱の歴史としていたのだ。それが後の悲劇を招くことになるのだ。

その後クリミア・ハン国は滅亡しロシア帝国の県に、ロシア革命がおきてからはロシア・ソビエト領ながら一定の民族自治が認められたクリミア自治ソビエトが誕生したのだ。ソ連の少数民族として安定して生きられるかと思いきや、あいつがかきまわしてきたのだ。みんなしってる粛清おじさん、ヨシフ・スターリンなのだ。

スターリンは国内のクリミア・タタール人他テュルク系の人を「ナチスドイツと共謀して反ソ活動をした」という理由で中央アジアに飛ばしたのだ(もちろんこれはスターリンの言いがかり)

それがクリミア・タタール人の心の傷になっていることは今でも想像に難くないのだ。それが今のクリミア社会を二分している原因となっているのだな。

その後民族比を減らしたクリミア自治共和国は州に格下げ、最終的にはロシアからウクライナに管轄が移ったのだ。当時からロシア人のほうがウクライナ人より多かったけど同じくにだしあいか、みたいなところがあったのかもなのだ。

クリミア・タタール人になにもしてこなかったウクライナ政府

ソ連崩壊後のウクライナでは引き続き自治共和国として存続したのだが、ウクライナは前のノートにも書いた通り、ウクライナ語の画一政策を行っておりお世辞にもクリミア・タタール人に優しい政権とは言えなかったのだ。

クリミア事変からのロシアはそこはうまかったのだ。クリミア議会で民族マイノリティの議席を割り当てる、そしてクリミア・タタール語の公用語化を約束したのだ。最終的にクリミアにすんでたクリミア・タタール人のうち7割はロシア国籍を取得、つまりロシアの支配を受け入れたのだ。それでも有名な民族活動家はソ連による民族浄化を忘れていないのだ、不信感を抱き引き続きウクライナ政府についているひともいるのだ。そうした人を利用し、ウクライナとその後ろ楯のG7はこんなことを言い出したのだ

ロシアはクリミア・タタール人の民族教育を阻害している!ええ…お前が言うのだ?あとはロシア国籍を選択しなかったクリミア・タタール人が差別的取り扱いを受けているとかも言ってたのだな。もちろんその批判が当てはまるならロシアには是正が求められるけど、ウクライナが言えたことじゃないのだ。

更にウクライナはトルコと組んで「クリミア・タタール語はラテン文字表記であるべき」という運動を進めてるのだ。ロシアの少数民族は基本的にキリル文字で自分の言語を書くようにという法律があるのだが、それはクリミア・タタール語を抑圧しているという主張なのだ。ラテンのほうが本来の語彙を表せるとか色々並べてるのだが、本来のテュルク系言語はアラビア文字ダルルォ!?オスマンからトルコ共和国になった時の言語改革でトルコ語はラテン文字になったのだ。その理屈ならトルコの理屈をクリミアに押し付けている、とも言えないのだ…?(ちなみにウイグル語は今でもアラビア文字なのだ)

いずれにせよ、今回の強者同士の争いで一番の被害を被るのはクリミア・タタール人含む舞いのりてなのだ。米露両政府には直ちに撤兵してほしいのだ。


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