日本共産党大会を受けて
みなさんこんにちはなのだ!共産党員のフェミイさんなのだ!まあしたっぱだけどね。
今回はみんなから第29回日本共産党大会について書いてほしいと言われたから自分なりにまとめてみるのだ。
これは個人の見解で党の見解ではないことを予め言っておきたいのだ。それではどうぞなのだ!
初の女性委員長田村智子さん
今回新しく委員長に就任したのは田村智子さんなのだ!田村さんは民青の時代からずっと共産党に携わってきて共産党に何が必要か理解してる人だと思うのだ。期待するのだ。
ちなみに外部の人たちは「志位体制がようやく終わる」とか「女性委員長」とかに着目してるようなのだが、そもそも日本共産党は中央委員会による集団指導性なので対外的な委員長が変わるからといってガラリと方向性が変化するわけではないことは言っておくのだ。ただ田村さんに期待してくれる気持ちはありがたく受け取っておきたいのだ。
松竹氏による除名再審査請求の却下について
少し前に党首公選制や日米安保の恒久的な承認を求めて記者会見し、除名処分を受けた松竹伸幸氏から再審査請求が提出されていたのでこの党大会で再審査を行い、改めて却下されたのだ。
松竹氏の主張へのフェミイさんの私感はこちらを見てほしいのだ。
今回は除名処分という組織決定についてのみ語るのだ。
松竹氏は党大会前に「処分を見送るよう」党員に働きかけたなどしていたのだ。これは党規約に違反する分派の結成なのだ。また、松竹氏が自衛隊や日米安保の恒久的合憲論を内心に持つことは自由だけどやはりそれを党役員の名で振りかざすのはだめなのだ。そういう党規約への理解がなされないままの再審査は却下するほかないのだな。というわけでこの決定は妥当というのがフェミイさんの評価なのだ。
実際フェミイさんも党執行部の方針全部に賛同してるわけではないし、時々地区委員会や中央に意見や質問を送ってるのだ。(もし気になる人いたらDMでコッソリ聞いてね)それでも不利益な取り扱いを受けたことは一度もない。だから異論を許さない党というのは事実誤認の誹謗中傷なのだ。
大山奈々子代議員の除名処分批判について
党大会では党員が意見をいい討論する権利を許するのだ。当然少数意見も提出し尊重される権利があるのだ。
その上で神奈川県議会議員をつとめる大山奈々子代議員が松竹氏の除名処分についての反対意見を提出したのだ。現在赤旗は能登地震被災者のために全ページを公開してるので彼女の反対討論も見れるのだが…。
…。かいつまんでまとめるのだ。
・松竹氏の除名問題以降怖いと思われている
・問題は松竹氏が出版したことより党が除名処分をしたこと
・かつての希望の党による排除発言を彷彿させる
・松竹氏の論を熱心に批判しているので「異論だから排除された」と思われている
・除名は対話拒否である
なんというか、県議団長を務めるほどの人の発言がこれかとがっかりしたのだ。
まず何と言っても党員としての主体性に欠け、外部評価で「こう思われるからやめたほうがいい」としか言ってないのだ。
もちろん多数者革命をする上で外部の評価は大切なのだ。だけど自分や党の芯を持たずフラフラと方針を迷走させるのは共産党員らしくない。綱領がスカスカの政党に籍を置く政治屋みたいでがっかりしたのだ。何党かは言わないでおくよ(笑)
そして松竹氏の論や行動を把握せず党の行動だけ批判している。中央が除名という判断を下すに至るまでには松竹氏がいかに党員としての規範から外れたことをしてきたかの積み上げがなければくだされないものなのだ。もし反対意見を述べるとするなら「松竹氏の言動は党規約に違反するものではない。なぜなら彼の行動は〜」と続けるのが本来あるべき姿なのだ。
そして結論は対話拒否ときたのだ。共産党規約では処分の前に自分の意見を申し入れる期間が必ず存在するのだ。そういう措置を無視し「処分を下した時点で対話を拒絶した」とみなすならそもそも組織自治が成り立たなくなってしまうのだ。
これらを踏まえて大山代議員の反対意見は穴だらけでそもそも党員としての自覚あんの?というのが率直な感想なのだ。おそらく田村さんはじめこれを受け取った執行部の人もそう考えてるのだろうが、その上で執行部による対応の問題点、外部を中心にパワハラ的と呼ばれた結語についての所感を次に書いていくのだ。
公開批判は時代遅れでは
こうした雑な論拠は多くの批判を受け、田村新委員長の結語でも強く批判されたのだ。
しかし党大会をインターネット中継で見ていた人から「発言者の人格まで批判している」「吊し上げだ」「これはパワハラではないか?」という批判が一部で見られたのでそれについて考えるのだ。
まず発言者の人格、これはおそらく「発言者の姿勢に問題がある」「党員としての自覚に欠ける」などの文言でひっかかった人が多いと思うのだ。
これについては共産党の他の政党とは違う性質が背景にあるのだ。
発言者の考えと深いところの人格は分離されると考えるのが一般の人なのだ。でも共産党はそもそもとして生き方、政治哲学として深いところにも党員が入り込み自己を磨くのだ。よく共産党に批判的な人は「共産党は宗教みたい」というのだがその見方はある意味で正しいのだ。党員として社会道徳をしっかり守る、自覚を持って綱領や古典の勉強をする、自他の将来の展望をしっかり見据えるというのが党員に求められる姿勢なのだ。
大山代議員の行動を最大限好意に解釈するなら、地方議員として有権者からの除名への批判の声を感じる。だから共産党は方針を変えるべき。との結論に至ったと推測されるのだ。しかしそうした短絡的かつ展望を欠いた姿勢での批判は理論支柱に欠けるのは当然なのだ。それが厳しい批判にさらされるのは共産党員としては自明だと思っていたのだ。
しかしながら今回はインターネット中継で党外の人も閲覧するものだったのだ。
当然外部の人は共産党員の前提は共有していない。そういう人が「党員としての資質に欠ける」なんて激しい批判を目にしたらどう思うだろうか?
まして共産党を支持してくれてる方は労働環境やアカデミー界で苦しい思いをしてる方も少なくない。そういう人がこれを見て精神を汚染しなかったか?
こうした人たちを考慮できずに内部の理論だけで大会を終えたことは次回の課題となったと考えるのだ。
党執行部にはそうした傷を負った人からの疑問の声を真摯に受け止め、少数意見への回答方法をどうするかなどを再考すべきと思うのだな。後日文書回答とかやり方はあるはずなのだ。立場が弱い人に寄り添ってこその共産党、私が家族のように思う共産党なのだ。