商法アレコレ!

【三井鉱山事件はいまでいうTOBかな?】


 三井鉱山といえば、福岡県人なら、大牟田のあの三井ボタ山炭鉱をまず思い浮かべる。

  月が出た出た 月が出た はあーよいよい

  三池炭鉱の上に出た

  あんまり煙突が高いので、さあーぞや お月さん煙たかろう

  さのよいよい。。。

 当時は、大牟田市は久留米市の倍くらい人口が多かったらしい。

 一時期、三池炭鉱跡地は、三井グリーンランドに代わり盛り上がった時期もあったけど、今はなくなった。。。

 寂しい限りだねえ。

 三井鉱山事件は、自己株取得が違法とされ多額の賠償責任が実際に認容された衝撃的な実例だ。昭和50年、三井鉱山がその子会社である三井セメントとの合併を計画し、三井鉱山は合併の計画を進めたのだが、三井鉱山の発行済み株式総数の相当数を保有していた大株主の了解が得られなかった。そこで三井鉱山側は、100%子会社の三池開発を通じてこの大株主から三井鉱山の株式を高値で買い取り三井グループ各社に売り渡すことにした。

 いまでいう、TOB敵対的株式買い占めかな?

 三池開発による買取価格は約82億円、売却価格は約47億円だったので、この取引によって三井鉱山は三池開発を通じて約35億円の売却損を負担することになった。原告は、この取引が自己株式取得禁止(商法210条)に違反して会社に損害を生ぜしめたものとして、昭和53年11月8日、株主代表訴訟を提起した。ただし、約35億円の損害を主張しながら、その一部としての1億円を請求した。今なら、株主なら取締役の任務懈怠責任として、商法423条の規定する「経営判断の失敗により」株主に対し、損害賠償を負わねばならないだろう。

 それはそうだろ。三池開発㈱は、82億円で買って47億円で売却したんだから、単純に45臆の転売損を出したんだから。もっともグループ会社であるから、三井鉱山は相当の利益を上げたわけだそ、三井会は売ってきっと三井鉱山のペーパーカンパニーにすぎないだろうから、三井開発は巨額の損失を出して倒産しても、計画倒産的に、役員にはおとがめなしというくらいで済んだ時代だったんだろう。

 ちなみに、相和50年といえば、私が17歳のころだから、それこそ南沙織の「17歳」夏に爆発的ヒットを飛ばしていたなあ。

 尾崎紀世彦はもう少し前かあ。昭和歌謡前線であるとともに、かぐや姫とかチューリップも瞬く間にメジャーになっていったなあ。そうそう、井上陽水も福岡出身だし。。。照和という酒場?からみんなスタートしたんだし。


 

 

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