私と競馬との関係(はじめまして)
yusugと言います。はじめてnoteに投稿します。
①元厩務員で、②オーストラリアと、③イギリスで働いていた、ということを書いて自己紹介としたいと思います。
元競馬の厩務員です
これまでオーストラリアとイギリスで厩務員をしてました。計3年半ほど。
オーストラリアはTony McEvoy (David Hayesという調教師の厩舎だけど、彼が香港に滞在中だったのでTonyがトップだった時期)、イギリスではPeter Pritchardという調教師のもとで働いてました。
厩務員になるまで
厩務員になった理由は、小さい頃からなりたかったから。それ以外の何物でもありません。
はじめはイギリスの競馬学校Northern Racing Collegeに3ヶ月間通い、厩務員となる基礎トレーニングを受けました。その後はイギリスでの就労がビザ的に難しかったため、帰国。千葉県の育成牧場で働きつつ、外国に行く道を探しました。
そこで見つけたのが、オーストラリアへSpecial Trainingプログラムという種類のビザで就労するというもの。エージェントを通じて1年間のビザを取り、Tony McEvoyのところに行きました。
オーストラリアで1年
南オーストラリア州、ワインで有名なバロッサバレーにあるその厩舎は、常時100頭を超える馬が調教されていました。
さらに休養施設、生産・育成施設もありました。
また、隣のヴィクトリア州にも厩舎があり、有望な馬はそちらへ送られて、レベルの高いレースで走るというシステムでした。
そんな大規模オペレーションに放り込まれた下っ端の私は、後のG1馬を担当するような幸運にも恵まれました。
一方で、たぶん年間100回くらい落馬したんじゃないかなーというくらい自分のスキルのなさに悩みました。
そのうち1回は馬に踏まれて頭蓋骨が欠け、もう1回は鎖骨を折りました。
イギリスに留学しながら2年半
オーストラリアで出会ったイギリス人の紹介で、イギリスの大学に進学を決めました。そこの大学では、競馬産業という専攻があったのです。
晴れてウォリックシャー(Warwickshire)にあるその大学に進学し、求人が出ていた地元の厩舎でバイトを始めました。
それがPeter Pritchardという障害競馬を主とする家族経営の厩舎。
こどもが7人いるPeterのもとで、朝調教に乗ってから授業に行くという日々を2年半の間送りました。
成績がいいわけじゃない厩舎だけど、チェルトナム・フェスティヴァルという障害競馬の最高峰にも出走したし、Peterとその家族や親戚によるアットホームな雰囲気が心地よい体験でした。
noteで書きたいこと
こんなわけで、これまで仕事としてたくさんの競馬場に訪れました。
もちろん競馬観戦も趣味なので、今でも香港、スウェーデン、スイスなど、各国の競馬場に足を運び続けています。
このnoteでは、行ったことのある競馬場について、当時の印象や感想を書き記しておこうと思っています。
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