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第27回宝塚記念(1986年) [競馬ヒストリー研究(50)]

1960年に、有馬記念を模してファン投票で出走馬を選出するドリームレースとして創設された宝塚記念。歴代優勝馬には、シンザンやテイエムオペラオー、ディープインパクト、オルフェーヴルといったチャンピオンホースや、コダマ、ハイセイコー、トウショウボーイ、サイレンススズカなど、時代を駆け抜けたスターホースの名が連なっている。

その中において、宝塚記念、ひいては歴代のGI競走でもかなり異質に映る勝ち馬と言えば、1986年に当レースを制したパーシャンボーイではないだろうか。

 

パーシャンボーイは1982年に英国で生まれ、父はPersian Bold、母はCryptomeria、その父Crepelloという血統の牡馬である。祖父のBold Lad(IRE)は英国で競走生活を送ったBold Rulerの直仔で、1966年にコヴェントリーS、シャンペンS(英)、ミドルパークSを制した2歳チャンピオン。

オーナーの伊達秀和は当初、種牡馬としてPersian Boldを輸入しようとしていたが実現には至らず、その産駒である本馬を愛国のセールで購入し、当時は中央競馬で全出走数の1%にも満たない数しか存在していなかった外国産馬として日本でデビューさせることとなった。


先代の頃から伊達と関係が深い高松邦男の厩舎から3歳の2月にデビューしたパーシャンボーイ。デビュー戦は5着で、その後2戦を続けて2着するも、右後肢に重度の骨折を発症してしまう。

将来の種牡馬価値を考慮してか現役を続行し、10か月の休養を経て4歳の2月に復帰したパーシャンボーイ。未勝利の身であるため1勝クラスの400万下に格上挑戦し、復帰2戦目まではダート戦を走ったこともあり7,8着と大敗。だが、3月に小倉で久々の芝を使われると6馬身差の圧勝。その後は3連勝で準オープンまで格が上がり、陣営は宝塚記念を目標に定める。

格上挑戦で出走したオープンの谷川岳Sは2着に敗れたものの、確実に勝つために選んだ自己条件の平場戦で遂にオープン入り。推薦によって宝塚記念への出走が叶った。

 

同年の春シーズンは、七冠馬シンボリルドルフと、前年に皐月賞と菊花賞の二冠を制したミホシンザンとダービー馬シリウスシンボリのクラシックホース2頭がそれぞれ海外遠征及び故障のため離脱し主役不在の混戦。

単勝2.2倍の1番人気に推されたのは前走春の天皇賞を制した岡部幸雄騎乗のクシロキング。同年のアメリカJCCと京都記念を勝ち、天皇賞では1番人気であったスダホークが2番人気で続いた。

だが、2頭共に前年秋から休みなく出走しており、前年の勝ち馬スズカコバンは脚部不安から休養明け2戦目と、調子の良し悪しが鍵を握るシーズン最終戦らしい勢力図。その中において、重賞初出走ながら近5戦を4勝2着1回と絶好調のパーシャンボーイであったが、近走で重賞初制覇を飾っていたシングルロマンやビンゴチムールといった同じ4歳の新興勢力も抑え、先の2頭に次ぐ3番人気の支持を受けていた。

 

ヤマノスキーが飛ばして先手を取り、縦長の隊列でレースが進む。馬群全体が荒れた内を避ける馬場状態であったが、柴田政人鞍上のパーシャンボーイは2番枠からスタートしてすぐに外へ進路を取り、最内から4,5頭分程外の好位5,6番手で1コーナーを回った。

3角手前あたりから、すぐ前を追走したシングルロマンが仕掛け始めるとパーシャンボーイも追随し、馬群の一番外から豪快に捲り上げ、2番手以下の馬群を引き連れながら4コーナーを回って直線に向く。

タフな馬場状態もあって後続は末脚が発揮できず、直線は先行したメジロトーマスと併せながら逃げるヤマノスキーを追う展開に。残り200m程でこれらを競り落としたパーシャンボーイが先頭に立ち、最後はメジロトーマスに1馬身半差を付けて1着でゴールした。

 

重賞初出走でGIの宝塚記念を優勝したパーシャンボーイ。改めてその足跡を振り返ると、先述した通り同年の2月1日に400万下戦で復帰した当時は4歳にして未だ未勝利。そこから4勝を挙げて5月に準オープンを卒業し、復帰してからちょうど4か月後の6月1日に宝塚記念を優勝した。

前走準オープンから古馬の芝GIを勝った馬は本馬以来存在せず、増して春先まで未勝利だった古馬がたった4か月でGIを勝つなど、当方のような平成生まれの競馬ファンにとっては驚異を通り越して只々不思議に思う他ないのが正直なところ。本レースを最後に屈腱炎で引退し、後の実力も測れない点が更に謎を深める。

また、前走準オープンから臨戦した馬がGIを勝つどころか上位の3番人気に支持されること自体異例であり、古馬の芝GIでは当レース以降3例しか存在しない。

2走前の谷川岳Sで後に重賞を連勝するスーパーグラサードに先着していたことを考えると、番付的には重賞級と言えるメジロトーマスやシングルロマンとの追い比べなら制しても不思議はなく、他にも鞍上柴田政人が内枠から馬場の良い外へ巧く誘導した点や、血統的にも同じ父Bold Ruler系で1981年の当レース優勝馬カツアール、1983,4年に阪神大賞典を連覇したシンブラウンらが阪神競馬場の重賞で実績を挙げていたという下地はあれど、これら勝因を集めてもなお本馬を3番人気に推し、見事馬券を的中した当時のファンには恐れ入る。夏に差し掛かる宝塚記念において"夏は格より調子"の格言が最も当てはまった例であることは間違いない。

 

昨今は競馬を好きになる入り口も多様化しているが、競馬というスポーツは歴史の深さもその魅力の一つであり、その歴史が様々なメディアで紹介されている現在は、このように過去のレースや競走馬について探究する楽しみ方もかなり浸透してきている。当方もそんなファンの一人であるが、今ほど簡単に過去の資料にアクセスできなかった時代に知った、このパーシャンボーイによる宝塚記念制覇は言うなれば、膨大な競馬の歴史絵巻を探索する原点となったレースであった。宝塚記念が来る度に、そんな競馬ファンとしての初心も思い返される。


今年の宝塚記念はタイトルホルダーとパンサラッサの逃げ馬2頭が再び顔を合わせましたが、後者は2000m以下で快速を活かすタイプであり昨年の有馬記念に続いて引き締まった流れになることは必至。
過去にもしばしば同じような急流となった年もありましたが、そういった年の勝ち馬同様、最後まで失速せず、上り3Fにして36秒程度の脚を持続し続けた馬が差し切るイメージを持ちたいです。

アリーヴォはやはりペースが流れた大阪杯であと一歩まで迫る競馬。劣悪な馬場状態だった小倉大賞典も完勝しており、タフな馬場も歓迎です。

デアリングタクトも近い流れで十分な実績があります。長期休養明けの前走も復帰戦としてはまずまずの走りが出来ましたし、今回は楽しみを持って見てみたいです。

先述の逃げ馬2頭が出走していた有馬記念を制したエフフォーリアも勿論有力です。距離も延びる今回は大阪杯に比べれば追走でスピード不足というような懸念も軽くなるでしょう。


それではー

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