コロナ2年目の現実(リアリティ)
1月からの「緊急事態宣言」がさらに延長になった。一年前は「未知のウィルス」「世界各地で感染爆発」などと言われて戦々恐々としていたけれど、少しずつその全容も見えてきた感がある。というところで、改めてwithコロナのこの一年を振り返ってみたい。
自分の実感noteリンク集
と言っても、最初から個人的に抱いていた「なんとなく、変」という印象は今でも変わらない。
振り返ってみると私にとってのコロナは「ベトナム出張」から始まっている。
そして帰国後に「コロナ措置対象者」になった。
その後も「コロナ騒動」についての違和感を書き続ける。
それでも言わなければならないこと
noteをやっていて良かったと思うのは、その時々のリアルな実感を読者の皆様とシェアしつつ、こうして後から振り返る時にその時の感情も一緒に再現できるということ。
公共の場でで口に出して言えば「不心得者」の烙印を押されそうな私のコロナ論。インターネットもパブリックなスペースであることは同じなので、私も考えていることの全てを書いたわけではない
いろんな立場や考え方の方がこれを読むことを想定しつつ、誤解や批判や非難も覚悟し、それでも「これだけは書かねばならない」というその時の気持ちも思い出し、ほんの少し自分がいじらしくなった(笑)。
それでも、これらすべての記事には「 新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です」との注意書きが付され、まるでフェイクニュース扱いだ。(きっとこの記事にも付いているに違いない)
しかし、コロナについて「真実」を知る人はほとんど、あるいは全くいないのではないか。なぜなら「ウィルス」や「感染症」のメカニズムは解明されていないことも多いからだ。
ただし臨床の場で、一定の仮説を元にある程度の効果のあった対処法はいくつかあって、それが今回も採用されているに過ぎない。それが「マスク」であり「ソーシャルディスタンス」であり「ワクチン」なんだと思う。
それでも、その「一定」とか「ある程度」とかの見方は、専門家や研究者によっても大きく違う。だからそれらの情報をどう考えてどう行動するのか、ということは、各個人に任せたらいい。
今の「コロナ・パンデミック」とはそれが許されないほどの緊急事態ではない、というのが私の一貫した考えだ。
喧嘩したいわけではないのだけれど
コロナの周辺にはいろんな分断と対立がある。マスクの「シーヤ派」と「スンナ派」のことはすでに書いた。おそらく今後はワクチンの「シーヤ派」と「スンナ派」の対立が激化しそうな雰囲気だ。
この記事では「コロナやば過ぎ派」と「騒ぎ過ぎ派」のことが書かれている。決して喧嘩したいわけではないのに、どうしてこうなってしまうのだろう?
「やば過ぎ派」とは要するに「コロナの危機管理を徹底させろ」という主張をもつ「コロナ危機管理徹底派」、「騒ぎ過ぎ派」とは私のように「自由にさせろ」という意見の「コロナ対策自由派」と言い換えることができると思う。
「ゼロ・コロナ」VS「ウィズ・コロナ」
それに加え、もっと政府に近い場所では「ゼロ・コロナ」と「ウィズ・コロナ」の対立というのもあるようだ。これは最近見た慈恵医大教授、大木隆生氏のYoutubeチャンネルで知った。
大木教授の話によると、コロナは欧米人にとっては「死の病」だけれど、東アジア人にはそれほど脅威にはなっていないことがわかっていた。だから、昨年の比較的早い段階で、経済を回しながら医療体制を整える政策を安倍元首相に提言したのだそうだ(大木提言)。
それが採用されて、日本のコロナ対策は他国に比べて緩いものとなったようだ。そうした背景の根拠になった理論やデータが論理的かつ現実的に説明されていてとても分かり易かった。
こうしたことは最近まで、あまり大きく報道されることはなかったけれど、今年に入ってからの緊急事態宣言以降、大木教授は「週刊新潮」や「朝まで生テレビ」などのメディアに露出するようになり、たくさんの異論反論を受けたらしい。
教授の考えにすべて共感、納得するわけではないけれど、コロナパンデミックに対するマスコミの“煽り”によって実体が歪められているというリアリティは私が感じているものとかなり近い。
しかし、コロナ死亡者の平均年齢が75歳だろうと、大半が認知症や寝たきりの老人であろうと、「だから死んで当然」ではないし、「病気が怖い」「大事な人を守りたい」と思う人の気持ちは否定できないだろう。
そうしたさまざまな個別の事例、事情を最大公約数化したうえで、社会を最適化しようとするのが「政治」である。
その「政治」の裏に巨大な力を持つ勢力が動いていて、政府も国際機関もそこに巻き込まれているというリアリティもあり、コロナ問題をさらにややこしいものにしている。
しかし、「裏事情」に対して個人が直接アクセスし、何か影響を与えることは基本的に不可能だ。
せめて新自由主義経済を牽引するグローバル企業に対する不買運動を起こすことくらいが関の山だけれど、これに一定数以上の消費者が結集できれば、世界を変えていく力になるかもしれない。
そういう意味でも私は「なるべく病院行かない・薬は飲まない」というような形で製薬業界に対抗してるから、当然ワクチンも打つつもりはない。そこは「ワクチン義務化」を打ち出す大木教授の考えと真逆である。
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