#255 効果の事後性が学習を阻む 24/10/14
こんにちは。
今日は、効果の事後性が学ぶことを妨げてしまうことを考えます。
考えるきっかけになったのは、所属する採用部門の同僚Aさんの話です。Aさんが担当する領域では、技術分野の知見・スキルが採用要件の必須条件に入っています。その技術分野について、Aさんが、「なかなか理解が難しいく、苦しんでいる」と折々で何度となく発言されているのを見聞きしています。
わたしは、ある職種やある分野の専門的な技術知識を、人事・採用部門がそのキャリアを歩んでいる従業員同等に理解をしなくてもよいのではないか、と考えています。その万能性や完全性を求めないといえば至極当然のことです。その前提の中で、どこまでの範囲や深さで理解しておくことが最低限に必要なのか、悩ましいところです。
たとえばハードウェアであれば、その筐体がどのような構造でできているのか、は頭に入れておきたいところです。たとえば自動車はどのような構造なのか、これも細部までいきつけば何万もの部品でできているわけですから、当然それは理解に及びません。あくまでも、抽象化して、人の体であれば、皮膚、筋肉と脂肪、骨、血管など概要的で良いと考えます。
そして、そのハードウェアをつくるには、およそどのような工程を経て作られるのか、その主要な工程では、どのような技術が使われているのか、理解しておきたいところです。○○と△△の素材を使って、□□の素材をつくる、などでしょうか。その成果物・製造物が生まれる工程を理解しておく、です。
それから、少し俯瞰して、その分野における技術的な進歩・革新にあたる最近のトレンドがどのようなことがあるか、です。少し前の金融分野であれば、ブロックチェーン技術を用いて、資金移動・送金コストとスピードをいかに最小化するか、などです。
構造、工程、基礎技術、その分野のマクロ的なトレンド、それらの歴史あたりを押さえておけば、詳細にその中身までを理解することはなくても、採用の仕事は十分ではないか、と考えます。一方、これでも、お腹いっぱいといえばそう捉えることもできます。
かなり前置きが長くなりました。冒頭のAさんの話に戻すと、長年ある分野を担当しているものの、一歩踏み出して学習してみることをずっと避けてきたようです。なぜなら、それでも採用活動は、ある程度回るからです。専門的なことは、選考面接を行なう求人部門に任せておくことで、応募者とのコミュニケーションは可能です。それは、わたしもそれが良いと考えます。
一方、求人部門の面接官や責任者と、採用要件を定義したり、事業を理解したり、あるいは面接の結果、とりわけスキルのレベル感などを捉えようとすると問題が起こります。その人たちと採用担当Aさんがかなりビッグワードで会話するほかないからです。
そうすると、求人部門の人たちとビッグワードではなく、ある程度の抽象レベルで会話できる知識は必要になると考えます。
ですが、Aさんは、学習することを先送りしてきたようです。それは、学習した後の効果を予測できない、本当に役に立つのか、どうか。どの程度の学習までしないといけないか、見当がつかないから、一歩踏み出せない、そう考えているのではないか、と考えます。時間を投下してまで、不確実性の高いことに時間を費やせない、と遅れてしまったのです。
これが、効果の事後性です。言い換えると、初めから効果がわかる=予定調和的、であるならば、「じゃあがんばって勉強してみるか」と腰が軽くなるのだと想像します。
この予定調和しない、効果がわかるのは事後的であること、これが人の学習を一歩進めることを阻むことが多くあると考えます。
そのためには、学んだあとのちょっとした未来を一緒に想像してみる、未来をビジョンで見ることでしょうか。
さて、みなさんは、一歩気後れしてしまうことに対して、どんな解消策を持っていらっしゃいますか。
それでは、また。