#32 当事者は会議で熱を帯びる発言をする 23/12/28
みなさん、こんにちは。
今日は、会議の発言を考えます。
(実例を基に編集しています)
たとえば、会議など意見を言う場面で違和感を覚えることがあります。それは、会議で意見を言った際に「感情的にならずに冷静に」と指摘されたり、他者が会議後にフィードバックをしている様子を見て感じます。
わたし自身の場合は、その度にまだまだ未熟だな、と内省することもしばしばです。
わたしの場合、わたしと質問者の当事者2人は、健全な意見のぶつかり合いをしている感覚が両者にあります。
にもかかわらず、外側から議論を見ている人には、感情的な対立をしているように受け取られてしまいます。
なぜそう見えるのでしょうか。
先日も、人事部門からの企画を意思決定機関の会議に起案しました。
経営・事業の顧客活動と、人事の人・組織活動は、一義的には、トレードオフが起こることもあります。ですから、意見衝突を伴うコンフリクトが発生しやすい性質を元来に持っています。
もちろん、より高い視座からメタ認知すれば、組織内外に対する活動が噛み合うことで、より大きな社会課題の解決に前進することは言うまでもありません。
さて、議論が白熱してくると、起案者のわたしも、質問に対する返答に熱を帯びてきます。そのときに、プレゼンテーションや話し方が、早口になったり、声量が大きくなったり、声のトーンが強くなったりします。その自覚もあります。
そのときに、登場するのが、
「感情的にならず、冷静に議論しよう」、
「まあ落ち着いて、お互いの意見を聞こう」、
と冷静な救世主!?です。
その発言に呼応して、外野にいる会議参加者は、その仲介介入に対して同意を示すように、起案者(わたし)と質問者の言い分や相違点を整理し始めます。
これが、違和感を覚える正体、と考えます。
それは、「感情的にならず、冷静に」が、論点ずらしではないか、と考えるからです。
そもそもの起案内容の論点から逸れて、質疑応答や意見交換の言い方に論点を変えています。意図的か否かに関わらず、結果として論点をズラしたことにはなります。
穿った見方をすれば、冷静に上の視座から見ている発言をした「自分」は、一枚上手だよ、とポジショントーク、マウントを取る行為にもあたるかもしれません。
ここで、この会議場面をより俯瞰的に見ると、わたしと質問者には共通する傾向があることに気づきます。
それは、質問者になる場合に良くわかります。
まずは、論点に対して的を射る質問をする点です。
次に、現場(末端の受け手)への影響を推し量る点です。
そして、起案内容から得る効果と現場影響のトレードオフを比較する点です。
最後に、起案内容から得る効果と事業の投資優先順位のトレードオフを比較する点です。
これらの視点をもって質疑応答するため、議論や意見対立が生まれるのです。本気で議案について、考えてくれている相手だから、熱を帯びるのだと考えます。
わたし自身も俯瞰してみると、その起案内容が、経営や事業、従業員の全体に効用をもたらす、部分最適ではなく全体最適な提案だと、確信を持っているからこそ、力が入る点も言うまでもありません。
双方が本気でその議案の論点に向き合っているからこそ、熱くなり、本音や感情も出し合い、意見のコンフリクトが起こると考えます。
その瞬間は、お互いに、ある意味では、喧嘩をしているくらいのトーンかもしれません。それでも、本気で意見を交わしているのですから、感情的になっても仕方ないのではないか、と考えるのです。もちろん、相手を罵倒したり、貶めたりする対立は論外です。
これらの前提に立った意見の対立なら、その瞬間は感情的であっても、むしろ良いのではないか、と考えます。
当事者や自分ごとの意識が高ければそれは必然であり、悪いことではない、と組織内の共通理解が持てると、この違和感はなくなっていくと考えています。
そして、きっと会議の生産性はもちろん、企業や組織の意思決定プロセスの生産性も、格段に上がるのではないか、と考える次第です。
みなさんは、どのように考えますか。
それでは、また。
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