学校は小さな社会

最近ネットニュースで少年革命家関係のトピックを目にする。
私の価値観では、特別な事由なく学校に行かないという選択肢はないので、色んな価値観があるなぁと言うのが正直な感想だ。
どんな選択をするのかは人それぞれなのでそれは置いておいて、私個人の学校観を整理したいと思った。

私の義務教育自体を振り返ると、取り立てて良い思い出はない。ただ、忘れられないことはたくさんあった。

小学生のころ、すごく仲の良い女の子がいた。
たしか1年生の時から仲が良く、本当によく遊んだ。
5年生になり、その子とあと数名の仲良しグループで過ごしていたのだが、あるとき私がその子が描いた絵に対して「ダイナミックだ」と言ったことを、下手だと言っていたと告げ口され
てからいじめが始まった。確かに今思えば言い方が悪すぎるので、告げ口した子を責めるつもりはないが、本当に些細なきっかけだったと思う。
いじめと言っても一緒に遊んでもらえないくらいのものだったので毎日学校にも行っていたが、ある時体育の授業後に制服が無くなった。
学校にある予備の制服はサイズが合わなかったため、翌日は体操着で通学するよう言われそれに従ったのだが、運動会でもないのに体操服で登校する姿はとても目立ち、いじめられていたことよりもそれが恥ずかしくて悔しくてたまらなかった。
その日のうちに制服は全く無関係のクラスメイトのロッカーから出てきて、未解決事件扱いとなったが、どう考えてもあのグループの仕業だったはずだ。

グループの子以外とは普通に話してはいたが、遠足の時期になり、一緒にご飯を食べるほどの仲の友達はいないので先生と食べるしかないと諦めていたとき、それまでそんなに話したことのなかった子が一緒に食べようと声をかけてくれ、そこから卒業までとても仲良くしてもらった。
先生に言われて声をかけてくれたのか、自分から声をかけてくれたのかは今もわからないけれど、どちらにしても本当に嬉しかった。
いじめに対して親を悲しませたくない気持ちもあり、別に効いてませんけど?という態度を取っていたつもりだが、心では悲しかったのだ。

私の友人関係が変わったことでいじめは終わった。終わったと言うか、話してもらえないクラスメイトから普通のクラスメイトに戻った。

その後、体育の授業中にクラスの女子数名の制服がハサミで切られるという事件が起きた。
目立つ系の女子グループからバカにされていた男子児童が、特に腹を立てていた女子数名のスカートを切ったのだ。
それに関しては私は当事者ではないので特に書くこともないのだが、その時は体操服通学ではなく私服通学が認められ、なおかつ他のクラスや学年に対しても「特別な理由があって何人かが私服通学するけど気にしないように」とのアナウンスがされたと記憶している。
私の時とのあまりの違いに心底腹が立ったし、今でももやもやする。
せめて私に、今回はこういう対応をするからねと一言あってもよかったのでは?と思うくらい根に持っている。

いじめ自体はまだ未熟な子どもたち同士が起こすことなので、大人になればあの時どうすればよかったのか分かるし、それを教訓に生きていける。
ただ先生の対応は、大人になったからこそ思うところが増える。
納得のいく対応をしてくれたら生涯の手本となるだろうし、そうでない場合はもやもやと残り続ける。

生涯の手本として思い浮かぶのは、中学の体育の先生だ。
恥ずかしながら私は全くの運動音痴で体育が嫌いだったが、勉強は割と楽しんでいた方なので、実技の穴を埋めるために保健はちゃんと勉強して、テストで満点を取ったことがあった。
先生は笑いながら、「満点とられちゃ5を付けるしかないだろ」と言って、本当に5をつけてくれた。満点でないにしても、授業に真面目に取り組んでテストも頑張っていれば5をつけてくれた。
実技が苦手なのは今すぐどうこうなるものではないから、それを勉強で補おうとしたことを評価してくれたことが嬉しかった。
絶対評価である以上、先生として当然なのかもしれないけれど、案外そうではない先生は多かった。
小学校から高校までの間で、相対評価をしていると感じた経験は多いし、むしろ相対的に評価している方が多数派だったのではないかとすら思う。
だからこそ、大人になった今、正当に評価してくれる人がどれだけありがたい存在だったのかが分かる。
今、会社の上司が納得のいく評価をしてくれることへの感謝の気持ちにも繋がっている。

今なら分かるが、学校、特に義務教育は、小さな社会だと思う。
自分が選んだわけではないいろんな人との関わりの中で、様々な感情をおぼえたことが、大人として社会や組織の中で過ごす基礎を作っている。

もちろん、辛いことがあってどうしようもなくなったら、自分を守るために学校に行かないという選択肢は正解だと思うし、学校に行くことだけが全てだとは当然思わない。
けれど、少なくとも私は、学校に行っていなくても同じような大人になっていたかと言われれば全くそう思わない。
学校での経験は人格形成に多大な影響を与えている。

冒頭に書いた通り、義務教育時代には大していい思い出はない。(かと言って高校が楽しかったかと言われると、あまり濃い記憶はない。大学はすこぶる楽しかったが笑)
けれど、それでも学校に通ってよかったと言える。
友人だけなら学校に限らず色々な出会い方があると思うが、子どもの頃に社会の中で過ごすためには、やはり学校が一番手っ取り早いと思うのだ。


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