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要領が良いとは何か

「あなたほど要領が良いやつはいないよ」

高校の担任と飲みに行った時に言われた皮肉が頭に残っている。

たしかに自分は、昔から要領がいい方だと思う。
高校はろくに行ってないが(よく眠る子だったので起きるとお昼になっていたのだ)、大学は現役かつ一般入試で慶應に受かっている。

振り返れば、少ない時間で結果を出すための”楽して勝てる法則”を見出していたのだ。


楽して勝とうとしてきた人生

*この章は性格が悪いのがバレるので読み飛ばしても大丈夫です。

小学生の時、ガキ大将に勝てないのが悔しかった。
でも「私立の中学ならそもそもガキ大将少なくね・・・?」と考えた。

暗記科目は時間がかかるので、国語と算数だけできれば行ける私立の中学校を受験した。
その後、バスケ部の部長などの要件を満たすと、労せずカーストのトップに入った。

高校では、授業もろくに受けておらず偏差値は30くらいだった(だって起きれないんだもん)
ただ、なぜか物理は教科書を読んだだけなのに模試で県8位になった。

解いている問題数が少ないのに、できたのは何故だろう?と真面目に考えると、
「事象の成り立ちを理解し、色んなことに当てはめる」ことだけは得意なんだなと気づいた。

物理の点数がよければ、物理が得意だと思いがちだが、実態は、そこでの思考の流れが向いていたのである。
そこまで突き止めれば、応用が効く。

学校にちゃんと行って勉強するのは半ば諦めて、その能力が最も合致しそうなSFCを勝手に受験し、慶應に滑り込んだ。

大学2年生の終わりに、大学で成績を上げることと、就活で求められることは違うと気づいた。

学校に泊まらないと三限にすらいけない自分は、授業をちゃんと受けることは諦め、3年生の上半期に大企業が好みそうな実績と自己分析をパッと積んだ。
目論見通り、1社目の面接で就活は終わった。


楽して勝つための条件

楽して勝つためのポイントは、2つある。
1つは、異なるルールが適用される瞬間の先取りだ。

大体の人は、今適用されているルールの中で勝とうとする。
高校生なら高校での成績をあげること、大学生なら大学での研究を頑張ること。
しかしそこは、まごうこと無き競争社会である。

勉強や研究が好きな人、あるいは競争が好きな人なら楽しいと思うけど、好きでもないならただの地獄である。
血みどろの戦いと、消耗した未来だけが待っている。

そんな険しい道のりは、勝ちたいだけなら行くべきではない。

もちろん、今いる場所で適用されているルールは次のフェーズを意識して作られたものもあるが、それはあらゆる人に向けて一般化したものだ。
盲目的に信じても、競争相手が多すぎて勝てる確率は高くない。

次に適用されるであろうルールから逆算して、今に当てはめた方が圧倒的に効率よく勝てる。

孫子も兵法の中で言っているが、「戦わずして勝つ」ために動くことが勝率を上げるのだ。

2つめは、ルールを自分にパーソナライズすることである。
大学受験で言えば、めぼしい志望校に合わせて勉強を始めるが、そもそもそれって自分に合っているのか?を考える。

自分の場合で言えば、物理の点数は高かったが、英語の点数はものすごく低かった。
その理由を考えると、「事象の成り立ちを理解し、色んなことに当てはめる」ことは得意だが、暗記などの「継続的な細かな作業」は苦手なのだ。

であれば、「継続的な細かな作業」を絶対的にしないと入れない旧帝大や医学部より、科目を絞っている私大文系かつ応用のみを求められる総合系の学部の方が受かりやすい。

自分の強みを理解しろと言えばそこまでだが、自分が乗っているルールの中で、自分の強みを適用しながらルールをパーソナライズすると、勝率は上がる。

要領が良いとは何か

要領とは、要点とほとんど同義である。
要領が良いというのは、”要点となっている何か”をつかむことがうまいということに他ならない。
要点となるのは、ほとんどの場合、ルールである。

つまりは、要領が良いというのは、ルールを見極める能力に長けているということである。

ルールを見極められるからこそ、1を聞いて、そのルールを適用した10を想像することができる。

飲み会が得意な人は、飲み会でのルールが1対1で関係値を深めることではなく、集団としていかに盛り上がるかであることに(意識的にしろ無意識にしろ)気づいている。

そうすれば途中から入っても、場が何で盛り上がっているのか、何故盛り上がっているのかということさえ抑えれば楽しめる。

そもそも要領が良い必要はあるのか

要領が良いと何が良いのかというと、楽して勝てる可能性が上がるだけである。
要領が悪くても、勝てれば良いのだ。

要領が悪くても(≒ルールの見極めが苦手でも)、努力量が一定の閾値を越えると、ルールを軒並み満たし始めるので、途端に勝ち始める。

量が質に変わるという話はこれである。

全体を網羅する圧倒的な努力量の前では、要領の良さで一点に特化しても歯が立たない。

また、そもそも勝ちたいと思ってなければ、要領が悪くても何の問題もないのだ。

個人的には、勝つとかそんな一過性の快楽よりも、好きなことを心底楽しんでいる人の方がよほど素敵に見える。
勝つ以外の尺度で人生を生きている方が、何百倍も豊かな気がする。

バタフライエフェクトを信じたい

自分が、要領良く生きることにこだわっていたのは、バタフライエフェクトを信じられなかったからだと思う。

(バタフライエフェクト:わずかな力で大きな変化が起きるという意味)

自分1人のちっぽけな力で何が変わるのか、自分が頑張ったところで意味があるのかと、ずっと自信が持てなかった。
だからこそ、求められている土壌の中でいかに楽して勝つかを考えていた。

それでも、今の時代は、1人の「好き」が伝播し、大きくなっていく過程をSNSが可視化させている。
勝つとか負けるとか、そういう世界線でないところに、バタフライエフェクトはあったのだ。

自分も人類の70億分の1として存在していて、70億分の1として人類を作っていることは間違いなく、勝つために既存のルールに合わせたり、ルールを先読みすることより、もっと素敵な生き方をして良い時代なんじゃないかと思う。

これからは、要領より、勝つことより、「好き」を見つめて生きていきたいな。

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