レオナルド・ダ・ヴィンチ

こちらの記事の言い訳


レオナルド・ダ・ヴィンチ

生涯で完成した作品は20作品程度。機械の研究も熱心にしていた。30体以上の人体解剖をした。

年表


1452年
フィレンツェ郊外のヴィンチ村で誕生。実母はカテリーナ。両親は結婚していない。

1464年
継母のアルビエラが死去。レオナルド12歳。

1469年
フィレンツェに父親と移住。ヴェロッキオの工房に入門。17歳。

1472年
画家の組合に加入し、西洋絵画初めての風景画と言われる「雪のサンタ・マリアの日の風景」を描く。20歳。

1473年
「受胎告知」が完成する。21歳。

1482年
メディチ家の使者としてミラノへ派遣。30歳。

1495年
「最後の晩餐」を描き始める。43歳。

1500年
ミラノからヴェネツィアに行き、フィレンツェに戻る。48歳。

1503年
「モナ・リザ」を描き始める。50歳。


1506年
ミラノに行く。54歳。

1516年
フランスのアンボワーズに行く。64歳。

1519年
5月2日 ロワール河畔の館で死去。67歳。


世話人の勝手なイメージ

有名すぎるこの方は、「絵画」というよりも「発明家」という印象が強いです。とにかく設計図が多くて、実際形になったのは全てではないようですが、思いつく量がすごすぎてきっと形にする時間もなかったのかなと思います。
才能の中の一つに絵を描くという動作があって、絵の中にも実は~が隠れていたとか、~を示している暗号がある等の、時代が変わっても絵を飽きずに観察してしまう要素がたくさんあって楽しいです。
完成品がかなり少ないにもかかわらず、完成品の一つひとつが今の時代にも絶対知っていたり、みたことある!というものばかりなのってただ凄い(その作品が残っている事も含めて)と感じます。
「最後の晩餐」だけは壁画の材質や絵の具の相性・壁に描いた保存がうまくいかなかったためにほとんど剥がれてしまっているらしいので、描いた直後のものを、復元でもいいから完成状態を見てみたいなと思います。難しいのでなかなかできないそうですが・・。


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