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高校受験 不合格体験記 〜弱さに向き合うこと〜

中2の11月、とあることがきっかけとなり筆者は私立の難関校を目指し始めた。
志望理由を語ると特定されかねないので深くは踏み込めないが、筆者(次以降、一人称が「私」となっているが気にしないで頂きたい)のやりたいことができて、難関大学の医薬系学部への進学も目指すことができる学校だった。

中2の3月に初めて模試を受けた。第1志望の私立はD判定、第2志望の公立の学校はS判定。相当努力が必要という成績だった。

実は、私と私立高校の入試相性は最悪だった。私は理社が得意だったのだが、その私立高校は国数英の3科目受験だった。苦手教科で勝負しなければならなかった。それでもやる以外の選択肢はなく、出来る限り頑張っていた。

3年の夏。私は部活動に明け暮れていた。中学生活最後の全国に繋がるコンクールでどうしても結果を残したかった。勉強なんて二の次だった。

それもあり、夏以降に成績は伸びなかった。
3年の11月に部活を引退し、猛追し始めた。
絶対に間に合わないと言われていた全国の高校の現代文と数学の過去問巡りも受験までに終わらせた(公立高校まで年内に終わらせた記憶)。それだけでは足りなくて、塾にある応用問題集を全て制覇した。

受験候補校として予測される高校名は隠してあります


最後の模試まで第1志望はCやD判定ばかり。
親からの受験反対の声が強くなった。
あんたには無理、合わない。行って欲しくない。とずっと言われてた。辛かった。
3年の初冬までは第1志望の推薦入試も受けるつもりだった。でも、受けないことにした。受けたら逃げな気がした。ちゃんと学力を付けて高校に認められて入りたかった。

入試1か月前に初めて過去問に手をつけた。遅すぎだし、合格点が6割強なのに4割しか取れないという大惨事。もう受かんないって自分でも思った。
けれど諦めきれなかった。
公立対策のために5教科を勉強しなくてはならないことが苦痛だった。どうしたらいいかわからなかった。
けれど、塾の校舎長に3科目に振り切らないと絶対後悔する、と言われてひたすら国数英の問題を解き、休憩時間に理社の確認をする生活が続いた。結果的に休日は15時間くらい勉強していた。

環境が逆風となることもあった。
中学のクラスがうるさくて、休み時間に勉強に集中できず苦しんだ挙句、1月末にはストレスによる腹痛で起き上がれず丸一日学校を休んだこともあった。

最後まで足掻いた結果、受験前日では過去問で6割を取れるようになった。
受験当日は教室に一番乗りした。本番でも色々あったが、高校への思いを解答用紙にひたすら綴った。

翌日、結果が発表された。
私立の滑り止めの入試から帰ってきた私が見たものは、「繰り上げ合格候補者」の欄にある自分の受験番号だった。

それから約半月後。
繰り上げは来なかった。
ずっとS判定だった公立高校への入学が決まった。

敗因は、
・ギリギリまでエンジンをかけなかったこと
・勉強時間や演習量にこだわりすぎたこと
・復習を疎かにしたこと
・苦手と向き合えなかったこと
・決断力がなく、迷いが生まれてしまったこと
大学受験ではこれらの癖をなくすよう心がけた。

自分の弱さに向き合い、認めること。
苦しくて逃げたくなった。
けれど、この工程は必要だったと思う。

後々知ったことだが、4人繰り上がっていたらしい。私が受験した高校は「推薦入試受験者を繰り上げ」てから「推薦を受けていない第1志望者を繰り上げ」る。おそらく推薦入試受験者の4人が繰り上がっていたのだろう。けれど推薦を受けなかったこと自体は後悔していない。

部活引退後、これだけ頑張った。

大学受験よりも勉強量は多かった

それでも報われなかった。

暫く学歴コンプレックスに陥った。
親にも落ちたのは当たり前だって散々バカにされた。自分が子どもを傷つけたことなんて自覚していなかった。
今も苦しいけれど、特に高校1年の間は苦しかった。

だから、二度と悔しい思いはしたくなかった。
間に合わない受験なんてしたくなかった。
私は勉強ばかりするようになった。
この選択をしてよかったと思っている。

落ちたから今の私がいる。
大学受験まで見越したら落ちてた方がよかったのかなと思うこともある。
合格していたら天狗になって高校で頑張りきれなかったかもしれない。
あの時受かっていたら幸せだったとは限らない。
それでも、私はあの高校の生徒になりたかった。

大学受験での逆襲が始まる。

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おわり