リトライ

「やあ、おはよう!時間はもう切に迫ってるぞ!」

開幕一言、目の前の爆弾が照明で照らされているのが見えた。
驚いて咄嗟に身を退けぞろうとするが、チャリと鎖の音と手足の圧迫感を覚え動けなかった。続いて声を出そうとすると、大声は喉を痛めるだけだ、なんて人差し指が唇に宛てがわれた。あまりの情報の多さに脳処理が追いつかず、咄嗟に唾を飲み込む。
「うぇ……あ?」
ようやく発声できたのは、そんな情けないものだった。

暗がりの湿っぽい空気。窓はひとつもなく、外の音は響かない。天井から吊るされているひとつの間接照明が、仄かに部屋を光らせていた。何も置かれていない長机に、椅子が対面で置かれており、片方に自分が座らされている。足には机に繋がる枷が付けられている感覚があり、背もたれの後ろに回された腕に、ぐるぐるとロープで締め付けられた手首。首にはヒヤリと冷たい金属が付けられている為、下を向くことが出来ず固定されているようだ。
左右には動く首を回して様子を見る。この場には、僕と先程の声の主しか目視出来ていないが、他に誰か居る程の広さの部屋では無かった。強いて言うなら、周りに数十ほどの人形やぬいぐるみがぼんやりと在ったように見えたが、気の所為だという事にしておきたい。でないと、更に可笑しくなりそうだ。
「えっとー……」
とりあえず脳内を整理したい。
「ここは何処で、何で俺はここに居るのでしょう?そしてあなたは?」
存外、俺には余裕が無かったようだ。疑問を総じて目の前の人物に押し付ける。爆弾に意識を全て持っていかれていたが、この人物も不審人物が過ぎる。中性的な顔立ちに、二重に聞こえる声、そして何よりにやにやと機嫌が良いのか、口角が上がったままである。……いや、時々痙攣らせているようだ。無理してないか、それ。
「物事に順序を付けろよ。全部手に入るとは限らないんだからさ」
でもまあ、と顎に手をあてて目を閉じた。
刹那、目をカッと見開いて「何かと問われれば、パーティだ!!」と大袈裟に叫んだ。

再び訪れる沈黙。
呼ばれる覚えも、なんの為なのかも分からないので、疑問が増えただけだった。抱えたい頭に届かない手。ただその意思は、金属が摩れる音で現れた。謎で満ちた状況下ながら、最初の緊張感は目の前の人物の様子によって溶けていく。元より、僕の危機管理能力が薄いだけなのかもしれないが。とにかく、今のこいつへの印象は「変なやつ」でしかない。

「そうだな、あと一つ良い事を教えてあげるとするなら……」
考え込んでいたため、黙ってじっと見ていると、勝手に喋りだした。
「君の心の声はある程度聞こえているから、遠慮は無用ってことかな!」
とびきりの笑顔をこちらに向ける。反して俺の は、嫌そうな顔を隠す事なく現す。驚く事よりも何だか腹立たしさが勝った。頓珍漢なファンタジー発言ではなく、こいつの笑顔は僕をイライラさせる事に特化しているらしい。舌打ちしたい感情は唾を飲み込んで誤魔化した。

「おいおい、さっきも言っただろう。時間が無いって」
黙ったまま睨みつけていると、腰に手を当てて呆れた様に吐き捨てる。
時間を割いているのはお前の方だろうと言いかけて止めた。その問答こそ、時間の無駄だ。出来るうちに行動しなければ、なにか私の大事な物を失うのだろう。
「つまりは、他人に気を使ってる暇は無いぜって話だな」
声のトーンを落とし、低い音が何重になって聞こえた。周りの音が酷く静かだ。顔を近づけて、不気味な笑みを深くするのを見る。
ぞわりと、全身に鳥肌が立つ。
目の前の爆弾の事を少し忘れかけていたが、カチカチと針の進む音が大きく聞こえて、鼓動が早くなる。足の枷が床に触れて音を鳴らした。

俺の様子を見て、奴はクスクスと笑う。
何だよ。今更ビビるなって言いたいのか?それとも、心の声から聞こえる一人称が疎らなのが変なのか?他人が許すまいと、僕は私であり、きっとずっと抱えるしかないのだ。仕方ないとほっといてくれないか。こういう所も腹が立つ。

そんな想いが聞こえていながらも、目の前に居るこいつは知らないふりを続けるらしい。わざとらしく咳払いをして指を鳴らした。
「おっと、いけない!お祝い事だもの、これがなくてはね」
語尾に音符が付いているのではないか、と思うくらい浮かれた調子で、暗闇の中から持ってきたのはホールケーキであった。ご丁寧にカラフルな蝋燭まで立っている。フルーツケーキのようで、真ん中に飾られたプレートに書かれた文字は、上から乱雑に線が書かれていて読めない。いそいそとフォークを一つ取り出した。拘束されている以上、私にはカタリと椅子の足をグラつかせるくらいしか出来ない。

奴は、綺麗に装飾されたケーキへ向かって雑にフォークを振り下ろした。ぐちゃりと生クリームが飛び出て、原型を崩す。そのまま、ぐちゃぐちゃと生地を掻き出し、フルーツを潰す。「はい、あーん」と口元に差し出されるフォークからは、ぼとぼととクリームやら果汁が溢れている。
僕はそれを頑なに口を閉じて拒否を示した。しかし、無理やり押し付けられ、口周りに生温い感触が伝う。何処と無く、皮膚がベタベタとする不快感が湧く。
「あーあ」
微塵も残念がっていない様に言われる。感情を込めずに、言うべきタイミングで、ただ言ったようなそんな様子であった。

「めでたいパーティーなんだぜ?辛気臭い面してないで、純粋に楽しめばいいのに」
「何がめでたいのか分からないのに、楽しむも出来ないよ。私の為のパーティーでもあるまいに」
震えた声で口にしてしまえば、案外大したことなく、言葉は軽く空気へと浮いた。形にしてしまえば、重い思いなんて無かったことにしてくれないか。そんな願望とは裏腹に、言った後の後悔が背中に汗をかかせた。せっかく用意してくれた場である事に、違いないだろうに。
「まあ、そう焦るなよ」
きっと全部、こいつにはお見通しなのだろう。
ケラケラと笑われる。
「君が認めれば、それが事実さ」
それでも知られたくないと思うのは、もはや下らない執念なのだ。取り除いて消すことが出来ないほどに、僕に染み付いてしまっている思いが、いつも苦悩へと誘う。相も変わらず。

目の前にある爆弾を改めて一瞥する。既にこの物体の音が齎す作用は、恐怖よりも焦燥感だけであった。目の前の現象による被害は、一瞬の出来事ではなく、永続的に続く痛みなのだろう。
ドキドキも心臓の音がうるさい。これは恐怖では無い。ただ待つしか出来ていない自分への嘲笑に優る焦りでしかないのだ。

「まあいいさ、君は今回も同じように変わらないみたいだけど」
奴は、嘲るような口調で声を上げて笑った。
前を向くと、先程よりも視線を下げなければ目が合わない位置に変わっていることに気づいた。違う、俺がいつの間にか立っている。

「これがどういう事か、分かるかい?」
なん、で、お前が捕らわれている?
足枷をジャラジャラと鳴らすが、笑みは貼り付けられたままだった。椅子に拘束されているはずの僕と入れ替わるように、奴は座って語りかけてくる。
転換した立場に頭は疑問に満ち、思考を回す。いつ俺の拘束が外れたのか、お前がどうして括り付けられているか、いや、それよりもこれが意味する事とは。
「そう!君は今回も選べなかったという事だ!」
下品にゲタゲタと嗤われる。滑稽で仕方ないと言う様に。ずっと嘲られている。
でも僕は結局待っていただけだった。
「残念だね」
やはり感情はそこに込められていない。
「それじゃあ、またさよなら」
言い終わる前に世界が暗転し、奴の表情は見えず終いに消えた。かと思えば、時計の音がやけに耳に響いて、目の前が光で真っ白になった。

背中に柔らかい布団の感触を覚える。 重力と瞼が重いが、意識は醒めていた。
今年も、目を開けた。
机上のカレンダーには、今日の日付の所に花丸と共に文字が書いてある。

『ハッピーバースデイ!』

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