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明日への逃避行 1話「Lovers sing⑦」

神戸三宮・東門街、三宮の山側に位置する歓楽街を信哉は歩いている。信哉のバイト先がある北野坂は異人館街等の観光地の入口である為まだ綺麗さを保っているのに対して、東門街は雑多な飲み屋街で夜は黒服のキャッチが脇で列をなしている。地元で有名な「その筋の人」が絡む店などもあるらしいので普段なら好んで行く事はない。
そんな東門街の北側入口近く、生田神社のすぐ脇に建つ雑居ビルの中にライブハウス『ART STAGE』はあった。
「あー、行きたくねー。」
信哉は1人ボヤきながら雑居ビルに入った。音楽は好きだが、ライブは大きなホールばかり観に行くので人生初のライブハウスだ。
色鮮やかな落書きや雑多に貼られたフライヤーで目がチカチカする壁を横目に階段を3階まで上がるとART STAGEと書かれた扉が見えた。扉の前に小さな椅子と机を出して学生らしき男が座っている。受付係だろうか。
 「すみません、見学しに来たんですけど。」
受付係は不思議そうな顔でこちらを見上げた。サークルライブに外部の人間が入れるのか分からなかったが、断られたら出てくる1回生を捕まえるつもりだった。
「あー、君、新歓来てなかった?」
まさか覚えられてるとは思わなかった為、途端に緊張し信哉は身じろぎした。
「はい、やっぱりちょっと軽音興味あって!」
「入会は年中受けてるから、気になったら言ってよ!」
受付係はそう言うと扉を開けてくれた。
楽々と入れたのは嬉しい誤算だが、細野本人がいたら聴き込みがしづらい。一応探偵ごっこなので対象に顔を見られるのは良くない気がするし、避けようにも信哉は細野の顔を知らなかった。扉を開けてくれた礼を言いつつ、信哉はそれとなく訊ねた。
「そういえば、今日細野さん来てます?」
「細野さん?いや、まだ来てないんちゃうかな。打ち上げは参加するらしいから、17時くらいには来るんちゃう?」
スマホの時計は15:40を表示していた。早く切り上げて退散しよう。
「分かりました!ありがとうございます!」

中に入ると、重低音とピコピコという電子的な音が奇妙に混ざり合った過激な音楽が響いていた。爆音で自分の話す声も聴こえないほどだ。信哉は仕方なくこのバンドの出番が終わるまで待つ事にした。程なくして演奏は終わり、ステージの転換で照明も明るくなった。すると見覚えのある顔が壁際に立っているのが見えた。新歓の時、隣の席に座った1回生で城田という名前だったはずだ。
「久しぶり!分かる?」
信哉は彼に声をかけた。
「あれ?新歓の時の。何でおるん?」
「暇やったから遊びに来た。お前も何か演奏するん?」
「俺はこの2つ後に出るよ。クリープやるわ。」
「そうなんや、すごいなー。細野さんと組んだりしてんの?」
少し強引だが、細野が来る前に退散しなくてはいけないので信哉は早々に切り出してみた。
「細野さん?いや、組んだことないわ。めっちゃ上手いし、いつか組んでみたいけどな。」
「でも、あの人ちょっと怖くない?」
「そうか?めっちゃ良い人やで。」
『良い人』とはその人の価値基準によって変わる。少なくとも品川美咲にとって細野健吾は『悪い人』なのだ。その理由は彼女の友人である木戸詩織に害をもたらすからだ。細野が詩織さんにとって悪い人であるか否か、それを調べる為の聞き込みに来ているのだから、細野を良い人だと判断する彼からの意見も貴重なサンプルだった。
「友達が細野さんにバイト紹介してもらうって言ってたんよ。どんなバイトしてはるんか知らんけど。」
堀江ゼミの4人の反応がまだ気になっていた信哉は敢えてバイトの話に触れてみた。城田はさして顔色を変えずに答えた。
「マジ?バイトは何してるんか分らんけど、めっちゃ自給良いんちゃう?あの人めっちゃ高いベース5、6本は持ってるし。」
「高いベースっていくらくらい?」
「ワーウィックとかサドウスキーとか。30万くらいちゃう?」
メーカー名だろうか。信哉は楽器には全く詳しくないためさっぱりだが、30万というのは大学生にしてはかなりの高額だ。
「30万?1本5,6万か。結構高いな。」
信哉はこの夏休みでかなりバイトに励んでいる。次の給料はおそらく11万弱入るはずだ。6万となると今月の前半の給料全てはたいて買う事になる。なかなかの買い物だ。
「ちゃうちゃう、1本で30万よ。」
城田は当たり前だとばかりに嘲笑するが、信哉は信じられずに目を瞬かせた。
「ハイエンドやからな。まあ、軽音は結構金かかるで。練習するのもスタジオ代とか弦代とかかかるし。」
「マジか。軽音やっぱりハードル高いなあ。」
「まあ、楽しいけどね。興味あったら入れよ。」
そこまで言うと彼は出番が近いため準備に行ってしまった。
「180万。」
信哉は1人呟いた。180万という現金を実際にこの目で見たことがない。異常なほどシフトを入れているバイト先の先輩が「103万超えへんためにシフト調整するから、年間95万くらいで毎年止めてる」と話していたが、つまりはあの先輩の2年分のバイト代をベースにつぎ込んでいるという事だ。どう考えても大学生の金の使い方ではない。親が金持ちという可能性はあるが、自分で捻出しているとしたら収入源が気になる。
信哉は他にも知っている1回生はいないかと周囲を見渡した。すると、バーカウンターの前でタバコを吸っている2人組に見覚えがあった。新歓で大盛り上がりして、一気飲みに加わっていた奴等だ。
「久しぶり〜。覚えてる?」
信哉は軽い雰囲気で話しかけた。
「うん?誰やっけ?」
右の男はピンと来なかったようだが、左の男が思い出して伝えてくれた。
「ほら、新歓の時に同じテーブルやったやん。」
「あー、サークル入らんかったよな?」
今日一日で聴き込みにも少し慣れて来た為か、信哉は軽く受け答えしながらタバコに火を付けた。バイト先の先輩に1本貰ってから信哉も吸うようになった。まだ未成年だが、聴き込みの為にここはご愛嬌だ。
「うん、やっぱりサークルちょっと興味あってさ。」
「そうなんや、入らんでいいと思うで。」
「まあここで言うのもなんやけどな。」
意外な反応だった。城田が新歓の時に大人しく席で談笑していたのに対し、この二人は積極的に所謂サークルノリに参加していた。てっきりこの2人の方がサークルの毛色に合っていると思っていたが、感想は真逆だったようだ。
「サークルおもんないの?」
「おもんないというか、ライブ観たら分かったやろ?」
「下手くそが集まって、飲み会の時だけイキんの見てられへんわ。」
ロクバニは初心者歓迎のサークルだ。ビラにもそう書いてあったから信哉は新歓に参加したのだ。彼等は高校からバンドをしていると話していたから、周りの技量が低いのが気に入らないのかもしれない。信哉からすればただのサークル活動なんだから楽しめばいいのに、と思うがその辺りのバンドマンの思考はよく分からない。
「細野さんとは組んだりせんの?ベース上手いらしいやん。」
「細野さんな。あの人は上手いけど。なあ。」
右の奴が促されて先を続けた。
「まあ、上手いけど関わりたくはないよな。」
「関わりたくない?良い人やって聞いたんやけど。」
「あの人、大麻やってるらしいから。」
右の奴が聞こえるかどうか怪しい程小さな声で言った。信哉の聞き返す声はさらに小さかった。
「大麻?マジで?」
「噂やけど、多分ホンマやで。2回生の人とかもあの人に貰ってる人がチラホラいるらしいし。」
「バンドマンってマジでそういう事してんの?」
信哉は信じられなかった。ニュースの中では芸能人などの話をよく聴くが、こんな近い所でもあるのか。
「いや、一部だけやと思うけど。あの人が結構うちのサークル内ではバラ撒いてるっぽいな。」
「詩織さんは?細野さんの彼女。」
「あ〜、詩織さんも危ないよな。」
「危ない?」
「最初はライブとか出てたらしいけど、俺らが入学した頃はもうほとんどサークル参加してなかったわ。」
「大学にすら来てないっぽいしな。細野さんの影響でグレてるんかも。」
どうやら品川美咲の話は概ね合っているようだ。想像以上の問題を孕んでいるようだが。
「そうなんか。ちょっと怖い話やな。」
「演奏も下手なやつばっかりやし、別のサークル探した方がええで。」
「分かった!そうするわ!」
信哉は明るく答えると、手を振って出口に向かった。聴き込みに来た甲斐があり良い情報が聞けた。これ以上の長居は無用だ。スマホの時計は16:14だった。
ライブハウスを出ると受付係が声をかけてきた。
「あれ、もう帰るん?入会はどうする?」
「はい!ちょっと考えてみます!」
信哉はほとんど振り向かずに返事をし、そのまま階段を降りた。ちょうど上がってきた金髪に革ジャン姿の男とすれ違い、肩を避けるように通り過ぎる。上から受付係の声が聞こえてきた。
「あ、細野さん!お疲れ様です!」
信哉は2段飛ばしで階段を降り始めた。

雑居ビルから出て東門街を駅に向かって足早に下っていると、前方から淡い緑の服を着た背の高い女性が歩いて来た。やや俯き加減でゆらゆらと歩いているので妙な雰囲気だ。
「品川さん?」
品川美咲は肩をビクっと動かし、正気を取り戻したかのように目を見開いた。
「あ、探偵の。」
人から探偵と呼ばれたのは初めてだ。気恥ずかしいが、今日一日はそれなりに探偵らしい事をしてきたから悪い気はしない。
「どうしたんです?こんな治安悪い所に1人で。」
信哉がそう言いながら少し近づくと、品川美咲は右肩から掛けているカバンを隠すように背中の方へ回した。よく見ると彼女は右手をカバンの中に突っ込んでいる。
「品川さん?」
信哉が不審に思って更に近づくと、彼女は信哉の横をすり抜けるように走って通り過ぎた。
「品川さん、待って!」
信哉は声を上げたが、品川美咲は脇目も振らず走って行く。信哉はすぐに後を追って、ART STAGEのある雑居ビルの手前で彼女の腕を掴んだ。
「離して!」
彼女は声を上げて信哉の腕を振り払った。
途端、信哉の腕に冷たい感触が走った。指先がかすったのだろう。信哉は気に留めず、彼女の腕をもう一度掴んだ。しかし、その手に果物ナイフが握られているのを見て、初めて信哉は自分の腕を見た。
内側に赤い線が引かれており、それを見た瞬間からピリピリと痛みが伝わってきた。
信哉が気付くのと同時に彼女も振り返り、信哉の腕から血が流れるのを見るとその場に尻餅をついた。
何分間、何秒間か、時間がゆっくりと流れたような気がする。
気が動転したのか、何をしていいのか分からない。
痛み、怒り、恐怖。
思い起こる感情は一通り感じたはずだ。ありとあらゆる感情が雪崩のように押し寄せたので、体感は何十分もそこに立ち尽くした気がするが、実際には数秒だった。
信哉はポケットからハンカチを出して傷口を塞ぐように巻くと、辺りを見回してから品川美咲の腕を引っ張って歩き出した。
とりあえずこの場から離れる。少し強い力で彼女の腕を引いているが、今はそこまで気を遣う余裕がなかった。


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