[短編小説]無駄こそが贅沢 / AIを超えた選択

「どうでしょうか?うちの子にはスポンサーをつけられそうでしょうか。」
母親が心配そうな眼差しで医師を見つめている。
「そうですね。ランクは低いと思いますが、どこかはスポンサーにつくと思いますよ。」
スクリーンから目を離し、白衣を着た男が優しく答えた。

++++

「昔はおおらかな時代だったよなぁ。」

旦那は夕食の餃子を食べながらぼやく。妻によると、二人の子供はまずまずの才能、決して特別な才能はない。かと言って誰にも相手にされないというわけでもない。つまり、そこそこの子供ということらしい。

「こんな子供の頃から将来が見えちゃうのも少しかわいそうな気もするけどね。」

妻が困ったような笑顔で続けた。

20xx年 AIの進歩により子育ては劇的に変化した。
現代の子育てはまさにゲームだ。子供のステータスはAIにより診断され、どういった才能を持っているかを可視化される。子供にたくさんの習い事をさせる育児法は過去のものだ。親は子供の才能に最適な習い事に集中的に投資をする。ピアノの才能があるか、それともサッカーが上手なのか。ハラハラしながらたくさんの習い事を試す時代は終わったのだ。

今やAIは人々の技能を把握し数値化することができる。ひょっとしたら、自分の子供にはブリスポルムの才能があるかもしれないのだ。そう、どこか遠くの国の、よくわからない才能に秀でていることもある。AIに隠し事はできない。

自然派を気取る一部の人間はこうした診断を使わず、昔ながらの子育てをしている。しかし、AIの圧倒的な精度の前に早くから才能に投資をされた子供に比べると、こうして育てられた子供は経済的には厳しい人生を送ることが多い。考えてみてほしい、試験を一度も受けたことがない子供をどこの学校が引き受けてくれるだろうか。彼ら、彼女らには無限の可能性があるとも言えるが、ただ現実を直視していない家庭だと思われることが大半だ。

以前に存在していた「奨学金」という制度は形を変えた。現在では長所スポンサーと呼ばれている。

企業や学校は才能がある子供のスポンサーとなり、学費のみならず生活全体を応援することもある。そのため、花形の才能がある子供の生活はとんでもないことになる。3年前、ある小学生がマイケル・ジョーダン以上のバスケットの才能があると診断された。彼にはアメリカを中心に多くのスポンサーが集まり、今ではAIが予測したように順調にバスケットボールの才能を伸ばしている。マイケル・ジョーダン以上の豪邸に暮らしながら、だ。

++++

21xx年

AI子育てが始まり、長所スポンサーによって育てられた第1世代はすでに高齢者と言われる年齢になった。彼らの世代は世界中のスポーツ、芸術、学問のあらゆる記録が劇的に伸びた世代だ。適材適所を究極まで突き詰めた時代のおかげで世の中はますます豊かになった。

しかし、社会全体はうっすらとした不安に覆われている。

新しいものが生まれてこなくなったのだ。人々は今あるものに適応している。既存の延長、既存の改良においては飛躍的に進化した時代ではあったが、誰もAIで確率を測れない新しいものを始めなくなったのだ。厳密に言えば、AIによって新しい道が全く提示されないわけではない。AIが思いつく新しい道も提示されているのだ。だが、成功率0.01%以下と示されている道に我が子を進ませることができるだろうか。また、道の数が多すぎることも原因だ。AIはありとあらゆるスポーツ、芸術、学問への成功確率を数値化する。真面目に全リストを眺め、検討すれば人生が終わってしまう。そして、自分の意志で選んだ道であっても、どこか客観的な評価を横目で見ながら選ぶことになってしまうのだ。

「昔は自由でよかったなぁ。」

Good Old Days

いつの時代でも昔はよく見えるものかもしれない。だけどすべての選択肢が数字で可視化された世界でコスパを追求しない選択はとてもむずかしい。なんでも自由に選べるが、それを自由に選べる人は現代の特権階級だ。

成功率を気にする必要もない、損得の外に生きる人々。

彼らはお金持ちの場合もあれば、貧乏な場合もある。しかし、自分の人生を自分で生きていることは皆の憧れなのだ。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?