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視座・エゴ・密度のアップデートをした話

どうも、アトラエという会社で、組織力向上プラットフォーム「Wevox」のCSや事業開発をしている、川上(@_YukiKawakami)です。今まで、採用による組織拡大や、toC事業のiOSエンジニア・企画の役割を担ってきました。

社会人4年目になってもFBをもらう機会が多いのですが、最近は周囲からもらうFBの種類が明確に変わった感覚があります。FBはいつも、「変わったな」とか「刺激になるわ」という承認の言葉から、逆に「まだまだお前に、経営/事業を任せられない」のような煽りまでさまざまです。

今回のnoteでは、新卒1年目の自分と何が変わったのかを振り返りながら、自分自身の思考を整理する内容としたいと思います。若手の方はもちろんのこと、誰かにとって少しでも良い「きづき」になれば嬉しいです。

視座

1つ目は視座です。よく、視座・視点・視野の3つが重要だと言いますが、その中でも視座は経験や環境のおかげで"結果的に手に入れるもの"だと思われがちです。

仮に、高い視座を持つことは「経験」がなければ難しいとすると、先人たちを一生追い抜けない無理ゲーにしかなりません。個人的には、そんなつまらない世の中なわけがないと思っています。

勝利条件は何か?どのような言動が良しとされているのか?誰がキーマンなのか?

私は、ビジネスの世界にも所属している組織にも「ゲームルール」が存在しており、私たちはそのゲームルールを理解し、自分の言動を選択しているのだと捉えています。

現在自分が理解できているゲームルールは、あくまで「自分が理解できるように理解している」だけであり、本来はもっと複雑だし難しい。逆に言えば、その前提に立つことができると、当人の想像力次第ではあると思いますが、自分の視座を自ら高める努力ができると振り返っています。

自分自身のゲームルールの難易度を変える上で、意識する変数はそこまで多くないと思います。

  • 時間軸を変える → 例えば、時間軸を未来に伸ばせば伸ばすほど難易度は高くなりがち

  • 成果に必要な要件を増やす → 例えば、 短期と中長期の両ドリや、共に幸せを分かち合うステークホルダー数を増やすと難易度は高くなりがち

  • 投資する量と種類を減らす → 例えば、若手が労働時間に頼れなくなると難易度は高くなりがち

その視座で考えたことなかった…となるのは当たり前で、「じゃあ考えてみて」と自分に問うときの差分にこそ成長余地があります。これまでの数回の環境変化を経たからこそできた視座のアップデートももちろんありますが、セルフフィードバックで視座を上げる方法も身についたと感じています。

もちろん、視座は下げることも重要だと思っています。「視座」とは、どこから見るか?でしかないので、決して視座が上がったら下げれないわけでもないですし、良し悪しがあるわけでもありません。

対話をしている相手に合わせて、ある種視座を変化させられる人は重宝されるし、それは若手の自分にとって発揮させやすいバリューにもなると思っています。ということでやっていきます。

エゴ

2つ目はエゴです。自分自身の欲や意志、心の底から渇望できる飢えを認めてあげられるようになりました。

わたし自身の今期のテーマは「飢え」です。余談ですが、常に意識できるように、実はSlackのステータスアイコンを🐺(狼)に変更しています。

ブルーロック29巻より引用

エゴや欲を持っている人にはそう簡単に勝てません。

そもそも人間は本来とてもエゴの塊だと考えていた自分ですが、「エゴ疲れ」に陥ってしまっていたのだと気づきました。(大学生のときに書いていた拙いnoteにも、"人間はエゴの塊"と書いてました)

少し前の自分は、お前はどうしたい?と問われたときに、「チーム全体として勝つために必要なことは何か?を考え、そこに必要な貢献で関与し、潰すこと」のような回答をするのだろうと想像します。チームの have to が must に変わるイメージで、世界・社会・組織があるべき理想状態に対してのギャップを埋めることは、ある種自分のエゴだと整理していたようです。

しかし今は「勝ちたい/勝たせたい」「社会に届けたい」「おとなの教育をしたい」というような、以前よりも欲求の主語が自分自身であり、比較的シンプルなものになっているような気がします。

エゴに疲れ、エゴと少し距離を置いていたことから、自分の欲求やエゴを認めることができず、チームや組織を主語とした少し高尚な言葉に置き換えられていたと振り返っています。まるで、自分の心の声に蓋をしている感覚です。

結果としては、自分とアトラエをフラットに捉え、その重なりをどのように大きくしていくか?を考えることができるようになりました。これによって、貢献の広げ方のバリュエーションや自分自身の活かし方が増えた気がしています。

また、自分のエゴや飢えに従うことで、リスクを背負った闘いも信じ抜けるようになったことが最もデカいかもしれません。頭でっかちになって成果や成功がありそうな道を選んでいても、先人たちを追い抜くことはできそうもありませんしね。

密度

3つ目は密度です。特にこのnoteでは「時間対意思決定強度」とし、与えられている時間は同じだが、意志決定に至るまでの密度や強度が高いことを指します。

サッカーに置き換えて考えてみましょう。

あなたはセンターバックです。右サイドバックからあなたにパスが届きました。結果としては、逆サイドにサイドチェンジをするパスを出しました。

さて、密度の高い選手と低い選手だと、この意思決定に至るまでのプロセスはどのように異なるでしょうか。

密度の低い選手は、「サイドチェンジ」をすることを目的とし、それに必要な情報を受信/処理しているのかもしれません。具体的には、マークがついているかどうかや、相手の利き足とかでしょうか。

一方、密度の高い選手はどうでしょうか。密度の高い選手は、サッカーの「点を多く獲った方が勝ち」というゲームルールに従って、ゴールに近い選手へのロングフィードを検討しているのかもしれません。もしくは、ボランチの選手への楔を入れることや、右サイドバックへのリターンで時間を溜めることも検討しているかもしれません。

どちらも同じ「サイドチェンジ」という結果に至るかもしれません。しかし、これらの選択肢を検討した上で、最上段にある勝利を意識した意志決定プロセスを経ているかどうかは、選手としてのクオリティが全く違うと言えそうです。

これはビジネスでも同じだと思っています。

ビジネスにもサッカーにも、ゲームルールやセオリーは存在します。その上で、トッププレイヤーは、得られる情報量・情報処理速度・成果やゴールからの逆算、のレベルが違います。逆に言えば、ポテンシャルプレイヤーは、自分の見えている情報を優先して、偏った情報で勝つための方法を模索・検討しがちです。

この密度の概念は、経験を積めば積むほど高まり、先人たちの優位性が高い強みとなりがちです。しかし、これまた経験や時間の概念に抗わなければ先人たちにはいつまでも勝てません。

入社当初と比べると少しだけ密度が上がった自分が振り返って思うには、成果やゴールから常に紐づけることだけは能力に限らす誰しもができるということです。サッカーであれば、「ボールを持ったら絶対に顔を上げてゴールを見ろ」というコーチングになりますでしょうか。

常に成果やゴールから日々のミッションに紐づけることを反芻していると、嫌でも情報処理の速度やそれに必要だと感じる情報量も増えてきます。

「世界中の人々を魅了するにはどうする?」といった、会社のビジョンと同等のレイヤーで考える癖をつけることで、M&Aするならどこ?Wevoxのイシューを1つに絞るなら何?といった抽象度かつ難易度も高い問いが社内外から集まってくるのではないか。

そんな事業と組織のど真ん中にいるプレイヤーになれるように、密度をさらに高めて先人たちにしがみついていきたいと思います。

おわりに

今回は、視座・エゴ・密度のそれぞれのアップデートの観点でお話しましたが、「自分が信じ抜ける仮説を、自分の意志で選択すること」ができるかどうかが共通して重要なのだと気づきました。

仮に視座が高くても、なぜその視座でその視点を見ることを選ぶのか。
仮にエゴを持ってしても、なぜエゴを貫くことが正だと信じ抜けるのか。
仮に密度が濃くても、なぜ自分だけが見えている情報を仲間と進むべき道だと信じるのか。

自分たちよりも頭が良くて仕事ができる天才たちは山ほど社会にいる中で、自分はアトラエはわざわざ勝負をするのか。自分たちにしか信じ抜けず、自分たちにしかできない面白い勝負をするために、理想の組織とそこから生まれるヒトの可能性を拡げる事業づくりをやり続けていこうと思いました。

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