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「女性の社会進出」に代わる言葉を作りたかった話

随分前に、兄から「女性の社会進出」という語彙を言い換えたいという相談を受けた。
聞くとなるほど、この言葉は結局「社会に出ていないのが偉くない」という認識に基づいているし、もっと言えば井戸端会議だって立派な社会活動である。確かにあまりフェアな用語では無いかもしれない。求めるニュアンスを変えず、取り敢えず表現だけをジャストなものにしたい。

一つ思いつくのは以前の結婚(≒専業主婦)という契約はあくまで個人、或いは家族単位の奉仕という意識が強かったわけで、それを「社会への奉仕ではない」と切って捨てた表現にみえる。もっと資本的な見方をするなら、「経済主体」という観点もあるだろう。

雇用というのは経済的な個人契約なわけで、公的に開かれた経済社会における「提供」と「享受」の「提供」にあたると感覚的に見られているわけだが。これを一つの基準として、この双方を満たさないのは、「経済主体たり得ていない」というか、未熟である、という感覚があるのではなかろうか。

では「労働」と使えば解決かというと、社会の代わりに「労働」という言葉を使うのは現代的にはあまり美味しくないと思う。(家事の職業認識化は「家事は間接的に開かれた社会活動である」とする感覚の拡張を意図しているわけだから、その流れに反するという意味で。)

賃労働とも思えど、「生活費貰って家事するのも賃労働の形態では?」と思ってしまったが、おそらくそうではない。たぶん象徴性が弱い。「雇用契約」が経済的な象徴性を持つように、「結婚」という契約に象徴された専業主婦は経済的なニュアンスを意図しないから、ステップとしてのイメージを持たない。

前述の通り、働きに出ている経済的な繋がりも主婦の会のつながりもソーシャルであることには変わりないわけだから、ここは「経済」というワードで区別するのが気持ち良いのではなかろうか。
この話のキモが「社会的な地位の強さ」であることからするに、行動とか、離婚の主導制限が経済主体であるか否かに関わっていることを考えると、多分「経済的自立」という語彙がそっくりニュアンスに変えられるのではなかろうかと思うが、どうだろう。

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