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THE FIRST TAKEは「なにでないか」、或いは星街すいせいの話

自分自身迷子になりそうなのではじめに断っておくが、これはTHE FIRST TAKEの話であると同時にVTuberの話で、つまるところ自身のオタトークだ。これを念頭に書き始める。

THE FIRST TAKEの公式ページのアオリは「ありのままの自分を。ありのままの音楽を。一度きりにこめる。」なのだが、これは誤解を恐れずに言えば、通常の楽曲は「アーティストを通して曲が発信される過程」という側面が強めなのに対して、THE FIRST TAKEは「曲を通してアーティストが発信される過程」という側面も強く持ち合わせているということなのだと思う。実際今までも、チープな言い方をすればベテランと新人の余裕感の違いとか、曲への取り組み方とか、収録への取り組み方とか、そういうところを切り取れるところもコンセプトのうちなんじゃないかと思わせる投稿は沢山あった。今回星街すいせいのTHE FIRST TAKEが出るということで、これがどう作用するのかという不安と期待があった。

時間になって聴き始めると、星街すいせいのTHE FIRST TAKEには収録にあたってのやり取りや空気感は思ったよりオンエアに載らなかった。正直なところ、これを残念に思う気持ちははじめにはあった。

だが彼女が歌い始めると、アーティストの緊張感というか、そういうものが他のアーティストと変わらないディテールで伝わってくる。そしてそのことに動揺している自分が居る。
いくらでも取り繕うことはできるが、恐らくこれは「自分の中で"星街すいせい"から抜け落ちていた21グラム」を知覚させられているからに他ならないと思う。
つまり、THE FIRST TAKEの「ありのままの自分」であって「曲を通して発信されるアーティスト」であるという部分が、バーチャルアーティストというかVTuberとしての一つの命題でもある「実像感」という部分とかなり深い部分で共鳴しているということ。そしてそれが画じゃなくて音で伝わるということの優位性を強烈に叩きつけられたということなのだろう。

多分星街すいせい側からこの動画に入った人の大半は褒めるだろうし、THE FIRAT TAKE側から入った人は「いいじゃん!」とか「思ったより良かったな」とか「思ったほどじゃなかったな」みたいな、様々な意見があると思うのだが、そういった話とは根本的にジャンルの違う、THE FIRST TAKEは「アーティストのアスリート性を強調するものじゃない」というメッセージを送るコンテンツとして、そして星街すいせいというコンテンツをより鮮烈にするものとして、素晴らしい出来だったと思う。

結果を述べれば視聴後の満足感は期待以上だった。リアルタイムでコンテンツを閲覧できることと、それを支えてくれているであろう多くのプロフェッショナルとアマチュアに感謝したい(クソデカ主語)。
2023年、すべてのバーチャルアーティストの旅路に幸多からんことを。

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