『知ってるつもり 無知の科学』スティーブン・スローマン

本書は、(実際には全然であるにもかかわらず)人間がいかに自分には確かな知識があると過信しているかを示したものである。各個人が知っていることなんてたかが知れているのに、多くのことが成し遂げられた。1940年には人類は核の力を使えるようになった。1970年には人類は月に行けるようになった。いずれ万能量子コンピュータも使えるようになるだろう。しかし、これらについて誰か1人が全てを知っているわけではない。飛行機の作り方も多分誰も知らない。知性は個人ではなく集団に宿っているようである。

新たな知見 →  ・包括アーキテクチャ:知能をもっているかのようなロボットの設計方法。単純な部品を組み合わせて高レベルの機能を実現している。ここでは知能を単に集団ではなくヒエラルキーとして捉えている。

・飛んでくるボールをキャッチすることについて:プレイヤーがボールをキャッチするとき、ボールの軌道の2次方程式を解いているのではなく、ボールを仰ぐ角度を見て正しい場所に行っている。この方法のメリットは、必要な情報が瞬時に得られること。この方法なら知能いらずで目的を達成できる。また、2次方程式を解いてから目的の地点に行くのではなく、大体正しい方向に行きながらその方向を調節できることである。これなら使える時間が増える。

・科学に対する理解に対して:我々の科学に対する意識は証拠を合理的に評価している結果ではない。ワクチン反対派の人にワクチンの効能、ワクチンには重大な副作用があるということに対する否定的な結果をいくら説明しても、理解が得られるどころか余計ワクチンを拒否するようになった。科学に対する姿勢は社会的、文化的要因(他の人がどう思っているか、慣習はどうであるか)によって決まるようだ。

・私たちは自分のちっぽけな知識に自信をもってしまっている。その知識を披露した相手に知識がない場合、余計自分の知識に自信を深める。教わった側の人は、相手が自信満々に言っているのでその知識を信じてしまう。こうしてできたコミュニティでは、メンバーは互いに支え合うが、コミュニティ自体を支えるものは何もない。

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