モナーク: レガシー・オブ・モンスターズ が凄い件に関して

ゴジラ-1.0が北米でかなりのヒット、アカデミー賞まで取ってしまい、週末にはモンスター・ヴァースの最新作も控える今日このごろ、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

いきなりですが、AppleTV+で、レジェンダリーのゴジラシリーズ、「モナーク: レガシー・オブ・モンスターズ」が配信されているのをご存知でしょうか。モンスター・ヴァースに出てきた秘密組織、モナークを扱ったTVシリーズなんですけど、これがめちゃくちゃ凄かったのでちょっと感想を書かせてください。

正直いってちょっと舐めてました

ぶっちゃけた話、AppleTV+で配信!と聞いた時は「客層間違ってない?」って思ったんですよ。AppleTVといえば、天下のApple。iPhoneのCMに出てきそうなシャレオツな作品が出てくるイメージがあるじゃないですか。

モンスター・ヴァースといえば、前々作のキング・オブ・モンスターズでは「すべての映画にはゴジラが出てくるとさらにおもしろくなると思う。例えば初代ゴジラに、もう一体ゴジラが出てきたら……ゴジラがダブルでさらにヤバい」という発言で有名なドハティ監督というゴジラ教徒がいたり、前作のゴジラVSコングでは、空母の上で殴り合うわ地球に穴を空けるわ、いかにもワルそうな企業が作ったワルワルロボであるメカゴジラが大暴れしたり、それをゴジラとコングのタッグが両手を持ってコーナーポストに叩きつけるなど、小学生が考えたようなシチュエーションを大真面目にやっているシリーズなんですよね。

誤解しないでほしいんですが、私はめっちゃ好きです。ゴジラとコングが共闘するところは大喜びでキャッキャしてしまいましたし、子供の頃の自分がこんな映画みたいなぁと思った映画がそのまま出てきた感じ。これは……夢?小学生の頃の自分がソフビ人形を両手に持ってソファーでお昼寝している時に見た夢なの!?4DXでもう一度見たぐらいにはお気に入りです。それはそうとして、こんなやりたい放題している作品を、Appleはどうやって一般向けにするつもりなんだ?

いくら天下のAppleだって……これをシャレオツな空気にするのは無理だろ〜〜!!と思っていたんですが……

ところが蓋を開けてみてびっくり。とてつもないクオリティでシリアスな作品に仕上がっていたんですね。これは大事件ですよ。よりによってモンスター・ヴァースでそんなこと可能だったの!?

日本描写に逃げ無し!

モナーク第一話は、亡くなった父の遺品を処分するために、主人公のケイトが羽田に降り立つところから始まるんですが、実際に東京でロケして作られたリアルなシーンにまず度肝を抜かれます。適当な街にTOKYOのテロップを出してごまかすような逃げはとらないんですよね。ジャンジラ市とかはなんだったんだという気分にもなりますが、おそらくスタッフに日本人がガッツリ食い込んでいることもあり、「西洋人の考えるインチキ日本」が全く出てきません。街中の「ゴジラ注意」の看板は、やはり津波注意のイメージなんでしょうけれども、非常に胸に来るものがあります。

メインとなる登場人物も、日本人キャストで揃えているのでリアル感が半端ない。特に、日本語ネイティブはこのドラマを120%楽しめると思いますので原語版でみることを強くお薦めします。メインキャストは、日本語も英語も両方喋れるんで、シームレスに言語が入れ替わるんですが、例えば家族だけに聞かせたい話を日本語でしたり、逆に母親に聞かせたくない話を英語でしたり。使い分けが非常にうまい。

もう一人の主人公である日本の青年ケンタロウは、日本語を使うシーンだと、すごい生意気な今風の若者なんですよね。「〜じゃん」「って言ったでしょ」みたいな言い方をする。この絶妙なニュアンスがたまらない。(あとカレーでやった!って喜ぶシーンが良すぎる)

すげぇ!と思ったシーンが、ケンタロウの母が拙い英語でケイトに真実を話してくれるように頼むシーン。本当に、英語が下手なんですよ。役者さんはペラペラみたいなので、これも演技なんでしょうけれど、言語の壁があっても、どうしても真実が知りたい……!という必死さが出ていてぐっと来ました。

母ちゃんはほぼ日本語しか話さないんですが、それでもシェルターの中でケイトを気遣うシーンとかで、善人なんだな……と言うことが分かるから演技力と演出がすごい出来なんですよね。

それから、日本に対する解像度が高すぎる。警官の「外人さん、被害を訴えているのは分かるけど、大使館に対応してもらったほうがいいよなぁ……」みたいな態度のリアルさとか(警官も仕事をしているだけなんですが、そこがめちゃリアル。お役所仕事はどうしてもこうなりがち……!)

ポリンキーの歌まで出てくるのは異常だと思いました。このCM、完全にその年代狙い撃ちじゃん! あと、登場人物との関係を家族に問われて、とっさに「少女漫画の愛好家つながりで出会ったんです。ベーシックな少女漫画、萩尾望都、武内直子……」などの嘘が外国人のキャラからスラスラ出てくるのもすごい。そのラインナップがさっと出せるのはかなりのツワモノです。

OPで毎回「東宝のゴジラに基づく……」という文字列が入るのは伊達じゃない。徹底的に研究しています。

キャラクターの良さ

登場するキャラも非常に好感が持てます。主人公のケイトは気が強いアジア系の西海岸住民という感じで、英語の先生にいそうだな……って感じなんですが、実際学校の教師として働いていたことが途中で明らかになります。

最初は、理由もわからずTOKYOでトラブルに巻き込まれてしまうという立ち位置なんですが、姉の自覚に目覚めて(?)からは、リーダー的な立ち振舞いが多くなるんですよね。これ、元教師というバックグラウンドがめちゃくちゃ納得できます。引率の先生になりつつある。

日本の青年、ケンタロウは「自称」アーティストと呼ばれているし、本業は会社員っぽいので、売れないアーティストとの二足のわらじなんでしょうけれども、完全に生意気な弟キャラとして頭角を表します。

ケイトと並んでいると、めちゃくちゃ面白い。ドラマシリーズを通して、この二人の関係が姉と弟みたいな感じになっていくのが本当に良いんですよね。家族になっていく感じで。

本筋と並行して語られるモナーク誕生秘話も、「ゴジラを倒すのにウランが必要だ。日本に落としたものと同じものが」というセリフにさっと目を伏せる日系人のキャラクターとか、「ゴジラが核でも倒せないということが、上層部に分かってしまえば、さらに強大な兵器を作ることになる。それでは……」という苦悩とか見どころはたくさんあるんですが、私としては、将軍のキャラがヒットしました。

将軍、作中の扱いは嫌なやつなんですよ。軍で出世することを考えて、平穏な生活を送りたがっている。言う事を聞かない若者は容赦なく左遷する。でも、怪獣にまつわる実験が失敗して人命が失われた時、プロジェクトを躊躇なく凍結するんです。そして、その時に「戦争は老人が命じて若者が死ぬ」とポロッと漏らすんですよね。

その一言で、ぐっと深みが出たというか、格が上がったんですよ。そうなんですよね。将軍は責任者なんですよね。実験に許可を出したのも将軍であれば、それを命じたのも将軍。だから、その実験で人命が失われれば、責任を取らなければならない。だからプロジェクトを凍結せざるを得ない。

モナークの過去編は、太平洋戦争の影響が色濃く残る時代です。将軍も実際に戦場を見てきたわけで、そのセリフと表情で、何を見てきたのかがなんとなく分かる。出世して、平穏な生活を望むという、一見すると最悪な老害ムーブも、考えてみれば、部下を死なせるよりはマシなんですよね。(将軍、目をかけた若者に自分の生き方を目指すように諭したりするので)

モナークの研究が凍結されたおかげで、ゴジラに対する情報は闇に葬られ、そして、21世紀のGデー(ゴジラ出現日)を迎えてしまうわけですが、これを「責任者が無能で自分勝手だから」という話にはせず「責任者が責任をきちんと取ったから」にしているのが、非常に良いと思いました。

百合展開にも投入できる。そうゴジラならね

「すべての作品にはゴジラを投入したらもっと良くなる。初代ゴジラにゴジラがもう一体出てきたら、ゴジラがダブルでさらにヤバい」

マイケル・ドハティ

という名言があるわけですが、今作はそれを地で行きます。過去回想シーンで、百合カップルの喧嘩別れのシーンが挿入されるんですよ。片方の浮気で、関係が終わりかける。仲直りしなきゃ。まあ、よくある展開ですね。しかし、そこにゴジラが現れてすべてを破壊して去っていく。何?何何何!?私は何を見せられているの!?
と最初は混乱してしまったんですが、とにかく決して戻らない日常を破壊する舞台装置としてのゴジラの使い方がめちゃくちゃ上手い。ゴジラ同人誌とかやってました?

とにかく、「かせ!ゴジラのポテンシャルはこんなもんじゃねぇんだ!」という無言の「圧」を感じたようで、身が引き締まる思いであります。

日常を破壊するゴジラという存在と、それを認めない人々

(破壊されたサンフランシスコを目の当たりにして)
「これを偽物だなんて思うやつが?」
「同じ目に合うかもしれないと考えるより楽だから」

モナーク;レガシー・オブ・モンスターズより

今作、私が心底感心したのは、ゴジラ観なんですよね。ゴジラって核兵器であり、戦争であり、破壊であり、恐怖であり、災害じゃないですか。直近だって、シン・ゴジラでは、東日本大震災とその後の原子力災害をゴジラを通して描いているし、ゴジラ-1.0では、主人公の戦争のトラウマとしてのゴジラが描かれている。

しかし、モンスター・ヴァースではゴジラを「自然の脅威」「歩く災害」として捉えているとは思うんですが(ハワイの津波を意識したシーンとか)、核兵器の部分に関しては「核実験はゴジラを倒すためだった」みたいな設定にしているので、私は正直かなり思うところがあったわけです。アメリカの都合だから仕方ないとは思うんですけど。なので、今作のゴジラ観に関してはそんなに期待していなかったんですが……。

今作、なんとコロナ禍と陰謀論を取り込んで怪獣に接続しているんですね。あまりの鮮やかさに衝撃を受けました。

例えば、ケイトが羽田に降り立ったとき、タクシーの運転手から「サンフランシスコをゴジラが襲ったというのは、捏造ですよ!CGなんだ!」というヤバ陰謀論をかまされるシーンがあるんですが、このシーンがわざわざ冒頭に入っているのも、今作のテーマに即しているからだと思うんですよね。

作品中盤、ケイトの父親の手がかりを追って、破壊されたサンフランシスコに主人公たちが潜入するんですが、そこで完全に破壊されつくされた街を見てケンタロウが一言「これを偽物だなんて思うやつが?」と言うんですよね。そこにケイトが「同じ目に合うかもしれないと考えるより楽だから」と答えるんですよ。

冒頭でも引用しましたが、これが今作ではすごく重要なキーワードになっていると思うんです。

モンスター・ヴァースの地球は我々の地球とは違って、地球空洞説な世界なんですよね。正確には地球の中に異世界に通じるゲートがあるみたいな感じなので、微妙に違うんですけど、まあ言ってみれば、人間が日々の生活を送っているその足元には、太古の怪物(神々)が今でも住んでいた……。という世界なわけで、怪獣(神々)が本気を出せば人類の平穏なんて一瞬で吹き飛ぶ、そんな儚い世界なわけです。

ところが、モンスター・ヴァースの人類はその現実を直視できない。Gデーにゴジラがサンフランシスコを襲って壊滅させても「あの映像はフェイク!」と叫び、現実から目を逸らす。そんな馬鹿な話があるかよ。と思うかもしれませんが、実際のコロナ騒動を見てみるとたしかにそんな人は出てくるかも……という嫌なリアリティがあります。

モナークは世界各地の怪獣を把握していましたが、結局怪獣による被害を止めることができなかった。私達で言えば、東日本大震災や阪神大震災を知っておきながら、結局それを止められなかったわけなんですよね。ケイトの父親はGデーの後、モナークを辞めて姿を消すのですが、そう考えると、その気持ちもわかります。

極めつけはケイトがまだ教師だった頃、生徒がスマホでハワイに現れたゴジラの映像を見ているシーン。ケイトはその映像を「ネットのフェイク」と断じて「そんな情報に騙されないように」と釘を刺すんです。

これ、すごいシーンですよね。もちろん現実には怪獣なんていない。そんなものは嘘っぱちです。でもモナークの世界ではそれが真実だったわけです。陰謀論と常識が全く真逆に入れ替わるシーン。そして、ケイトの発言は正常化バイアスなんですよね。今の日常が明日も変わらず続いていくだろうというそんな漠然とした期待。

でもその期待は裏切られる。ゴジラが来てすべてを壊す。恋人と仲直りできたかもしれない未来を、平穏な生活を、全てを破壊して去っていく。

ケイトは、眼の前で生徒たちをスクールバスごと失っています。ゴジラが災害の象徴だとすると、眼の前で生徒たちが全員津波に巻き込まれてしまい、一人だけ助かったようなそんな立場です。

ある日、突然今までの日常が音を立てて崩れる。それは地震でも、津波でも、戦争でも、疫病でも、どんな原因だって良い。今作ではそれがゴジラというだけで。

考えて見れば、我々もモンスター・ヴァースの住民を笑えません。私達の世界に怪獣はいませんが、南海トラフは実在する。東日本大震災レベルの地震は来るのかという話になると、ほぼすべての科学者は「確実にくる」と考えています。ただ、それが1年後か、100年後か、いまはわからないだけで……。モンスター・ヴァースの住民の足元に怪獣が眠っていたように、私達の足元にも、人間には決して抗えない巨大な力が眠っているわけです。

しかし、その上で暮らす私達は、そのことを自覚して、日々を過ごしているか?というと、残念ながら……ですよね。避難訓練だって、非常用の備蓄の食料だって、みんながみんな備えているわけではない。

メメント・モリではないですけれど、今の日常がある日突然終わるかもしれないなということを考えておくのは大事なんじゃないかなと思うんですよ(そして備えよう!)

どうしちゃったんだよモナーク!

以上、モナーク:レガシー・オブ・モンスターズの魅力について書かせていただいたんですが、他にも見どころは沢山あるんですよ。どのシーンを切り取っても、そのままAppleのCMにできそうなぐらい画面の構図が綺麗ですし、どんどんと新事実が出てくる脚本もめちゃくちゃ上手い。あ!めちゃくちゃ油乗っている時の洋ドラだ!って感じがビンビンします。

意識が高い作品かというと、めちゃくちゃ意識が高いんですが、その上で基礎体力もめちゃくちゃ高いので、ずっしりと胸に響きます。

ただ、後半になると、謎が謎を呼んだまま続く……!になったのもすごく洋ドラっぽいわけですが、まあそこまで毎回楽しんで見れたからいいかなって気にもなります。

見終わった後、私は「すごいものを見た……」という感動を覚えましたが、数秒して「いや、なんでゴジラでこれをやろうと思ったんだよ!」と突っ込んでしまいました。

というか、確実にApple社内に「よし!次はゴジラでいくぞ!」って決めた人がいるわけですからね。オタクが権力を握ってしまったのか……?ただ、出来上がったクオリティを見ると、そのオタク、相当有能だったのではないかと思います。そこにAppleの資本力と、めちゃくちゃデキるスタッフが集結したおかげで、すごいものが出来たという感じ。

よくよく考えると、「コング:髑髏島の巨神」も毒ガスマスクをつけたトム・ヒドルストンが日本刀を持って戦ったりトリケラトプスの頭蓋骨の上に、機関銃を設置して撃ちまくったり、コングが凶器を手にして大暴れしたりと、愉快なシーンが多いので、やりたい放題やっている映画と思われるんですが(実際やりたい放題はやっています)、コングのイメージを、美女にうつつを抜かす野蛮な野生の怪物から、誇り高き戦士に変えていたり(なんと今作のコングは美女になびかないのだ!)、ベトナム戦争周りのテーマを拾っていたりとかなり工夫した作品であるんですよね。

コングが米軍を襲ったのは、森に爆弾を落とされたから……なんですが、段々と目的が「生き残ってこの島から脱出すること」ではなく「あの野蛮な化け物をぶっ殺すこと」に変わっていく隊長は、泥沼に陥ったベトナム戦争そのものですし(コングを劣った存在と見下していたからこそ、負けることが許せない)、コングを怪物ではなく、心のある存在だと考える主人公チームと、「かつての敵の日本兵とこの島で親友となった」マーロウという存在は、戦うことを選んだ隊長と、綺麗な対比になっていると思います。

コングVSゴジラでも、コングを手話でコミュニケーションできる知性ある存在にしたのもゴリラ観のアップデートにつながっていると思いますし、聴覚障害者の目線のシーンでは音が全部くぐもった感じになるという演出も、話題になりませんが、かなり工夫されていると思うんですよね。

いわば、バカバカしいことを全力でやりつつも、細かい部分がやたらと真摯だったり、テーマに真面目だったりするのがこのシリーズのいいところといいますが、その真面目部分を綺麗に抜き出したのがモナークということができるでしょう。

とはいえ、ゴジラVSコングの後にこれを見るのは、なんか今までスーパーふざけていた人が突然真顔になって「モナーク」と言い出したような感じがあり、あまりの温度差に風邪をひくかと思ってしまうレベルです。

しかもこの後控えているのが、ゴジラ✕コング 新たなる帝国ですからね。予告の時点から、二人してダッシュするゴジラとコングとか、コングがゴジラに乗れば……その威力は数十倍にアップする!とでも言いたげな合体とか、ヤンキー漫画みたいにでかい歯がドーンと飛んでいくシーンとか、にかくやりたい放題な作品なわけですが、本当にいいのか……?このドラマシリーズだけ見てこの映画見に行ったらヒートショック起こさない????

それとも、今作もバカバカしい展開をやりながら、実はめちゃくちゃ感動する出来になっていたりするんでしょうか。4・26、金曜日の公開を楽しみにしながら、予告編を見ることにしましょう。

……いや、やりたい放題だな!(ニッコリ)

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