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等身大の自分で居る


等身大

と言う言葉になぜか惹かれます。

そしてこれは、今の私の在り方でもあります。

私は完璧主義の感性が強かったです。
今では力を抜くことを意識しているので
常に全力完璧100%!!という感じではありませんが
ほんの数年前までは凄かったです。

1番じゃないと気に食わん!
人の上に立つ方が向いてる!
人に物事を教えるのが得意!
何でも完璧にしたい!
あの子に負けたくない!

こんなことばかり思っていました。

これを露骨に出すことはしませんでしたが
心の中はいつもメラメラと燃えていました。

このモチベーションのお陰で、
様々な経験をさせてもらいました。
今でも高校の部活動の仲間からは「キャプテン」と呼ばれます。

でも、この思いは大学生になってからは
あまり強く思わなくなりました。

勝てない。上に行けない。
そう思うことが多くなり、諦めて受け入れてしまったので、ある程度は頑張りましたがもっともっと!とは思わなくなりました。

負けず嫌いが、どこかへ行ってしまいました。

それはとても楽でした。
辛い思いも悔しい思いもしないからです。

社会人1年目、それを職場の先輩に話すと
「嘘でも負けず嫌いですっていった方が良いよ」
的なことを言われた気がします。

そのような意気込みがないと仕事していけないよということだったのかなと今では思いますが、その時は負けず嫌いじゃないとだめなの?疲れるやんと思いました。(お仕事を舐めてるわけじゃないのです)

そして退職し、無職になりました。

無職期間中、なぜかふと"等身大"という言葉が
魅力的に思えたのです。

仕事をしている時は

仕事ができる人に見られたい
何でもできる子だと思われたい
気が利く子だと思われたい

このような思いが強く、現実では何もできない自分とのギャップでどんどん自分が何もできないクズに思えてきたのです。

それはそうです。だって社会人1年目ですもの。
何もできなくて当たり前なのに、それが受け入れられなかったのです。

そこで、等身大の自分を大切に受け入れることにしました。

「良く見せたい」という思いが完璧になくなったわけではありませんが、そう思った時に呪文のように「等身大等身大等身大等身大等身大等身大等身大…」と思うようにしています。

よく見せようとしたって、相手の目によく写っているかはわからないからです。

なので出来るだけ自分の素を、等身大な自分を見てもらうように頑張っています。

そして、負けず嫌いな自分も、完璧主義な自分も
それも等身大の私なのです。

そんな自分を、今は自分が1番に受け入れられるように毎日のんびり生きています。


覗いてくれてありがとうございます。
等身大の自分が好きになれますように。

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