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リクビダートル

Ликвидатор

1986年4月26日、ウクライナ北部のチェルノブイリ原子力発電所4号機が炉心溶融ののち爆発・炎上。
爆発した4号炉を遮蔽する構造物を造る、汚染廃棄物を処理するなど、事故処理に延べ60万人が動員された。彼らはリクビダートルと呼ばれた。

阿のくちの残んの寒さ云ふかたち

ピエールはマリーにいいました――「かくされているのが、なにか、うつくしいものだといいね。」***

凍へつつ嘉せるほのほ原子炉に

地下足袋の天使が被るヘルメット

原発事故による避難区域「ゾーン」は強制退去後、広大な無人の領域となった。

おぢいさん(ジェドゥシュカ)は兎追ひしよかの山で

「あ、あれがオレンジの森」とガイドが指さす。****

雪の娘(スネグラーチカ)奇妙な松を飾りけり

いともちひさき菫に隠れゐたる塵

そこは現在、多数の生物が放射性物質を帯びたまま激しく生育する緑の楽園となっている。

地衣類に苦く温みし水及ぶ

白服の、羽根なきをのこ働けり

草千里駆け来よCs負ひしままに

出馬の骸に苦艾(チョルノブイリ)生ふ

復活祭のあとの日曜日、故人とランチを共にするため、例外的に市民達は立ち入り禁止区域の墓地を訪れる。

ぼた餅もて別れを告げる日(プロヴォーディ)の丘へ

階も磨かれてゐて新墓かな

粥(カーシャ)吹いていらなくなつた本売りに

「再灌漑されたピート地はどこでも、こことまったく同じように、鳥の聖域になっているんです。」*

牧神(パン)の角笛ならずや日時計の指針

滴りて色も匂いもなく誘ふ

化野よ怖いくらいに緑なる

たれも見たことのない蝶在らしめて

「すごくきれいね」。私は双眼鏡をのぞきながら言った。
「放射能さえなければね」。リマが言った。*

露の野を鳥群れ飛べり傾ぎつつ

虫すだく彼処に人のなかりけり

避難を拒み、放射線管理区域に舞い戻り住み着く人々がいる。彼らはサマショール—居座る人—と呼ばれている。

自家製酒(サマゴン)に嗽ぎ踊ろぢやないか

振る舞へる極彩色のきのこ鍋

ペチカ燃ゆ大石棺の傍らに

チェレンコフ光は青い光だという。

栗鼠かち割る木の実デーモンズコアならめ

マトリョーシカ振ればいくつの核種鳴る

何しろ半減期が二万四千百十年で、現世人類が最後の氷河期に初めてポレーシェに住みついてから流れた歳月とほぼ等しいのだ。*

何んの香や炉心の燈火きゆる時

放射性廃棄物容器(キャニスター)込めばやオンカロの凍穴に

リクビダートルはロシア語で「後始末をする人」という意味を持つ。

楽園に王なく人は懐手

ほんとうに最後に始末を付けるのは、

肘折る兎馬照らす銀河の冬蛍

もろともに森蘖ゆるとこしなへ

「それらは神様が人間のためにおつかわしになったものなのです」**

永劫回帰いつかわたしが被る虹


【引用文献】
*『チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌』メアリー・マイシオ/中尾ゆかり訳(日本放送出版協会)
**「Die Energie 5.2 ☆ 11.8」三原順『三原順傑作選 (’80s)』(白泉社)
***『伝記 キュリー夫人』ビバリー・バーチ/乾侑子訳(偕成社)
****『もの食う人びと』辺見庸(角川書店)

※「豈」62号掲載作品と一部異同がありますが、こちらが正しい表記となっています。パーレン()括り箇所はルビです。

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