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『九重』第一期・総解説

『九重』は2021年に創刊した佐藤りえの個人誌です。既刊の5号までを第一期とします。各号をBOOTHで絶賛販売中です。→コチラ
総解説、などと大きく出ましたが、こぼれ話的なことを各号綴ってみます。


1号(2021年12月刊)

個人誌をはじめようと思い立った理由は俳句同人誌「豈」66号の特集「私の雑誌」に縷縷書きました。詳しくは「総解説・付録」をご覧ください。

小回りのきくサイズ感、読み切れる分量、作りたい時に、さっと出せること。大仰なことでなく、送る側も受け取る側も、過度に緊張を強いられることなく、受け渡しが気軽である。こうした特徴に、遅まきながら、作り手としてのチャンネルがかちりと合いました。

「生存報告系個人誌「九重」の真実」(豈66号)

「個人誌ってこんなところがいいよね!」的なことが列挙されています。私が世情に疎く知らないだけで、はがき通信や個人通信というものは流行廃りといったものはさほどなく、常にどこかに、間断なく存在します。20年ぐらい前にあった合田千鶴さんの「MANO」とかもたいそう格好よかった。

「九重」の判型はB6判で、おそらく多くの同人誌・詩歌にまつわる雑誌の判型(A5)よりひとまわり小さいです。「ひきしまった紙面にしたい」という希望がありました。
レイアウトで何より大事なのは余白なわけですが、充分に白くありつつ、俳句や短歌、文章が読みやすく、かつ居住まいがよい状態にしたい。
実は余白は各号で微妙に変わってるところもあります。ノドの部分などは多少トライ&エラー的な見直しも入ってます。

刊行を思い立ってからすぐ、最初は賑々しくいこう、と決めました。
創刊号のメンツはたまたま全員女性になりました。ゲストはすべて女性、と考えたこともなきにしもあらずですが、偶然です。しかし今考えても、とても素敵な面々にお越しいただけました。
笠井亞子さんは西原天気さんと「はがきハイク」を発行しています。プライヴェートプレスの先輩です。そのデザインもさることながら、俳句も実にチャーミングでイカしているのです。
戸田響子さんは狂気とお菓子が絶妙にミクスチャーされたかのような、質感を持った短歌をぞくぞく生み出している注目の歌人です。収録歌の最後の一首、「そのままにまどろんで」の部分が「どろん」に見えて仕方なかったのは公然の秘密です。
小津夜景さんはまっさきにゲストを依頼し、快諾してもらった、いわば「九重」誕生のきっかけを作った方でもあります。その後文中の引っ越しは無事に完了し、たびたび浜辺に出ているようです。

2号(2022年5月刊)

1号を発送したり、感想をいただいたり、という折に「つきましては次ヨロシク」的なやりとりを経て2号のゲストが固まりました。
近恵さんは「炎環」所属、同人誌「豆の木」でもご活躍。何度か句会や連句をご一緒しています、その言葉の自在さ、切れ味の鋭さ、お酒の強さが魅力です。
岡田幸生さんは20年来の詩友であり、癖になる文章に隠れファンを持つ、名文の書き手でもあります。
ゲストのお二方は直接の面識はなく、句歴もまったく重ならない(これも偶然です)ですが、お互いの作品、文章を興味深く思ってくださったようで、これは発行人冥利に尽きる、私個人がうれしく思う出来事でした。そうした意見は可能なかぎりさらりとそれぞれにお伝えしています。
スモール・メディアに人の行き来が生じるのも、他生の縁でしょう。

自分の原稿については、かねてどこかで記しておきたかった秩父巡礼について書くことができて、なんとなくつかえていた荷がいくらか降りた気がしました。実際に行動した時期から少し時間が経ってしまい、記録や写真を探したり、現状との違いを調べたりするのに時間を要しました。
もう少し細かく書きたいこともありました。四国巡礼の回廊堂があるお寺、花鉢のあふれるお寺で出会ったネコチャンのこと、ミューズパークのあたりから見下ろした秩父市街のこと、巡礼寺ではありませんが秩父神社、三峯神社のこと、隠れグルメ「ホルモン焼き」のこと等等。
この後秩父をゆっくり訪う機会を取れずにいます。次の機会には今度こそみそポテトを食べたい。

3号(2022年11月刊)

「勝手気ままな個人誌」を謳い、当初からやってみたいことがいくつかありました。そのうちのひとつが誌上歌集でした。
最初の歌集を作ってから20年近くが経ち、以前ー以後、過去ー現在の関係性が我ながら不明になりつつあり、「自分の今の歌」って何なんだ、という思いが頭をもたげてきました。これはいっちょう纏めて整理しよう、ということになりました。

ここまで考えて、これは普通にゲストを頼んでやるやつじゃないな、と、全体をイレギュラーな号にすることにしました。
ついては小津さんに「なにか長いことを書いてください」と頼んでみました。作品でも、散文でも、評論でも、なんでもいいですよ、とたたみかけたところ「句集づくりについて」書きたい、と申し出てくれました。
それはおもしろい。というか、読みたい。
かくして「『花と夜盗』をめぐる12章」の原稿が海を渡りはるばるニースからぴゅーっとメールに乗って届きました。
句集の編み方というのはさまざまだとは思いますが、作者本人がどのように考えるか、といったことは書き記されることが少ないように思います。この文章は実用的でもあり、詩学を垣間見るものでもあります(ところで短冊を並べ変えて句順を決める方法は私もやっています。ここに少ないサンプルが二例揃いました)。

本文背景の「夜景海房」は言わずと知れた漱石が使用した橋口五葉デザインの原稿用紙「漱石山房」のパロディとして描き下ろしました。後に『花と夜盗』特典カードの裏側に、小津さん直筆の句稿として使用されました。光栄の至りです。

4号(2023年5月刊行)

3号は作るにあたって相応の気力を使い、プシューーーと栓が外れたような状態が多少続きました。
ここで正気に戻るべく、従来の号を淀みなく出そう、と準備を開始しました。
伴風花さんはこちらも20年来の詩友で、同県・埼玉在住です。以前お茶した折に名所あるあるで意気投合したり、といったこともありました。お子さんが野球をしていることは伺っていましたが、届いた文章にじーんときて、こみあげるものがありました。

 野球はすばらしい。体が大きくても小さくても、パワーがある子、足が速い子、チャンスに強い子、頭がいい子、声が大きな子…いろんな子がいろんな個性を生かして活躍している。それぞれに守る場所があり、順番に打席が回ってきて、みんなが3回思い切りバットを振れる。バッターボックスに立っている間は誰でも主役だ。小学1年生でも一つのプレーでヒーローになれる。

「89 is my life.」伴風花(九重4号)

スポーツの世界は個人に脚光が当たりがちに思いますが、チームスポーツにはいろんな個性の発揮の仕方があるのだな、と、超人的な能力だけが賞賛されるのではない、いろんな「すごさ」が組み合わされて競技があるのだ、ということが改めて身にせまる、良文です。それにしても、野球少年の母は超忙しい。そのタフさに敬意を抱かずにはいられません。

今泉康弘さんの名前をはじめて目にしたのは「俳句空間 燦」、90年代のこと。よもやその方に原稿を依頼する日がくるとは、人生はどこで何が起こるか、本当にわからないものであります。今泉さんがあちこちで文章を書かれていて多忙なことは承知ながら、何か書きたいことがあれば、ページはいくらでも用意しますよ、との問いかけに「佐藤りえ論」を書く、とのお返事がきました。冷や汗をかきつつ、短歌から俳句まで、作品傾向から「解放」をキーワードに、縦横に論じてくださった長文は流石の一言に尽きます。

ふだん、自分では短歌と俳句の関連はあまり考えていません。
時折ひとに聞かれることがあるけれど、作りかけの短歌が俳句になることも、俳句から短歌を作ることも、まずない。とはいえいずれも日本語で表現を考えているわけで、その手癖、思考の流れには少なからず関連があるはずです。そうしたことを大外から、丹念に作品を通して示していただいた。うーん、そうなのか。自分を知るということは、つらく厳しいものでもあるが、一縷の明るさを感じるのは、今泉さんの誠実な筆致によるものでありましょう。

5号(2024年1月刊行)

そもそも個人誌をはじめた時、これは個人的な活動なんだ、と強く意識しました。だから刊行時期も特に定めず、メディア等へ強く働きかけることもなく、執筆者の数も特に決めない、なんならゲストのない回があってもいい、とにかく自由にやるんだ、それが柱だ、と決めました。
しかし蓋を開けてみれば、意外と勤勉に発行が進みました。だいたい半年に1回、遅滞もなく5号まで来てしまった。これは自分が小心者であり、本当にランダムに、毎月→一年後→半月後→3ヶ月後、みたいな刊行間隔を取るような胆力を持ち合わせていないがゆえの結果です、たぶん。
とはいえ3号雑誌に終わらず、5号まで辿り着けてよかった。お祝いだ。
ごほうびスイーツのようなノリで「豈」の先輩・高山れおなさんに執筆を依頼しました。

れおなさんからは百題稽古その三のうち「恋」の題による五十句と、それにまつわる文章を寄せていただくことになりました。
文章「霧中問答」が届き、ハッハッハッハ、とひとしきりおもしろく読んだ後、尋ねました。
「花野さんの肖像を描きたいのですが、イメージをお伺いできますか」
ほどなく華々しい画像とともに返信が。
「花野曲は、もともと男性のイメージでしたが、別に女性でもいいような気がしてきました。男性の場合はイヴ・サンローランその人、女性の場合はイヴ・サンローランのファッションを纏った女性のイメージでいかがでしょうか。」
了解して、花野曲氏は蝶ネクタイを纏ったカール・ヘアの美丈夫となりました。
問い合わせへの返信は、折しも国立新美術館で開催中のイヴ・サンローラン展会場から届いたのでした。
思いついたら即行動、のれおなさんらしいリアクションでした。

花野曲氏の未使用カット
高山氏の未使用カット。似てる。


しかし、「恋」です。鯉でも更衣でもない。つられて恋をテーマに短歌を書こうとしたところ、まったく筆が進まない。テーマとしては不得手なもので、自作のうち、恋の歌も恋の句も、おそらく同年代の作家と比較しても相当に少ないのではないかと思われます。恋はするものであって書くものではないから…(寝言)。

猫の横腹を吸って気を落ち着けていたところ、「霧中問答」の一節を思い出しました。

特に、恋の句の場合、題が前書化する感じがして。これはなかなか重大です。
花野 どういう意味でしょう?
高山 題が句の読みの筋道を規定すると予想されることです。

「霧中問答」高山れおな(「九重」5号)

ハッとしました。恋の歌を連作で、と考えるとひとかたまりのストーリーをどうしても呼び寄せがちで、そのことに困惑がありました。また、題詠は題の捌き方もさることながら、題と歌の組み合わせがきわめて重要になります。その題でなぜその歌を詠んだのか?
ここで先人達の名句が浮かびました。題を詠み込んではいないけれど、その本意を照らし出すような句があるじゃないか。題と、先人の句と、自分の歌の立体構造で、なにかが立ち現れるのではないか。ここから俄然原稿が進みました。才能に惹起されるとはこういうことをいうのか。

詞書に引用した句はどれも好きな句ですが、特に鈴木しづ子の「月の夜に蹴られて水に沈む石」は好きで、どこかに記したいなあと思っていました。「夏みかん酸っぱしいまさら純潔など」「好きなものは玻璃薔薇雨驛指春雷」といった著名な句以外にも、ダウナーな魅力のある句がある作者です。
なお編集後記には「六百番歌合わせにはない題をでっちあげた」と書いておりますがいくつかかぶっているものがあります。ハラホロヒレハレ状態で気づけていなかったのが真相です。
ふたつの題詠について、小津夜景さんがブログで感想を綴ってくださっています。

5号には巻末に「渋谷.psd」が載っています。本人は「詩……?」と頭を傾けつつ、これは今回書いておきたいなよなあ、と思いながらまとめました。
本を出すたびに「この人ははじめは○○だった」と書かれがちなのですが、言葉によって何かを作りはじめた当初書いていたのは自由詩でした。20代前半を最後に書かなくなったので、四半世紀ぶりに詩のようなものが筆先にあらわれたことになります。

5号までやってみて、こうしたほうがいいんじゃないか、アレもやってみたらいいんじゃないか、とハンドリングについてもいろいろ思うことがありました。次の号ではなにかしら変化が起きると思います。
少なくとも表紙は変わります。
次号発行時期は今のところ未定ですがまた出たらおつきあいいただければ幸いです。

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