石に布団は着せられず、私は今、幸せな境遇にいる
『24年前の今日、長い不妊治療を経て産まれてきた子どもは4人。
初めての子育てにオロオロしながら、泣けば抱き、オムツを替え、ミルクを飲ませ、怒涛(どとう)の毎日を過ごした。
そんな待ったなしの子育てに奮闘しているさなか、子どもたちが12歳の誕生日を迎えた頃、妻がガンで亡くなった。
あれから12年過ぎた今、4人はそれぞれの場所でがんばっている。』
某新聞に掲載されていたエッセイの一部。
私は、エッセイの中のどの人物の境遇にも置かれたことがない。
だが、涙がこぼれた。
母親は、どれほど心残りだっただろうか。
子どもたち4人は、どれほど寂しかっただろうか。
当時、悲しみに打ちひしがれただろう父親のそのエッセイは、最後にこう締めくくっている。
『君たちが生まれた頃のことを、話しておきたくなったんだよ』と。
懐かしさと、月日が流れた一抹の寂しさを覚える最後の一文。
そろそろ運転免許証の返納も視野に入ってきた私の父母。
私含め、3人の子どもを育てあげた彼らに心残りはないだろう。
一方で、私は父母に対してどうだろうか?
息子が生まれてから、その成長ばかりに目がいき、父母の老化には目がいっていない。
「コロナで大好きな旅行ができない」とブツブツ言えるだけ2人とも元気ではある。
ただ、そのブツブツがいつ途切れるかは誰にもわからない。
わかっているのは、父母と大切な思い出を重ねることができる幸せな境遇に私は、今はまだいることである。
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