はたらく、ということ

「『仕事がないんです』って泣いている女の人がいてさ。それで、ああ、こういうのもいいかなぁって。」

こんにちは、坂西涼太です。今回は「はたらく、ということ」をテーマに記事を書いてみたいと思います。そんなに長い記事にはなりそうにないので、物足りなかったらごめんなさい。

タイトルについて、今、結論的に考えているのは「はたらく」=「はた(側、傍)らく(楽)」というもの。まわりを楽にしたり、楽しくしたりすることが「はたらく」ということなんじゃないかなと、私自身は定義づけています。

父は、公務員でした。ハローワークの。昔だったんでハローワークっていう前は「公共職業安定所」(略して職安)と呼ばれている時代です(途中で「ハローワーク」という呼称ができました※1)。

冒頭のセリフは、「なぜ、公務員になったの?今の仕事を選んだの?」と聞いた時の父のこたえ。多分聞いた当時で、私はまだ中学生くらいだったかなと。困っている人を助けるのが好きな性分だった父(※2)。

そういう環境で育ったものの、(私自身は)働くことへの意識が高くはならなかったですね。それは父子間の葛藤やポリシーがあってのことではなく、なんとなく。紺屋の白袴的なしぜんな感じだったろうかと。

現在でこそ定職にも就き、その余の時間で創作や執筆を行っていますが、大学在学中に体を壊したこともあって、卒業後はフリーター生活をしばらく続けていました。その時に思ったことは「毎日、決まった時間に『行くべき場所』がある生活って、いいな」というもの。

実際に仕事をはじめ、慣れてくるとその「有難さ」って薄くなってしまって、時々「なんのために、こんなことを……」ってつぶやくことも増えました。独身時代は、飲めない酒を毎晩飲んだりもしてました。缶チューハイですけど。何度も直される議事録を前に「っくそ!」と叫びながらICレコーダーを延々と繰り返し聞いていたりとか。

当時は任された仕事をこなすことに追われてたんですね。自分ではシャカリキになって働いているつもりだったけれど、今振り返れば幼かった。そうこうするうちに、「ほんとうの仕事ってさ、そういう火事場のくそ力的なもんじゃなくて、誰かに渡せるバトンづくりみないたものだよね」っていうことに気づくわけです。たぶんそれは、はじめての異動の時に引き継ぎ書を作っていて、当時の上司から言われた言葉だったと思います。

もちろん、業種や業態、職種によっては「常に火事場のくそ力が要るんよ」ってケースもあるかとは思います。ただ、それであっても、その仕事が誰かの「ラク=楽、楽しい」に繋がっているんじゃないかと。楽をもっと広げれば幸福とか希望とかも含まれますよね。

「はたらく」ことは、楽じゃない。正直キツい。けれども、そのバトンを誰かに渡すときのために、いつ渡してもいいように。ちょっとだけ踏ん張ってみようかなと思います。なんだか年頭所感のような良いことを書いているようで我ながらくすぐったいけれど、本業でもその他の創作・執筆でも、誰かの幸福や希望をほんのひとさじでも掬えたらうれしいと思うから。

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※1)1989年に愛称公募があり、1990年1月から「ハローワーク」を使用

※2)家では新聞の切り抜きをやるのが趣味だったようで、夜な夜な新聞バサバサ、鋏の音がしていました。

#はたらくってなんだろう

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