「乃木坂らしさ」とは「ファン」のことだったなんて〜向井葉月のブログを考察してみる〜

全国ツアーが始まった。初期からグループを支えてきた和田まあやと樋口日奈の卒業が発表された。このタイミングで改めて、「乃木坂らしさ」を考えてみたい。まずは『価値あるもの』という楽曲と10th year birthday liveを受けての向井葉月ブログを読みながら、「乃木坂らしさ」を考察したい。

きっかけは、今から2ヶ月前の向井葉月ブログであった。改めて読み返していて気づいたのだが、ここで向井は非常に興味深い「乃木坂らしさ」論を提示していたのだ。

乃木坂が好きで乃木坂に入り、乃木坂のメンバーになってからもメンバー1の「乃木オタ」を自認している向井葉月。かつて星野みなみを応援していたファン時代から乃木坂を愛好し、オーディションを勝ち抜いて三期生メンバーになり、メンバーになってからも星野みなみを推し続けてきた向井であるからこそ、複眼的にグループを捉えることができるのだろう。そんな向井が記念すべき10周年コンサートを終えてのブログで以下のように「乃木坂らしさ」を考察しているが、それはファンによって語られる「乃木坂らしさ」とは一線を画する、「メンバーでもあるファン」であるからこそ出せるものである。

乃木坂らしさってなんだろう。答えのない問いに悩まされてきました。だけどそれはメンバーだけが創り上げてきたものじゃなくて、何があっても乃木坂を認め続けてくれたファンの方々のことをもいうんだなって思いました。少し答えに近づいた気がします。私自身、何度も辞めてしまおうか、乃木坂に必要なのかと、たくさん考えたことがあるけど、乃木坂が好きな気持ちは負けません。ファンの方ごめんね。笑 活動を続けられている理由として些細なことで支えられてきた気がします。ライブを作り上げてくれるスタッフの方、いつも話を聞いてくれるマネージャーさん。一人でもタオルを掲げて黄色のサイリウムを一生懸命振ってくれている人、葉月すごかった、よかったよって言ってくれるファンの方。本当にそんなことで続けようと思えるんです。
https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/100268?ima=2112&cd=MEMBER

乃木坂デビュー後から問われる「乃木坂らしさ」とは何か。向井は「メンバーだけが創り上げてきたものじゃなくて、何があっても乃木坂を認め続けてくれたファンの方々のことをもいう」と言い切る。ここでのポイントは「ファンの方々のこと」と、人々そのものが「乃木坂らしさ」だと断定しているところである。このような視点はファン側からは出てこない。「我々こそが乃木坂らしさ!」とは口が裂けても言えない。他でもないファンの存在が「乃木坂らしさ」だという、向井葉月オリジナルの見解であろう。

このように、「何があっても乃木坂を認め続けてくれたファンの方々」といった楽曲、衣装、ダンス、人前での礼儀作法ではなく、「ファン」と「乃木坂らしさ」を結びつけるのは意外なように思える。なぜなら、通常「乃木坂らしさ」と結びつけられやすいのは何よりもまず、「楽曲」だからだ。

たとえば、初期から継続的に楽曲を提供している杉山勝彦の楽曲に「乃木坂らしさ」を感じるという意見は多く、最近では、『価値あるもの』(作曲:杉山勝彦)に「乃木坂らしさ」を感じるというファンは多いが、一方でメンバー自身(特にユニットに参加する佐藤璃果)によっても『価値あるもの』に滲む「乃木坂らしさ」が強く主張されているように思われる。あるインターネット配信で、以下のようなやりとりがあった。

矢久保「大好きこの曲(『価値あるもの』)」
佐藤「まじ〜!?「乃木坂感」強いよね!」
矢久保「そう!いい曲だよね〜」
佐藤「私もこの曲大好きです。私はとあるメンバーさんへの気持ちを込めて歌っています」
矢久保「ミニライブでモニター見に行った!見たくて!」
佐藤「いや〜いいよ!切ないのよ、この曲」
矢久保「歌詞が好き!とってもいい!」
佐藤「イントロがいい!イントロオタクなのよ」
2022/7/6 猫舌SHOWROOM

佐藤の「イントロがいい!」という感想があったが、『価値あるもの』のコメント欄に同様の感想を書き込むユーザーがおり、共感を集めている。

あるいは、『価値あるもの』を『Actually...』との対比で、『価値あるもの』に乃木坂の「伝統」を見いだし、新世代(新・華の2001年組)がそれを守る覚悟を感じたという声だ。「杉山勝彦=乃木坂らしさ」論である。

また、ある人によれば、乃木坂の「優しさ」を『価値あるもの』から感じたらしく、そのことに多くの共感が寄せられている。

最後に、こちらの感想は、個人レベルの「意志の継承」に焦点を当て、『価値あるもの』と『歳月の轍』のミュージックビデオに隠された生田絵梨花と久保史緒里の美しいストーリーに思いを寄せている。なお、ミュージックビデオから「乃木坂を受け継ぐ覚悟」を、乃木坂電子台の企画から「いくちゃんの意志を継ぐ」存在として久保のことを見ている。このような「生田〜久保」に「乃木坂らしさ」を見ようとするファンは少なくない。

これらは4000件を超えるコメントのごく一部であるが、杉山勝彦が作曲した『価値あるもの』という作品から「乃木坂らしさ」を感じられるのは確かであろう。また、伝統の継承、生田と久保という個人的な関係性から物語性を感じられる。ここに「乃木坂らしさ」があるのかもしれない。

ところで、『価値あるもの』といった具体的な楽曲から「乃木坂らしさ」を見いだせる一方で、向井葉月のように、「何があっても乃木坂を認め続けてくれたファン」に「乃木坂らしさ」を見つけることができるのだろうか。

そもそも「何があっても」というのはどういうことか。考えられるのはメンバーの卒業であろう。高山一実の卒業を受けて公開された向井のブログから引用しよう。

高山さん、ありがとう。メンバーの卒業が続いていて私自身もそうだし、ファンの皆さんも寂しい気持ちがあると思います。私が乃木坂のファンの皆さんを少しでも明るい気持ちにできればいいなって思ってます。具体的にどうしていこうっていうのはまだわからないですが、それを探しながらこの先頑張ることでその姿をみたファンの方や卒業生がまだまだ乃木坂を応援しよう、乃木坂は終わらないねって思ってもらえる様に。
https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/64340?ima=0351

メンバーの卒業があっても、「乃木坂」を応援し続けようと思うことが「認め続ける」ということだろう。もちろん、メンバーが卒業してしまったらファンを卒業してしまう人もいる。そういう人に向けて、必ずしも向井葉月が好きではないかもしれないがブログを読んでいる乃木坂ファンに向けて、後輩が一期生(と二期生)の創始した「乃木坂」を「引き継ぐ」から、これからも「乃木坂」を応援してもらえたら、という切実な願いだろう。

また、「何があっても乃木坂を認め続けてくれたファン」とあるが、「乃木坂」を構成する「メンバー」に置き換えても成り立つだろう。『ごめんねFingers crossed』の選抜発表後に更新された向井のブログから引用しよう。

わたしはいま乃木坂46にいることが幸せです。乃木坂46の歴史の1ページに自分の活動が刻まれることだけで満足なんです。わたしはどんなことがあっても、1期生と2期生の先輩全員の最後の背中を見届けるまで活動を諦めません。それまでたくさんたくさん、大好きなメンバー、ファンの皆様、スタッフの皆様に感謝の気持ちを伝えていきたいです。素直になれないときだってあるけど、自分の気持ちに正直になって、答えてあげます。こんな未熟なわたしをいつも応援してくださって本当にありがとうございます。27枚目シングルもよろしくお願い致します!
https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/61370?ima=5124&cd=MEMBER

乃木坂は不条理な世界である。どんなに頑張っていても、グループを愛していても、選抜メンバーになれるとは限らない。選抜、とりわけ福神メンバーに選ばれるには「初速」がほぼ全てではないかと思っているくらい、努力よりも「運」で左右される。「運」は本人が動かせないから、それを受け入れた上で「頑張る」ことで道を切り開くのだけど、「初速」が不足していると福神メンバーという乃木坂におけるアイドル人生の王道を歩むことは困難になる。「いま乃木坂46にいることが幸せ」という言葉に嘘はないと思うけれど、「諦めない」という決意から向井の本音がうかがえる。その決意に答えてファンであることを「諦めない」人々がおり、そういうファンの存在が向井流の「乃木坂らしさ」と関係があるのだろう。

ここまで、「何があっても認め続けてくれたファン」も「乃木坂らしさ」を作っているという向井流の分析であったが、実は「ファン」の範囲は外部から乃木坂を応援する人々に限定されないだろう。「ファン」であり「メンバー」でもある人物もいるからだ。向井はその一人であるが、たとえば四期生の佐藤璃果もその一人であろう。さらには、デビューから乃木坂を見守ってきたバナナマンも、乃木坂の冠番組MCであり、「ファン」でもあり、「メンバー」の「兄弟」(公式お兄ちゃんと呼ばれている)でもあるわけだ。順番に見ていこう。

まず、先日の『乃木坂工事中』で、佐藤が29枚目アンダーライブで『命は美しい』をパフォーマンスした向井のことを褒めちぎる(なお、相変わらずイントロ好きの佐藤璃果であった)。

「29枚目アンダーライブで、葉月さんが(命は美しいの)センターをされていたんですよ。イントロでキメてるんですけど、いつもひまわりみたいに優しくて暖かいのに、線香花火みたいに火花みたいに熱くて、同時に儚さもあって、(曲調といつもの葉月との)ギャップがあって、めっちゃカッコイイです!」
https://youtu.be/a_xJcMrW7l8?t=458

次に、VTR明けのコメントで、バナナマン設楽は向井のパフォーマンスを褒めちぎっている。

設楽「いいね〜!イントロから曲にいくまでの表情も完璧だね!」
向井「自分でこの曲を選んだので、ここで見せてやろう!って」
日村「いい!!」
設楽「(向井の)イメージとは違うもんね。明るい曲とかが似合うのは分かるけど。いい表情するね!嬉しい?」
向井「嬉しい〜!」
(佐藤璃果が「うんうんうん」と納得の表情が映されて次のVTRに移行)
https://youtu.be/a_xJcMrW7l8?t=546

このように、佐藤璃果やバナナマンを含めた広い意味での「ファン」は向井のパフォーマンス(の細かいところまで)認め、狭い意味での「ファン」はメンバーのことを「認めているよ」という趣旨のコメントを残す。今回は特にバナナマンの「乃木坂愛」を称賛するコメントがたくさんあった。

ここまで、「乃木坂らしさ」とは「メンバーだけが創り上げてきたものじゃなくて、何があっても乃木坂を認め続けてくれたファンの方々のことをもいう」という向井流の見解を深掘りしてきた。

二日間で約14万人を動員した、記念すべき10周年コンサートを終え、ステージからの圧巻の景色を目の前に、「ファンこそが乃木坂らしさ」という驚きの見解に到達したのだろうか。

以前「乃木坂は温かいグループ」というメンバーの声をまとめた。『乃木坂工事中』やメンバーのブログのコメント欄を読んでいると、否定や拒絶ではない、存在や技能を肯定しようとする前向きな明るさで満ちている。

乃木坂のメンバーは、選抜やアンダーといった互いの「立ち位置」に深く言及したり、自分自身の「すごさ」を自慢したりしない。代わりに、私自身もこれこそが美点だと思っていて、メンバーも折に触れて言及するのが、互いに褒め合う乃木坂の文化だ。この文化が番組の企画になったのが三週連続で放送された『乃木坂工事中』の「キメ顔グランプリ」や、二週連続で放送された「褒めっこグランプリ」といった企画である。

ツイッターなど「検閲ができない」言論空間には、メンバーやグループへの厳しい声や罵詈雑言もあるが、そういった負のエネルギーを打ち消すほどの肯定的なエネルギーが「乃木坂らしさ」を作り上げている。もちろん、これが乃木坂にしかない文化ではないことは承知しているわけだが、大事なのはその独自性や優位性にはなく、相手を言い負かそうとする、論破してスッキリすることを目的とする風潮からは距離をおき、互いに認め合うことの尊さを乃木坂が教えてくれることなのではないか。