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湯浅良介〈FLASH〉|プロセスと「ドメスティック・ランドスケープ」

湯浅良介の〈FLASH〉について、統一性のある全体像を永続的に形作る可能性を、設計プロセスに見出した話です。
西沢大良の「ドメスティック・ランドスケープ」的なモノとの取り合いに関する一つの解だと思いました。

建築設計においてはある全体像(≒目標地点)に向けて逆算するかのように細部の検討を先行し、全体像との整合性を調整することで目標を達成するプロセスがしばしば取られる。統一性のある全体像を獲得しやすいからだ。
その逆算的なプロセスを言い換えるならば、建物の組み立ての時間的順序を遡る、遡及的な思考のステップであると思う。

しかし、湯浅良介の〈FLASH〉では遡及的なプロセスとは異なる方法で、統一性のある全体像を獲得をしていた。

その方法がどのようなものかと言うと、建築物の物理的な組み立ての時間的順序に沿った、むしろ素直に思われるものである。

①捉えどころのない即興的な取り合い
〈FLASH〉は捉えどころない印象を与える。柱をはじめ下地材のような部材まで隠ぺいされることなく装飾的に扱われる。あらゆる部材が必要に応じた寸法のまま制御されずに並列されており、その制御されていない様子が焦点を曖昧にし即興的な姿に思えるのだ。
「部材の必要に応じた寸法」というのは、扉なら高さに応じた反らないための厚みのことであり、階段の段板であれば荷重を支えるための、壁下地材であれば仕上材を支えるための断面寸法やピッチのことである。
部材ごとの自律的な寸法の集まりは隙間をつくることもあるし、微妙な段差としても表れている。それと同時に引き戸を複数連ねる上枠の溝のような実用的なものが装飾的に見えてくる。
ここに表れる装飾性は竣工後から絶え間なく移り変わる生活の風景、モノとの関係を結ぶものではないだろうか。

②全体像と細部を描くそれぞれのスケッチ
プロセスを直接的に想像する材料として展示されていたスケッチがある。
分類すれば2種類のスケッチで、全体像を描くものと細部を描くものがあった。
全体像を描くものは、ピーター・メルクリのようなタッチで抽象化することで、比率や象徴、空間の性質を考えるためのものである。
細部を描くものは、工事の進捗に沿って取り合いを検討するために描かれたもののようである。
2種類のスケッチの関係性は、そのまま〈FLASH〉で意図された生活像を表すもののように思える。入念に練られた比率を下敷きとすることで、細部の即興的な取り合いに生じる差異をそのままに認める。
下敷きとなる全体像があり、時間的順序に沿って細部が付随してゆく関係性は、将来にわたる改変可能性を取り入れるためのものではないだろうか。

柱の配置や気積の比率を表す全体像のスケッチ
施工者とのコミュニケーションに使われた細部のスケッチ

③HOUSEPLAYING NO.1 “VIDEO”
〈FLASH〉では従来的なオープンハウスに代えて展覧会方式で見学会が行われている。
竣工後すでに生活の始まった住宅で開催された点が面白い。そこにはすでに最初に書いた「統一性のある全体像の永続的な姿」が表れていたからだ。
脱衣所に入れば洗濯バサミに詩が留められていて、つまり靴下などの生活用品に代替するかたちで展示物がぶら下がっている状況が作られておりなるほどと思った。
建築と生活風景と展示の境目が曖昧な、差異の並列によって生じる「ドメスティック・ランドスケープ」が〈FLASH〉が目指した全体像だと思えたからだ。

(↓)「HOUSEPLAYING NO.1 “VIDEO”」に関しては湯浅さんのウェブサイトでとっても良い記録写真があります。ほんとに良いので見ると良いと思います!

以上、見てとても楽しい建築・展示〈FLASH〉「HOUSEPLAYING」でした。
湯浅さん、関係者皆様どうもありがとうございました。

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