「自由人であるなら奴隷ではない」―ストア派の思想―

お疲れ様です。ビッキー・ホリディです。

さて、僕はこの1ヶ月間、西洋哲学史について勉強をしていました。

その勉強方法はこちらをご覧ください。

僕が使ったテキストは

・概説 西洋哲学史 峰島旭雄編著 ミネルヴァ書房

・西洋哲学史 今道友信 講談社学術文庫

・西洋哲学史 古代から中世へ

・西洋哲学史 近世から現代へ 熊野純彦 岩波新書

の3種類です。なので、今回はこの3つのテキストを中心に、ストア派の思想について考えていきたいと思います。


ストア派とは


ストア派の創始者はゼノンです。なので、最初は「ゼノン派」と呼ばれていましたが、ゼノンが色彩柱廊(stoa poikile)という、めっちゃオシャレな広場で自説を説いていたことから、そのうちにストア(stoa)派と呼ばれるようになりました。

ストア派は紀元前4世紀から3世紀の半ばまで生きたゼノンから始まり、それを継いだクレアンテス、三代目の学頭となったクリュシッポスが代表的な人物として挙げられます。その後は、パナイティオス、ポセイドニオスといった人が継いで、やがてローマ時代に入り、セネカ、エピクテトス、さらに皇帝であり学者でもあったマルクス・アウレリウスというような人たちまで続きます。

それでは、ストア派はどのような学説をもっていたかといいますと、ゼノンによれば「調和して生きること」。つまり、自然と共に生きていくということだと考えます。クリュシッポスは「自然本性に調和しつつ生きることである」と説明しています。


哲学は3つのものから成る


ストア派では哲学を論理学、自然学、倫理学の3つから成ると考えます。

・自然学

ストア派の自然学はある種の唯物論的な面があります。というのも、

「実体はロゴス(理法)としての原理と質料としての原理によって構成されている。原理は根源的にして、永遠なるもの。
 精神であるとともに質料であり、質料であるとともに精神であるような<もの>=ゾーマすなわち物体。つまり、質料はもちろんのこと、精神も物体である。」『概説 西洋哲学史 峰島旭雄編著:ミネルヴァ書房p35』

というのがそれだからです。ロゴスは<もの>を形成するものです。ロゴスが形成する<もの>を「形成する火」とも呼んでいます。

つまり、存在するすべては物体的であり、物体は他の物体に力をおよぼし、また他の物体から力をおよぼされるということです。

いっさいのアルケー(最初のもの)はふたつあります。「はたらきかけるもの」と「はたらきかけられるもの」のふたつです。作用を受ける後者の「はたらきかけられるもの」とは「質料」であり、他方で

「はたらきかけるものとは、その質料のなかにあるロゴス、つまりは神である」「神は永遠なものであって、質料全体にいきわたりながら、個々のものをつくり出す」『西洋哲学史 熊野純彦著:岩波新書p125-126』

といっています。

・倫理学

ストア派の生の目的は、ゼノンによれば、先述の通り、「調和して生きること」です。

人間的な自然本性を強調することは、他方では諸国家の法を超えることにもなります。ストア派の倫理学では、諸国家に属し、法には従いながらも、世界市民の思想があります。国の法の前に自然的な本性による法があると、ストア派は考えます。これは後の自然法に繋がってくるのではないのではないかと、僕は考えます。

そして、ストア派の倫理学にはもうひとつ、「アパテイア」があります。これがなにかというと、ひとは欲情や憤怒の虜となってはならない。そればかりでなく、同情や後悔にもとらわれてはならない。つまり、パトスのない状態、心の平安をそう呼んでいました。これは後のショーペンハウアーの幸福論にも通ずるものがあるように思えます。ショーペンハウアーは社交から離れ、孤独に生き、芸術を愛することで「アパテイア」の状態をつくり出そうとしていました。

・論理学

ストア派の論理学では、人間は生まれたとき、たましいの主導的な部分を書き込みのためによく整えられた白紙として所有しており、個々の観念をみずから書き込むと考えられています。これは後のロックの「白紙」、タブラ・ラーサへと続いていくのでしょうか。

また、表象を介して対象が与えられるとも考えられており、これはカントから始まり、ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』へと続く思想なのでは? と考えます。


令和の時代にアパテイアを


ここからは持論になるのですが、学生であれ、会社員であれ、フリーランスであれ、なんであれ、このSNSの時代だからこそ、心に平安をもたらし、たましいの白紙のところにいろいろな経験を書き込んでいく、そんな生き方もいいのではないかと思います。

無理にバズらせようとして炎上したり、芸能人の不倫報道にグチグチ言ったり、政治家の汚職に文句を言ったりするのではなく、もっと自分のために時間を使ったほうがいいのでは、と思います。

そして、特に会社員の方に伝えたい。社畜だの奴隷だの言われたい放題ですが、ゼノンは言いました。


「だれであれ、独裁者の地へと旅する者は 自由人であるなら奴隷ではない」


最後に、ストア派の人生観の言葉で終わりにしたいと思います。長々とお付き合いいただきありがとうございました。


「今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように生きよ」

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