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降り積もるほどの星を与えたまえ(I just needed love.)_1


私が幼稚園の年長さんになってすぐのこと、
この世界でたった一人だけ純粋に愛してくれた人が亡くなった。

私にとって初めての“人が亡くなる”体験が大好きなおばあちゃん。

何十年も前の話だけど今もとっても鮮明に覚えている。


おばあちゃんはフルタイムで働き、ちょっとだらしないおじいちゃんを支えていた。
子供たちは皆大人になり、その一人が私の母親。


土日になるとお泊まりに呼んでくれて、お料理を教えてくれた。
初めて使った包丁で切った食材はきゅうり。
「右手で包丁を持って、左手できゅうりを支えるのよ。手を丸くして猫の手でね。」
おじいちゃんはキッチン横の勝手口の所で私の好きなおじいちゃん特製焼き鳥を
七輪で焼いてくれている。
幸せな時間。


お気に入りの公園が何箇所もあっていつも計画を立てて連れて行ってくれた。
私の喜ぶことを常に考えてくれて行動してくれていた。
遊びに行くと毎回、牛乳を混ぜるだけで出来るデザートを一緒に作る。
決まっていちご味。私が大好きだから。たまにぶどう味もあった。それも嬉しかった。
花札も教えてくれた。

家計は苦しかったみたい。
数年経って大人の話や行動を見ていて感じた。
それでも私が喜ぶことを全力でしてくれていたおばあちゃんには感謝しかない。
ありがとう。おばあちゃん。


ある日大人たちが急に慌ただしくなりおばあちゃん家に遊びに行けなくなった。
おばあちゃんはステージが高い癌だったそう。
おばあちゃんが入院した。
病室に行くと私の顔を見るなり笑顔で喜んでくれた。
病院の階段の踊り場にある冷蔵庫の中にプリンが入っていて
いつも私のために用意しておいてくれた。
嬉しかった。
いつも病室でふざけて踊ったり、それに対しておばあちゃんは笑ってくれて。
私は病状とか知らないし。そもそも何で入院しているかも知らないし。
帰ってくると思っていたし。

そう。母は私におばあちゃんの状況を何も教えてくれていなかった。

病院に行く間隔も回数もどんどん減っていって。
母だけ病院に行き、私はお留守番することが多くなった。

おばあちゃんに会いたかった。とっても会いたかった。
たまに会いに行ける時、もうベッドから起き上がれない状況だったけど、
幼い私はその状況がどういう状況なのかもわからずいつもの様に踊っておふざけし、
それを見ておばあちゃんが笑ってくれる時間が好きだった。

急に母の兄妹が集合した。
私は久しぶりの従姉妹との再会に喜んだ。

従姉妹達と私と弟が父が運転する車に乗って病院に向かうことになった。

ここでやっと気づいた。
嫌な予感がした。


…父の携帯が鳴った。
私たちに分からないように話していたけど察した。
おばあちゃんが亡くなった。

病室に着くとベッドを囲んで大人達が下を向いて立っている。

久しぶりにおばあちゃんに会えたのに。
死んじゃってた。
手はまだ暖かかった。
その時ね、不思議なことが起きて。
おばあちゃんと手を繋いでいたら指が動いて爪が私の手にあたって引っ掻いて白い線ができたの。
生きてる!なんて思ったけどそんなこと言ったら大人達から相手にされないのわかってたから、おばあちゃんからの最後のさよならのご挨拶なんだって受け止めた。


そこからは辛すぎて辛すぎて。
だって母がなんにも教えてくれなかったから、亡くなるんだったら、
もう一生会えないんだったら、おばあちゃんに沢山言いたいことあったのに。
ありがとうとか大好きとか…わかんない。単純な言葉しか出てこないけど。
当時の私は本当に何も知らなくて、またお家に帰ってくると思ってて、
これからもずっと一緒にいれると思ってて。

お通夜とお葬式が終わり、火葬場に行き、お別れした。
お骨になった。私より小さくなっちゃった。

そして初七日。
お坊さんが来てくれてお経を唱えてくださった後、説法の際子供達が大勢いる中私だけ前に呼ばれた。
「あなたはここ(おでこの真ん中より少し下)から強いパワーが出ている。」
それだけ言われてお帰りになられた。

それだけじゃ何のことか全く分からなかったけど、のちにすぐ意味がわかった。

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